第12話
ラヴィリエが手を離してくれたのは、魔導区画から出たところだった。
彼女は深呼吸を一つすると振り返り、申し訳なさそうに眉を寄せる。
「ごめんなさい、イグナ。貴方に休暇を与えるつもりが、妙なことになったわ」
「いや、大丈夫だ。むしろ、すまない、休むのが下手な人間で」
「……休むのが下手、って初めて聞いたわね」
「ラヴィリエは経験がないのか? 寝ていると仕事のことが思い浮かんで、気が付けば起き出して何か作業をしていること」
「そういえば、確かに結構あるわね。そういうとき」
なるほど、とラヴィリエは納得したように頷き、少し苦笑をこぼした。
「つまり、私も休むのが下手なのね」
「お互い、苦労するな」
イグナも苦笑いを返しながら頷くと、彼女の隣に並んだ。自然と二人で肩を並べながら歩き始める。
「それで、どうする? いざ、貴方と私の苦手な休みができたわけだけど」
ラヴィリエは言葉を切ると、横目でイグナを見ながら悪戯っぽく続ける。
「私の休みに付き合わせるのも悪い気はするけど、私としては折角なら貴方と出歩きたい気分」
「俺も賛成だ。なんせ、いきなり湧いた休みだから、どう休めばいいか分からなくてな」
「あ、その気持ち、分かる。予定がいきなり空いて途方にくれるのよね」
「そうそう、そんな感じだ」
多分、今ラヴィリエと話していなければ、そんな気分に襲われていただろう。
ラヴィリエは指を顎に当てて少し考え込んでいたが、やがてぽんと手を叩いて視線を街の方へ向ける。
「じゃあ折角だから、都市の中を巡ってみない?」
「お、それはいいな」
考えてみれば、まだファムルスの中を歩き回ったことがない。仕事を始めてからずっと魔導区画と与えられた家の往復を繰り返していただけだった。
それを察したのか、ラヴィリエは少しだけ仕方なさそうに笑って眉尻を下げる。
「どこかで案内してあげればよかったわね。私の手抜かりだったわ」
「いや、ラヴィリエも忙しいだろう? 俺みたいな下っ端に気を遣わなくていいぞ」
イグナが肩を竦めると、ラヴィリエはむっとしたように唇を尖らせる。
「貴方は下っ端なんかじゃない――大事な仲間の一人よ」
「……そう、か」
軽口のつもりだったのだが、思いのほか真剣な言葉に戸惑う。ラヴィリエは立ち止まると腰に手を当てて、真っ直ぐにイグナの目を見る。
「貴方が自分のことを過小評価しているけど、私は貴方のことを優秀な魔技士だと評価しているし、何より私は都市のために働く人間を下っ端と思ったことは一切ない。貴方もガストンはもちろん、ユージンもサミュエルもミハイルもカールも――みんな大事な仲間よ」
滑らかに並びたてた名前は今日、出勤していた仲間たちだ。一人一人の名前を彼女はきちんと覚えているのだ。
(……そうだ、ラヴィリエはこんな人だ)
陰ながら働く人々にもさりげなく気を配り、何かあれば見逃すことがない。
そんな人だと思ったから、イグナも仕えようと思ったのだ。
「……悪い、ラヴィリエ」
「あ、ううん、謝る必要はないわ、イグナ」
彼女は慌てて手を振ってから、表情を緩めた。へにゃりと彼女は笑みをこぼしながら再び歩き始める。
「ただ、仕事仲間とか関係なく――私が貴方と今日は出かけたかっただけなのよ」
「…………っ」
恐らく、その言葉に他意はないのだろう。
だけど、かわいらしい笑顔と共にそう言われれば、胸が高鳴ってしまう。思わず言葉に詰まると、少し彼女は不思議そうな顔をする。
(いけない、平常心、平常心)
イグナは一つ咳払いをしてから、気持ちを切り替える。
「そうだな。ラヴィリエと一緒に都市を回るのは、きっと楽しいだろうし」
「ん、そうよねっ」
嬉しそうにラヴィリエは頷き、弾むような足取りで歩く。歩幅を合わせてイグナは歩くと、彼女は首を傾げながら言葉を続ける。
「それで――どこか見てみたいとかある?」
「そうだな、興味があるのは魔石関係だけど」
懐中時計で時間を確かめる。時間は丁度昼前――お腹も空いてくる頃合いだ。
「その前に少しお腹を満たしておきたいか」
いいわね、とラヴィリエは目を輝かせると腕を軽く引っ張ってくる。
「なら、この都市で一番賑わっている通りに案内するわ」
◇
ラヴィリエに案内されたのは、屋台が並ぶ目抜き通りだった。
通りの両脇には屋台が立ち並び、いろとりどりの製品が並んでいる。通りを歩いている人も多く、その人たちを呼び止めようと店の人たちが声を張り上げている。隣に歩くラヴィリエは少し自慢げに笑って言う。
「どう? ここの通りは市が立っていて新鮮な食材とか軽食とか、いろいろ売っているの。ミスティアに比べれば小規模だけど、活気は充分あるわよ」
「確かに。それに並んでいる品々も大分違って面白いな」
屋台に並んでいる食事や製品は、どれもミスティアではあまり見ないものばかりで目を引かれ、お腹が空いてくる。
ラヴィリエは楽しそうに屋台を見比べ、一つの屋台の前で足を止める。
そこはたくさんの種類が並んだ青果店だ。屋台の天井を支える梁には干した果実がぶら下がっている。
(そういえば、ここまでの屋台でもちらほら干した果実を見たな……)
それを眺めていると、その視線に気づいてラヴィリエは話してくれる。
「ここは寒冷地だから、凍結乾燥させた果実が多いの。何か食べてみる?」
「なら、ラヴィリエのオススメを」
「オススメと言われたらやはり、カムラの実よね。二つ貰えるかしら」
「あいよ――って、お嬢様か。今日も視察か?」
店主は顔見知りらしい、ラヴィリエを見てにかっと人の良い笑みを見せる。彼女は笑い返しながらイグナの腕を叩いて言う。
「視察と、この人に都市の案内をね。新しいウチの職員よ」
「お、そうだったのか。じゃあこのカムラはサービスだ。お二人さん」
「あら、いいの?」
「もちろん。お嬢様にはいつも世話になっているし、兄ちゃんにはこれからよろしくっていう挨拶料だ。何かあれば、ウチを懇意にしてくれると助かるよ」
「分かったわ。じゃあお言葉に甘えていただいていくわね」
店主が紙に包んだカムラの実を渡してくれる。
紙を開いてみると、中には平たく伸ばされた果実が入っていた。表面にはふんだんに砂糖がまぶしてある。屋台を離れると早速、ラヴィリエは齧って目を細める。
「ん、甘くて美味しい。ほら、イグナも」
「ああ」
イグナも促されて齧ってみる。途端に舌先に甘酸っぱさが広がる。身を噛みしめれば、濃厚な果肉の味わいが口の中で広がり、頬が蕩けそうになる。
「……これは癖になる甘さだ」
「そうでしょう。このファムルスならではの甘味よ」
「それに紅茶に合いそうだ」
「ええ、それもオススメ。でもそうね、折角飲むなら確かこの辺りに……」
ラヴィリエは辺りを見渡すと、一軒の屋台に目を留めてイグナの腕を軽く引く。ついていくと、そこにあったのは飲み物を売っているらしい屋台だった。
何かを炒っているような香ばしい匂いが鼻をくすぐる。結構人気なのか、屋台の傍には数人がコップ片手に談笑を楽しんでいる。
ラヴィリエは迷いなくその屋台の店主に声をかけ、二本指を突き出す。
「黒豆茶を二杯頂戴」
「ん、おお、ラヴィリエ嬢か。ちょいと待ちな。少しトラブってな」
屋台にいた店主はちら、と視線を上げると、眉を寄せて告げる。ラヴィリエは軽く眉を寄せると、屋台に手を載せながら訊ねる。
「何かあったの?」
「器材の故障だ。湯が湧かなくなっちまってな」
そう言って持ち上げたのは魔導製品の湯沸かし器だった。大分使い込まれているのか傷だらけになっている。店主はそれを叩くとため息をついた。
「思えば昨日から調子が悪くてな、こいつはもう使えんかもしれんな」
「あらら……じゃあ今日はもう……」
「店じまいかもしれねえ。悪いな、嬢ちゃん」
店主の言葉に残念そうに肩を落とすラヴィリエ。余程楽しみにしていたらしい。
(なら……折角だから、一肌脱ぐかな)




