35 ほうれん草の仲間
「ええっ、本当ですか?」
「博士!」
興奮して飛びかからんばかりの勢いで急接近してきたグランドーニを、咄嗟にエミリアンが間に入って阻止してくれた。
『おおっ、やっぱり頼りになるな護衛隊長』
グランドーニはハッと我に返って、一歩下がり謝罪する。
「ああ、これは私としたことが。ご無礼を」
それから、まだ幾分上ずった声で訊ねてくる。
「それで、姫様、それはどのような?」
私はエミリアンの背後から顔を出して、少し困ったように告げる。
「口で説明しますより、絵に描いた方がわかりやすいと思います」
『うん。テラリウムの、循環の理屈は絵なしだと私が説明しづらい』
「では、さっそく建物の中へ」
グランドーニはそう言って急かしてきた。
『いやいや。まだ菜園全部見てないし』
他にも何かいい作物がないかチェックしたい。だが、グランドールのこの興奮ぶりでは……。まずそっちを教えてやらなければ、全て上の空で話にならない雰囲気だな。
『やだねぇ。すぐに興奮する熱血さんは。困ったもんだ』
諦めて、結局、こっちが折れてやることにする。
「そうですね。では、一旦お屋敷の中に……」
グランドーニは引き返すことなく、先へと歩き出す。菜園の半分以上を見て回っていたので、玄関までは戻るより先に進んでグルッと一周してしまう方が早いのだそうだ。途中に家人用の出入り口もあるのだが、まさか訪問中の王族がそんな扉から出入りするわけにもいかないらしい。
『王女の身分ってのもなかなか不便なもんだ』
菜園を過ぎると、研究対象ではなく、普段の食料として地の野菜を栽培しているらしい畑が並んでいた。
『ほぉほぉ。街中の庭で自給自足まではいかなくても、家計の助けにはなるわな』
元の世界でも、ベランダのプランターでミニトマトやネギ、昨今は夏場の省エネ対策のグリーンカーテンとしてゴーヤもよく見かけたなぁと思い出す。
『おっ、これはほうれん草か? ちょっと大きいが』
大振りだがよく見慣れた形の葉が青々と茂った畑の前で足を止め、切実に思う。
『ああ、胡麻和えかおひたしが食べたい』
サラダもバター炒めでもいいけど、やっぱりほうれん草はおひたしが一番好きだ。
問題は、和食の必需品、醤油の作り方か……。小麦と大豆と塩と麹菌。原料はわかっているけど、肝心の作り方が曖昧だ。炒った小麦と煮た大豆と麹菌混ぜて塩水で仕込む……。
『うん。大雑把にしか知らないや。材料の割合、細かな工程、発酵熟成の温度や日数の知識ゼロ。……無理だな』
失敗覚悟でトライできるほど大豆や小麦に余裕があるはずもなし。当面、和食自作への夢は諦めることにするしかなさそうだ。残る希望は、世界を旅する【流離いのレニエーロ殿下】だな。似たような調味料をご存知かもしれない。グランドーニと懇意にされているそうなので、彼を介して、問い合わせてみようか。いや、伯父に当る人なら、直接問い合わせしてもかまわないか。ともかく、作るより買う、だな。
『その方が手っ取り早いしね』
立ち止まり、ほうれん草畑を見つめたままそんなことを考えていた私に、グランドーニが振り返り不審そうに声をかけてきた。
「おや。ビートがどうかなさいましたかな?」
「あ、いえ、ちょっとほうれん……えっ、これビートですか?」
驚いて根元をよく見つめる。すると、確かに地面に少しだけカブや大根のような白い物が見えている。
『うおぉ~。なんと、お砂糖の素、砂糖大根の甜菜様ではありませんか』
そういえば甜菜は、意外にもほうれん草と同じアカザ科の植物だったなと思い出す。イメージ的には、大根やカブと同じアブラナ科に属しそうなものだが。よくわからん。
「そうです。味にかなりクセがありますが、葉が若いうちはサラダとして食べます。後はほとんど家畜の餌として利用しています」
『ほぉほぉ。家畜の餌ですかぁ。もったいないことを』
どうやらまだこの世界では、甜菜から砂糖を作る技術は開発されていないようだ。
となると、砂糖はまだ暖かい地域のサトウキビから作った物を輸入していると。つまり高価な物だということだ。蜂蜜があるから、代用品には困らないだろうとしても……。
『これは、売れるんじゃないか?』
まあ、実際には、甜菜から含蜜糖を作るところまでは知っているが、そこから不純物を取り除いた白砂糖への精製技術の知識がないわけだが。
『私って本当に中途半端だよなぁ。でもまあ、そんなに何でもかんでも知っているはずがないってことで』
もし、こんな事態になると前もってわかっていれば、いろいろと調べておいたのだが。
ただ、幸いなことに、目の前には後を任せるのにちょうどいい人たちがいるではないか。博士が植物の研究に生涯をかけているのなら、ビートから砂糖が作れる、なんて課題に飛びつかないはずがない。そして、もう一人……自国で砂糖を生産できれば、儲かる! これを見逃すはずありませんわね、宰相閣下。博士の研究開発への資金他諸々のご援助よろしくお願いしますね。
ということで、私がやることは一つ。その事実を教えてやりさえすればいい。
「博士」
私は、重々しい口ぶりで、グランドーニだけでなく宰相たちにも聞こえるように告げた。
「このビートから、砂糖が作れることをご存知ですか?」
「「「「ええぇぇ――っ!」」」」
『うん。その驚き理解できるよ。ありふれた家畜の餌が黄金に変わるよってことだもんね。だけど、そんな皆で一斉に目を見開いて見つめないでよ。……怖いよ』




