31 日記の続き
ローブから室内用の普段着に着替え終わると、朝食が運ばれてきた。豆のスープとパンとチーズとグァーブ果汁のシンプルなメニューだ。
『やっぱりコーヒー欲しいなぁ』
それでも、朝は目覚めのブラックコーヒー一杯だけで済ませる生活が続いていたので、こんな風にのんびりと朝食を摂れることは嬉しい。
朝食を終えると、グランドーニ博士邸訪問の時間まで、書斎で準備の為の書き物をして、日記の続きを読むことにする。ダミーの【レニエーロ見聞録】を手に書斎に篭る。
アヴァール暦1568年5月2日陽曜日の お母様の形見の時計が壊れた の記事の後、しばらくは時計の構造についての内容が続いている。その辺は、時計を組み立てる時に改めて読むとして、今は飛ばして先を読む。
――アヴァール歴1568年8月28日山曜日 侍女頭のリゼットが辞め、新しい侍女頭にオリヴィアが決まった。ウルヴェス大使に任命された夫君についていく為に辞めるのだからリゼットにはおめでとうなのだけど……後任がオリヴィアというのが、問題。だって、あの融通の利かない護衛のベタンクールのお姉さんだものなぁ。姉弟で組まれたら、こっそり抜け出して街に遊びに行くのも難しくなる。どうしよう?
『ププッ。エミリアンたら、もうこの時から煙たがられてるじゃん。でも、今は隊長にまで出世してるんだから、真面目に勤めてた甲斐はあったんだな』
――アヴァール歴1569年1月11日空曜日 リーヌ姉様にまたご降嫁の話が持ち込まれた。相手はあの女の取り巻きベイル伯爵家の女たらしで有名なドミニク殿。なんて無礼な。リーヌ姉様にもルイーゼ様にも全く野心はないのに。どうしてもあの女にはリーヌ姉様の第一王女という地位が目障りらしい。それとも、またいつかのように変な噂でも流れているのだろうか? リーヌ姉様たちが私を後押しして王太子廃位を狙っているとか。馬鹿馬鹿しい。これ以上の疑念を抱かれないように、極力リーヌ姉様にさえ親しげな態度を取らないようにしているのに。
『あ、そういうことか』
現王妃が、カロリーヌ姫とその母がシェリーヌ姫と親しすぎることにあからさまな警戒心を見せたり、ありもしない勢力を削ごうと色々と工作をしかけてきたんだ。それで、シェリーヌ姫はカロリーヌ姫を心配して、関係悪化を周囲に印象づけようとして、わざと反発してみせた、と。
『なんだかなぁ。結局、疑心暗鬼な現王妃サイドのせいで、わがまま姫演じさせられて、迷惑を蒙ってただけじゃん』
――アヴァール歴1569年4月25日海曜日 私の16歳の成人のお祝いにとブローサ帝国皇帝ヘルムフリート陛下から、帝国の象徴である炎竜がデザインされた豪華なネックレスが贈られてきた。「親愛なる我が姪の成人を祝す」とのメッセージを添えて。たぶん、皇帝陛下としては、大勢いる親類の一人への儀礼的な祝いなのだろうけど、受け取った側では大騒ぎになってしまった。私が紛れもなく姪だということをブローサ帝国皇帝が常に気にかけていると、周囲は思い込んでしまったみたい。でも、正妃の嫡男の陛下と、第7妃出生の14皇女だった母とでは、おそらく顔を合わせることさえ稀だったはず。そんな重大に考えなくてもいいのに。
――アヴァール歴1569年6月4日山曜日 今日はパンプルム国からも縁談が持ち込まれた。これで何件目だろう? お誕生日の皇帝陛下のお祝いがよほど衝撃的だったみたいで、周辺国からの結婚の申し込みが殺到しているらしい。私を追い出したいようであの女はすごく乗り気みたいだけど、父様と宰相のオーヴランド卿は反対らしい。そういえば、父様の豹変振りが理解不能。小さい頃は全くかまってくださらなかったのに。でも、今は困る。ルイーゼ様とのこともあるけど、父様が私にかまうと、あの女が……。証拠はないけど、クレムが殺されていたのも、きっと……。あんな小さな猫を、あんな無残に。怖い。
『うわぁ、飼い猫殺されたんだ。そりゃ、怖いわな。……そうかぁ、父親にそっけないのは、側妾との問題だけじゃなくて、嫉妬での嫌がらせを受けない為の自衛でもあったのか』
しかし、いくら嫉妬したり、勢力を削ぎたいからといって、正気だったら、帝国皇帝の姪で、前正妃出生の王女であり、現王溺愛中で、おまけに【伝説の姫巫女】という肩書き付き、こんな継子に手を出そうとはしないはずだけどなぁ。下手すれば、自滅しかねないと思うんだけど。
『うーん、よっぽど甘く見られているのか、憎しみが強いのか、それとも……よほどの後ろ盾がいるのか?』
なんにせよ、これから先、私がいろいろ動きだすと、現王妃一派はそれに過敏に反応してくる可能性が高いよな。シェリーヌ姫みたいに、変に気を使って結局悪評を立てられたり、味方である相手と疎遠になるのは絶対損だ。ここは一気呵成に押し捲って、反撃の余地を与える前に基盤を作り上げてしまうしかないよね。
『できれば、あの宰相閣下を味方につけられれば大きいんだけどなぁ』
その後の日記では、麦の大凶作、国民から大勢餓死者が出たこと、現王妃からそのことで皮肉を言われたこと、自分の無力さを嘆きながらもどうすればいいかわからないこと、【伝説の姫巫女】の名の重圧と、期待と失望の視線への恐怖と、自身への苛立ち、などの苦悩が書かれていた。
『うん。これはただの17歳の女の子には可哀想だわ。よくもってたよな』
いつ元の世界に戻るのかわからないけど、ここにいる間は、シェリーヌ姫の為にできるだけのことをしてやりたい。私の知識が役に立つなら、思いつく限りチャレンジしていこう。ただ、政治に関わることには手を出してはいけない。社会システムに急激な変化をもたらしては、この国が混乱に陥ってしまう。元の世界での常識を、この世界に押し付けてはいけない。いつまでいるかわからない為、私には最終的な責任を取ると約束することができないのだから。
『まあ、心配しなくても、それほど大それたことなんかできないわな。なにせ、友達の評価は、雑学人間であって、決して博識ってわけじゃなかったからなぁ』
「まったく、枯れてるだの、雑学で無意味な方向に物知りだの、サバイバル女子だの、皆随分勝手なこと言ってくれてたよなぁ」
思い出してついムッとしていると、ノックがして、オリヴィアが入ってきた。
「姫様、そろそろおでかけのご用意を致しませんと」
「あ、はい」
日記を書棚に戻し、書斎を出る。
『まずはグランドーニ博士と和解&協力体制を作らないとね』




