9
異世界との入口になっている祠から庭へ出ると、この世界のランタンみたいなものを持ったハチローくんが立っていた。
「ハチローくん?」
祠から出てきたわたしに、ハチローくんもぎょっとした――けど、すぐにムスッとする。
「トウメが作った夕飯なら炊事場にある。これからはいらないときはトウメにちゃんと言ってくれ」
「ご、ごめんなさい」
さっそく怒られた。しかもご飯のことで。
うちら、ほんとお菓子とかご飯とか、食べ物のことばっかりだ。
「ヘヘっ」
思ず笑うと、ハチローくんはさらに機嫌が悪くなったようだ。
目つきの悪いハチローくんがそんな表情になると怖い。怖いんだけど……なんだろう。今はなんかかわいい。
口元が緩むのを隠すために手を当てるけど、それぐらいじゃ全然隠せない。
ハチローくんもなんだか気まずくなったのか、視線をさまよわせて、地面へと伏せた。
「おれは、今からトノのところに行く」
「あ、待って!」
門扉へと向かうハチローくんの腕をつかむ。
今度は振り払われなかった。
「話! その前に話がしたいの」
もう夜も遅い。話すよりも先に寝たほうがいいだろうけど、でも。
「ハチローくんの話が聞きたいの」
「……おれの話?」
「そう、ハチローくんのことをちゃんと知りたいの。……ダメかな?」
ハチローくんは腕をつかんでいるわたしの手を見て、そしてわたしの目を見る。
「少しだけなら」
とりあえず寝室に入ると、布団はいつものように二組敷いてあった。
いつも朝起きてから布団を片付けるのはわたしだったから、これは三日前からそのままだったのか――その割には使った形跡がないから、ハチローくんが敷いてくれていたのか。
なんか胸がギュウっとする。
「ずっと帰らなくてごめんなさい」
なんの連絡もせずに来なくなったのは、やっぱりよくなかった。
今は素直にそう思って謝ると、ハチローくんは戸惑っていた。
「いや、それは、お、れも……。……もう、いいんだ」
ボソボソと言って軽く頭を振った。
「…………話が聞きたいって」
「あー、うん」
改まってだとちょっと気まずいけど、まあ、軽い感じで……。
「ハチローくんはなんでそんなにもレイくんに忠誠心を持っているのかな、って」
するとハチローくんの眉根がギュッと寄せられる。
意味が分からない、って顔だ。
「いや、あのね。本当に分からないの。この世界の人がホムラ様を大事にしているのは分かるし、自分の命に関わる人だからこそ命懸けで守るっていうのも分かる、つもり。ただ、わたしの世界ではそういうのはないから。誰かに忠誠を誓う、とか。命懸けで守る、とか」
警察官とか消防士とか、自衛隊の人とか、命懸けの職業っていうのはあるけど、見てるとそういうことではなさそうだし。
「だから、ハチローくんから聞いてみたかったの。……こんな話もしたことなかったし」
背筋を伸ばして、まっすぐとハチローくんを見る。
こっちの真剣さに気付いてくれたのか、寄せられていた眉根も戻っていった。
「ホムラ様はこの世界に生きるすべての命にとって、なくてはならない尊いお方だ。そんなお方を守るブシという役目はとても大切で誇り高いものだと、いつもとうさんが――おれの父さんが言っていた」
「ハチローくんのお父さん?」
「病気で死んでしまったが、おれの父さんもブシだった」
そういえば、叔父さんもそう言っていたっけ。
「父さんが生きている頃から、おれはブシになるのが夢だった。父さんと同じ誇り高いブシになりたいと思っていた」
「じゃあ、夢が叶ったんだ」
お父さんみたいになりたいって気持ちも強いから、ここまで強い思いでレイくんを守るんだろうか。
ハチローくんは少しだけ視線を伏せた。
「おれの年齢だとブシの試験を受けても落ちることが多い。でも、父さんが死んだばかりのあの頃のおれは、すぐにでもブシになりたくて必死だった。……無茶をしていたんだと思う。あのときは気付かなかったけど、義父さん――モモジさんにもすごく心配をかけていた」
ハッとしたように顔を上げて、そして呆然としていた。
「今と同じだ」
……そんな弱弱しい声で言わないでよ、ハチローくん。
視線を伏せて、ハチローくんは続けた。
「そんなとき偶然――偶然じゃなかったのかもしれないけど、義父さんと一緒にいたトノに会った。
義父さんはおれの話をトノにもしていたみたいで、トノはおれのことを知っていた。
おれの父さんにも会ったことがあると言っていた。父さんが病気で引退するまでの短い間だったけど、それでも頼りになる、明るくて強いブシだったと話してくれて……。
父さんは病気でブシの役目をまっとうできなかったことをずっと悔やんでいたから、そう言ってもらえて嬉しかった。おれも、きっと父さんも救われた。
トノは、おれが父さんやモモジさんのようなブシになるのが楽しみだと、そのためにも無茶なことはするなよと。
トノはそれからもずっとおれなんかのことを気にかけてくれた。おれがブシになるのが楽しみだと、いつも言ってくれた。おれは誰でもない、どのホムラでもない、あの方のブシになりたいと思った」
忠誠心とか信用とかお役目とか、そういうことを思っていてもこれって結局――
「レイくんのこと、大好きになったんだね」
「……そうだな。おれはトノが好きだ。トノのブシになれて幸せなんだ」
だから、なんとしてもレイくんのことを守ろうとして、行き過ぎた行動にも走ってしまう。
でも……。
「ハチローくんがブシになって守りたかったものって、レイくんの命だけ?」
「……どういうことだ?」
「ハチローくんはレイくんのことが大好きになったから、ホムラ様であることを抜きにしても守りたいと思ったんだよね? でも、今のやり方って、ただホムラ様としてのレイくんを守っているだけだよ。ホムラ様であるレイくんの命を守っているだけ」
「それのなにがおかしい? トノの命を守ることがおれの役目だ」
「本当に? 本当にそれだけがハチローくんのやりたいこと? ハチローくんが思うブシの役目?」
「なにが言いたいんだ」
険のある声だけど、どこか怖がっているようにも見える。
「ハチローくんが今していることって、レイくんの生活とか心を苦しめているのは分かってるよね?」
言うと、ハチローくんは息をのんだ。
なぜか湧きあがってくるのは罪悪感。
この子は子供だ。十三歳の子供なんだ。
それなのに、わたしは今、この子を傷つけるようなことを言おうとしている。
「ハチローくんが昼でも夜でもレイくんを守ろうとしているのは立派だよ。すごいと思う。でも、そんなハチローくんを見て、レイくんはずっと心配してる。ハチローくん、まともに寝てないでしょう?」
「それくらいトノを守るためなら……!」
「そう言われて、レイくんは納得するの? 守ってくれてありがとう、嬉しいって感謝すると思うの? レイくんの心配がなくなると思ってるの? わたしはそうは思わない」
ハチローくんは、黙った。
きっとわたし以外からも何度も言われた言葉のはずなのに。
それが今、驚くくらいにハチローくんを傷つけているのが分かる。
「ハチローくんは強いって、叔父さんもレイくんも言っていたよ。そんなハチローくんが追い詰められたようにレイくんのそばにいたら、レイくんだって不安になるんじゃないの。ハチローくんを信じているからこそ、不安にさせてしまうんじゃないの? レイくんに心配かけて、レイくんを不安にさせて、それがレイくんを守るっていうこと?」
ハチローくんの視線が下がった。
怒りなのか動揺なのか、握りしめた拳が震えている。
どうしようもなく謝りたい気持ちになってしまうけど、もうそういうわけにもいかない。
「レイくんに忠誠を誓うっていうことが、その命以外はどうでもいいっていうなら、それでいいけど。でも、ハチローくんは違うでしょう。レイくん個人に対して、大好きで守りたいと忠誠を誓っているのなら、ハチローくんのやり方は、やっぱり間違ってるよ」
ハチローくんはなにも言わなかった。
これ以上は、わたしもなにも言えなかった。
ハチローくんは拳を握りしめたまま立ち上がると部屋から出て行く。
一度も目は合わなかった。
「あー……」
布団の上に倒れこむ。
これは、本当に嫌われちゃったかな。
本当に離婚かも。……いや、それは別にいいんだけど。少しだけ寂しくて……やっぱり心配だ。
まっすぐにレイくんを慕っているだけだったあの子が。
でも、薄情と言われても、わたしはこれ以上、深入りしない。できない。
これがわたしとハチローくんの今の限界だと思うし。
だから、寝よう。寝る!
わたしは明日も仕事ですし。寝不足辛いですし。どうしようもないですし!
布団の中に入り込んで、目を閉じる。
……わたし、なんのためにここに戻ってきたんだろう。
ハチローくんと話がしたかった。
色々とすっきりさせたかった。
それだけだったのに、ハチローくんを追い詰めただけだったらどうしよう。
布団をつかんで体を丸める。
ぎゅうと強く目を閉じるけど、眠気は全然やってこなかった。




