36 誘惑の香り
「ですから、沸騰させてしまうと、えぐみが出てしまうので低温のお湯でゆっくりと1時間はかけて煮出していきます。それから」
何故か宰相が強く主張してきた為、ウォードの箱の説明より先に、ビートから含蜜糖を作る方法を説明することになってしまった。
グランドーニ博士邸の居間でソファに腰を下ろし、博士と宰相が揚げたてのポテトを美味しそうにつまみながら私の説明を聞いている。背後に控えているオリヴィアとエミリアンも、感想を聞くために試食してもらったが、気に入っていたようだ。もちろん、手の止まらない博士と宰相は言うまでもない。……だが、食べすぎだ。
『ちょっとぉ。私の分も残しといてよ』
「それで、冷めて固まったらできあがりです。どうしてもビートのクセが若干残りますが、コクのある含蜜糖になるはずです」
大皿の中のフライドポテトの残量を気にしつつもどうにか説明を終え、ホッとして手を伸ばしポテトを一本摘む。
『うん。素朴で美味しい』
「なんと、それだけで、あのビートから砂糖がとれるとは」
感動した様子でそう呟いた後、グランドールは後ろに控えている助手のアヒムに声をかける。
「アヒム、姫様のご説明をちゃんと書き記しておいたな?」
「はい。先生」
アヒムが頷くと、グランドールはせっかちにもすぐに取り掛かるように命じた。
「では、早速その手順どおりに砂糖を作るように言ってきなさい」
『えぇっ、厨房の人をこきつかいすぎじゃない?』
なんだか自分のせいで余計な仕事を増やしてしまって、申し訳ない気がする。
『ロルダンさんだったっけ、厨房の人。仕事増やしてすまん』
心密かに厨房の責任者に謝罪した後、ふと製糖過程で出来る副産物のライムケーキが土壌改良肥料として利用されていたことを思い出し、廃棄しないように注意する。
「ああ、搾りかすはもちろん家畜の飼料として使えます。それと、上澄みを取るために石灰を入れて不純物を沈殿させた場合は、それも土壌改良の肥料として使えます」
「なんと。家畜の飼料と肥料ですか。本当に無駄がありませんな」
ただし、そのままでは腐りやすい為、長期保存するには充分な乾燥が必要なことを追加説明すると、さすがにそう都合のいいことばかりではないことに、グランドーニは却って納得した様子で頷いた。
「なるほど」
「それと、含蜜糖ですが、今お話した方法ではそれでもまだ不純物が残ってしまいます。それを取り除いて白砂糖に精製する方法は……今後、博士にお考えいただきたいと思います」
グランドールに丸投げする。予想通り、植物の研究家としては当然なのだろう、グランドールは表情を輝かせて食いついてきた。
「おぉ。それはやりがいのある仕事ですなぁ。よろこんでお引き受けさせていただきますよ」
「ただ」
それまで黙ってポテトを摘んでいた宰相が口を挟んできた。
「これは、成功すれば我が国の重要な産業の一つになるはずです。となれば、博士個人にお願いするというより、国家事業とし、博士にはその責任者になって頂いた方がいいでしょう。陛下にご認可を頂き、具体的な事業計画はそれから立てるとして……まずは今作らせている含蜜糖の出来次第ですかな」
『ゲッ。なにげにプレッシャー。……合ってたよな、作り方、あれで』
うん、大丈夫。写真付きで読んだ記憶がしっかり残ってくれている。って、人が心配している間に、宰相とグランドーニは、荒地の開拓やジャガイモとサラザンの試験栽培の話に移っている。
『おいおい、気が早いな。さすがに春まで無理だろうが』
半ば呆れて眺めていると、グランドーニと目があった。グランドーニはいかにも感動したといった様子で私に話しかけてきた。
「それにしましても、姫様が神の啓示を受けられたというのは本当だったのですね。わずかな時間にこれほどの発見がなされるとは心底驚きました。それに私が育ててきたあの作物たちに、救国の鍵があったとは、誠にありがたい限りです」
「そうですわね。博士の長年のご苦労が実を結ばれることは、私にとっても喜ばしいことですわ」
「そうおっしゃっていただけると」
私の言葉にグランドーニは嬉しそうに目を細めた。
『よし。もうこれで完全に仲直りできたよね』
その後、やはり忘れていなかったらしく、ウォードの箱についての説明もしっかりさせられた。密閉された小さな空間での水分の循環するテラリウムのシステムに驚いていたが、どうやら理解してくれたようで、これもさっそく試作品を作ってみることになった。
『酸素や二酸化炭素、光合成については言わなくて正解だったよね』
含蜜糖が完成するまでここで待っているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。すでに予定されていた訪問時間を大幅に過ぎているそうで、菜園の残りはまた後日改めて見せてもらうことにして、城に戻ることになった。
含蜜糖は完成したら、グランドーニが城まで持ってきてくれるようだ。
『って、もしもし宰相閣下。そのお手の籠のフライドポテトは何ですか? いつの間に余分に作らせたんだ?』
宰相の手元を凝視していると、宰相は悪びれる様子もなく、当然のことだと口を開いた。
「先ほどのジャガイモは全て食べてしまいましたからね。陛下にご報告する為に、新たに作らせただけですよ」
『いつの間に……。てか、最初から王様の分を取り分けておいたらよかったのに。それに、報告用にしては量多いじゃん』
気に入ったのはいいが、貴重な種芋を食べつくしてしまっては元も子もない。心配になって、念の為グランドーニにも念を押しておく。
「博士。収穫したジャガイモは、来年の作付けの為にできるだけ食べないで取っておいてくださいね」
「う、うむ。仕方あるまい」
非常に残念そうにグランドーニが頷いた。
『うん。注意しなかったら、結構食べてたな、きっと』
そして……。
帰りの馬車の中、フライドポテトの匂いに食欲を刺激されながらも、上品なお姫様らしくそ知らぬ顔をして、必死にその誘惑と闘うことになるのだった。
『わ~ん。宰相の馬鹿ぁ~』




