第13話
「そいつを見せてもらっても構いませんか?」
イグナが前に進み出ながら声を掛けると、店主は視線を彼に移して首を傾げる。
「ん? まぁ、構わんが――あんたは?」
「新しく雇ってもらった魔技士ですよ。イグナです」
名乗りながら湯沸かし器を受け取る。ざっと外観を見て、ふむ、と目を細める。
(簡単なカラクリだな。底に発熱の魔術式を描いて中の水を温める仕組みか)
炉心はなく、使用者が魔力を流し込んで稼働させることができる。
今時、どんな工房でも手掛けている簡単な魔導製品だ。ラヴィリエはイグナを見て、何かを期待するように声をかける。
「もしかして、直せる?」
「簡単な製品だから難しくはないかな」
「なら、やってみてよ。ね? いいよね」
ラヴィリエは顔を上げて店主に訊ねると、店主は少し困ったように眉を寄せていたが、ため息をついて小さく笑った。
「まぁ、構わんよ。直らなかったらゴミにする予定だしな」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
イグナは手頃な木箱を借りると、そこに腰を下ろして湯沸かし器の底に触れる。底蓋を固定している留め具を確かめると、腰に提げたポーチから工具を取り出した。
手早く留め具を外して、底蓋も外すと中から水がこぼれ出る。
「……漏水?」
「だな。これが原因だろう」
蓋に隠された部分には魔術式が刻まれているが、それが一部消えてしまっている。恐らく水や熱で消えてしまったのだろう。
「ラヴィリエ、これ持っていて」
「ん、いいわよ」
湯沸かし器から取り外した底蓋と留め具をラヴィリエに持ってもらう。それから腰のポーチから魔術式用のインク瓶とペンを取り出した。
「貴方、いつも持ち歩いているのね……」
「手元にないと落ち着かないんだ」
呆れた口調のラヴィリエに答えながらインク瓶の蓋を開け、ペンの先端を浸す。消えた部分を書き足して魔力を軽く流して定着させる。
(ついでに漏水も応急処置しておくか)
底に穴が空いた場所を見つけると、ポーチから別の工具を取り出す。一見するとただの金属棒だが、魔力を込めると先端が高熱になるという道具だ。
それで穴を開いた部分の周囲を軽く突き、溶けた金属を伸ばして穴を塞いでいく。
完全に穴が塞がったのを確認すると、ラヴィリエから底蓋と留め具を返してもらい、元通りに蓋を締める。完全に固定できたのを確認すると、湯沸かし器を店主に差し出した。
「これで直ったはず。確かめて見てください」
「あ、ああ……随分早いんだな」
「ウチの魔技士は優秀なのよ」
「なんでラヴィリエ嬢が自慢げなんだ」
店主は思わず苦笑しながら湯沸かし器に水を入れ始める。イグナは使った工具を片付けていると、おお、と店主の感嘆の声が響き渡った。
「……直っていやがる。いや、ダメ元のつもりだったが」
「良かったです。とはいえ、応急処置なので次に壊れたら買い替えるのをお薦めしますが」
「いや、だが助かるよ。これで今日一日は営業できそうだ」
店主は上機嫌そうにそう言いながら、早速沸かしたお湯を用意した漏斗に注ぎ始めていた。それに応じて香ばしい匂いが漂い始める。
イグナが立ち上がり、ラヴィリエとそれを見守っていると、店主は一つ頷いて黒い液体が並々と注がれたカップを二つ差し出した。
「できたぜ。二人とも。黒豆茶だ。直してくれたお礼に飲んでくれ」
「やったっ、これが甘味に合うのよね」
ラヴィリエは早速それに口をつけて飲むと、んー、と美味しそうに表情を緩ませる。イグナもそれを飲もうとすると、店主が声をかけてくる。
「兄ちゃんは飲むのは初めてか? 苦いから気をつけろよ」
「苦いんですか……気をつけます」
湯気を立てる黒豆茶を口に近づけ、香りを確かめる。癖になるような独特の香りを楽しみ、一口飲んでみる。瞬間、舌に苦みが迸り、思わず目を見開く。
(……苦い、けど……)
もう一口飲んで確かめる。確かに苦い。が、その苦みには深みがあり、芳醇な香りが口の中に満ちる。味わいながらもう一口。
「……なるほど、コクがあるのか」
「お、飲んで最初にそこに気づくとはな。この黒豆を炒ることで、その香ばしさやコクを出しているんだ。美味いだろう」
店主は瓶に入った黒豆を取り出し、軽く振ってみせる。ラヴィリエも美味しそうに黒豆茶を飲んでいたが、今度は先ほど買ったカムラの実を齧り始める。
「ん……この組み合わせも最高ね。イグナ、干しカムラと一緒に飲んでみて」
「ああ」
言われてイグナもカムラの実を齧る。甘酸っぱく濃厚なカムラの味が口に広がる。それを堪能してから今度は黒豆茶を一口飲み、思わず目を細める。
(これは……)
口の残った濃厚な甘味を黒豆茶がさっぱりと流し、芳醇な香りを口にもたらしてくれる。同時に干しカムラの強い甘味が黒豆茶の苦味を抑えてくれてもいる。
交互に口にすれば、甘味、苦味、香りのサイクルを楽しむことができる。
「紅茶も美味しいけど、この黒豆茶も美味しいわよね。特に青空の下でお菓子と一緒に楽しむ黒豆茶が最高よ」
「はは、ラヴィリエ嬢は本当に通だよな。下町の食、ってのを分かっている」
「そういうのを貴方たちにいろいろ教えてもらったからね」
黒豆茶を飲みながら話すラヴィリエは楽しそうだ。そのまま彼女が雑談を続けるのをイグナは黒豆茶と干しカムラを楽しみながら見守る。
やがてラヴィリエは黒豆茶を飲み干すと、カップを返しながら店主に微笑む。
「また来るわ。ちゃんと湯沸かし器を買い直しなさいよ」
「はは、そうだな。また来たときにはサービスするよ、二人とも」
軽く店主に手を振り、イグナとラヴィリエはその場から離れる。彼女は少し歩いてから申し訳なさそうに眉を寄せてイグナに告げる。
「ごめんなさい、イグナ。休日なのに雑用をさせてしまったわね」
「問題ないよ、あれくらいなら簡単な工作だから」
それに、と黒豆茶の味を思い出しながら小さく笑う。
「あの飲み物をタダで飲めたからな」
「気に入った?」
「ああ、大分癖になる味だな」
苦みも最後の方は気にならず、美味しく感じられるようになっていたくらいだ。その感想にラヴィリエは嬉しそうに笑みをこぼす。
「それなら良かったわ。あの味、好き嫌いが分かれるのよ」
「でもラヴィリエの薦めるものならハズレはなさそうだけどな」
「……嬉しいこと言ってくれるじゃない」
彼女の碧眼が細められ、上機嫌そうに軽く頭が揺れる。長い金髪がふわりと揺れて目を引く。ラヴィリエはそのままステップを踏んで前に出ると、軽くイグナの手を引いた。
「なら、次のオススメを教えてあげるわ。お腹はまだ空いているよね?」
「ああ、もちろん」
干し果実だけでは全然お腹が満ちていない。彼女の弾けるような笑顔に釣られてイグナも笑いながら、手を引かれるまま彼女についていった。
――そして、日が暮れた。




