13 額鱗って?
何はともあれ、この世界の書物が読めることはありがたい。たいして動いてはいないが、今のところ違和感がないので地球と重力はほとんどかわらないのだろう。一日、一月、一年の長さも聞いてないのでわからない。そんな子供でも知っていて当然なところから覚え直しとなるのは気が重いが仕方ない。
『うーん、このお姫様の記憶がゲットできたら楽なのになぁ。まあ地球の常識と混乱して最初は大変かもしれないけど』
というか、何故早々に私は帰還を諦めているんだ? てか、もっと動揺しろよだよね。
……わかっている。そのことを考えるのが怖いんだ。今は前を見ていないと、恐怖で叫びだしたくなる。何故なら……私は自分の名前が思い出せないでいるのだ。日本にいた私という人間の記憶、ちゃんとあるのに何故か肝心の自身の名前だけが消えてしまっている。そのことに何か重大な意味があるのではないか……。
「あ、やばやば」
また思考の闇に引きずり込まれそうになって、私は慌てて声を出して大きく首を振った。
「いかがされました?」
「あ、ごめん。ちょっと暗い気分になりかけたので、それを振り払っただけ。本当に違う世界に来ちゃったんだなぁって。うん、でも、もう大丈夫。落ち込んでたって仕方ないものね。うん」
言いながら不意に目の奥が熱くなるのを止められなかった。すぐに溢れてきた涙で視界がぼやける。
「あれ? おかしい。なんでだろう。今頃」
慌てて手で涙を拭って無理に笑おうとしたが、その頭をオリヴィアがふわりと抱いてきた。
「えっ?」
驚いたが、頭が固定されて動けない。目の前にはオリヴィアの痩せている割にはそこだけ嫉妬したくなるほどの豊かな胸。
「泣いてもかまいませんよ。……お気の毒に。突然たったお一人で見も知らぬ世界に。どれほどお心細いか。なのに、あんな酷いことを申し上げでしまって。どうかお許しくださいませ」
「あ……」
オリヴィアの優しい言葉に、心が緩んでしまった。気付かなかったが、自分で思っていた以上にずっと張り詰めていたようだ。
「あ、ああぁぁ、あぁぁ」
私はオリヴィアの背中に腕を回し、抱きついて、その豊かな胸に顔を埋め、声をあげて泣き出してしまった。
片腕で私の頭を抱いたまま、もう片方の腕で背中を撫でてくれる。その優しい感覚に、もう会えないであろう母を思い出し、更に哀しみが増して、涙を止まらせないのだった。
しばらくして、泣き切った感じで、ようやく落ち着いた私はオリヴィアに声をかけた。
「あ、ありがとう。もう大丈夫です」
「本当に?」
労わるように優しく訊ねてくるオリヴィアにコクンと頷くと、オリヴィアはそっと体を離してくれた。
私は、指先で残った涙を拭いながら、照れ隠しに無理に笑ってオリヴィアに言った。
「ありがとう。泣いたらなんだかすっきりしました。でも、泣くってすっごく久しぶりで、変な感じです」
「そうなのですか。貴女はとても我慢強い方なのですね。ですが、あまり溜め込むのはお心によくありません。他の者が居る時はできませんが、こうして私や弟のみの時は、どうかそのお心の内の苦しみを素直に吐き出してしまってくださいませ」
「はい。ありがとうございます。そうさせて頂きます」
礼を言って頭を下げながら、
『いやいや。同性であるオリヴィアさんはともかく、男性であるエミリアンさんに抱きついて泣くとかはないわ。こっちも恥ずかしいし、あの生真面目さだったら、絶対うろたえるぞ、あの人』
だがそれもちょっと面白いかも、胸は無理だけど背中を借りるだけなら、などとチラリと悪戯心が湧くのだった。
『自分が怖い。自制しよう』
ところで、この際だからついでにずっと気になっていたことを訊ねてしまうことにする。実は、最初目が覚めて、私がここは違う時代ではなく、違う世界なのだろうと思ったのは、あの誘拐犯含め全員に、元の世界の人間にはないある特徴があったからなのだ。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「あの……この額の……それ、何ですか?」
そう言いながら、まず自分の額の中央の問題のブツに人差し指で触れ、次にオリヴィアの額を指差した。そこには、皆自分の髪の色と同じ色の、小指の爪ぐらいの大きさの一片の花びらのような物が貼り付いているのだ。自分の額にもその存在を確認し、こっそり爪で剥がしてみようとしたが痛くて無理だった。
「ああ、額鱗のことですね。これが何か?」
「額鱗? 鱗なのですか?」
『鱗って、魚類か爬虫類だよな。何でそんなものが人間に?』
「はい。神話では神が傍に使えていた獣に知恵を与え、御自分に似た姿に変化させたのが、我々人間の祖先だと言われています。この額鱗は、その獣であった時の唯一の名残だとか。あなたの世界の人間にはないのですか?」
『ないよ、そんなもん。恐竜から進化したわけじゃないんだから。猿だよ、猿』




