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最終章 好きになる理由

「莉緒、今日やばいよ」


「なにが?」


「顔」


「えっ」


莉緒は慌ててスマートフォンのカメラを開いた。


「待って。今日めっちゃかわいくない?」


「そういう意味じゃない」


隣で莉歌が笑う。


「緊張してる顔」


「してないもん」


「してる」


「してない」


「してる」


「……ちょっとだけ」


今日は、新曲の初ステージ。


莉緒にとっては、あのダンスブレイクを

初めて観客の前で踊る日でもある。


そして。


その直後には、莉緒の歌割りがある。


「大丈夫かなぁ」


「何が?」


「歌」


「ダンスじゃないんだ」


「ダンスは大丈夫」


即答すると、莉歌が笑った。


「そこは自信あるんだ」


「ある」


「いいじゃん」


莉緒は鏡を見る。


衣装。


髪。


メイク。


全部、アイドルだ。


でも胸の奥では、


あの日からずっと練習してきたフレーズが繰り返されている。


「莉歌」


「なに?」


「もし音外したらどうしよう」


「次、合わせればいい」


「声ひっくり返ったら?」


「戻せばいい」


「歌詞飛んだら?」


「それは知らない」


「助けてよ!」


「私のパートじゃないし」


「冷たぁい!」


二人で笑った。


少しだけ、肩の力が抜けた。


     ◇


本番5分前。


舞台袖に選抜メンバーが集まる。


客席から歓声が聞こえる。


莉緒は何度も手を握ったり、開いたりしていた。


「莉緒」


隣から声。


莉歌だった。


「なに?」


「楽しんで」


「……それだけ?」


「それだけ」


莉緒は少し笑った。


「莉歌しゃんもね」


「うん」


暗転。


イントロ。


歓声が大きくなる。


ステージへ出る。


光が降ってきた。


     ◇


身体が動く。


音を拾う。


一曲の中で、自分がどこにいるのか分かる。


誰が隣にいるのか。


次にどこへ行くのか。


何カウント後に何が来るのか。


全部、身体が覚えている。


そして。


ダンスブレイク。


莉緒が前へ出た。


歓声が一段大きくなる。


――ここは、私の場所。


身体を落とす。


踏み込む。


回る。


止める。


以前なら、全部を100パーセント全力で踊っていた。


今は違う。


見せるところ。


抜くところ。


次の呼吸。


その全部を考えながら、


それでも、舞崎莉緒らしく踊る。


最後の一音。


止まる。


次。


歌。


一瞬だけ、怖くなった。


でも。


息を吸う。


マイクを上げる。


歌った。


完璧ではなかった。


莉歌のように、


一声で空気を変えられるわけでもない。


少しだけ、声も揺れた。


でも。


届いた。


自分の声が、ちゃんと客席へ飛んでいくのが分かった。


次の瞬間、メンバーの声が重なる。


莉緒の声も、その中にちゃんとあった。


上手いとか、下手とか、その瞬間だけは、考えなかった。


ただ、みんなと一緒に歌っている。


それが嬉しかった。


莉緒は笑った。


     ◇


ライブが終わった。


「お疲れさまでしたー!」


舞台袖へ戻った瞬間、莉緒はその場にしゃがみ込んだ。


「むりぃ〜!」


「出た」


「ぺぃぴー、もう歩けまちぇん」


「さっきまであんな踊ってた人が何言ってんの」


「莉歌しゃん、運んで〜」


「無理」


「なんでぇ!」


いつものやり取り。


みんなが笑う。


莉緒も笑った。


楽しかった。


本当に。


     ◇


その夜。


莉緒はベッドに寝転びながら、


スマートフォンを開いた。


ライブの感想が、次々と流れてくる。


『莉緒のダンスやばかった』


『ダンスブレイク鳥肌』


『あそこ莉緒が前に出てくるの最高』


莉緒は笑った。


「えへへ」


嬉しい。


何度読んでも嬉しい。


やっぱり、ダンスを褒められるのが一番嬉しい。


スクロールする。


『りおぺぃぴー、ステージ降りた瞬間ばぶくなるの何』


「ばぶくないし」


小さく反論する。


次。


『莉緒の笑顔見てると、こっちまで楽しくなる』


指が止まる。


次。


『今日、莉緒の歌よかった。前より絶対安定してた』


「……え」


戻る。


もう一度読む。


『今日、莉緒の歌よかった。前より絶対安定してた』


胸の奥が、少し熱くなる。


次。


『メンバーが振付分からなくて莉緒のところに集まってるの好き』


次。


『ぺぃぴーなのにステージだと急にかっこいいのずるい』


次。


『ずっと努力してるの知ってるから、今日の歌割りなんか泣いた』


莉緒の指が止まった。


「……知ってるんだ」


誰にも見せていないつもりだった。


夜遅くまで練習していたこと。


歌が上手くいかなくて、何度も何度もやり直していたこと。


全部ではない。


きっと、ほんの一部しか見えていない。


それでも。


見てくれている人がいた。


     ◇


次の日。


ファンと短い時間だけ話せるイベント。


「莉緒ちゃん!」


「はーい!」


いつもの笑顔。


「今日もぺぃぴーだよぉ」


「昨日めっちゃかっこよかったのに!」


「昨日もぺぃぴーですぅ」


二人で笑う。


その人が言った。


「ダンス、本当に好き」


「ほんと?」


「うん。莉緒ちゃん推しになった理由、最初はダンスだった」


その言葉に、莉緒は少しだけ昨日のことを思い出した。


「最初は?」


「今はいっぱいあるよ」


「え?」


スタッフから、そろそろです、と声がかかる。


ファンは急いで言った。


「ダンスも、笑顔も、ぺぃぴーも、頑張ってるところも!」


「待って待って」


莉緒が笑う。


「多い多い!」


「まだある!」


「ほんと?」


「歌も!」


一瞬、莉緒の表情が止まった。


「……歌?」


「うん!」


次へ進む時間。


ファンが手を振る。


「またね!」


「……うん」


莉緒も手を振った。


「またね!」


その人が去ったあとも、最後の言葉だけが残った。


――歌も。


     ◇


休憩時間。


莉緒は壁にもたれて、ぼんやりしていた。


「なにその顔」


莉歌が来た。


「どの顔?」


「なんか変な顔」


「失礼な!」


莉歌が隣に立つ。


「どうしたの?」


莉緒は少し考えてから言った。


「今日ね」


「うん」


「歌が好きって言われた」


莉歌が笑った。


「よかったじゃん」


「……うん」


「なに?」


「なんか」


莉緒は自分でも、どう言えばいいか分からなかった。


「莉緒さ」


「うん」


「ずっと、ダンスしかないって思ってたのかも」


莉歌は何も言わない。


「ダンスがなくなったら、莉緒じゃなくなる気がしてた」


「なくならないでしょ」


「例えば!」


「はいはい」


「でもね」


莉緒は続ける。


「ダンスが好きって言われるの、もちろん一番嬉しい」


「うん」


「だけど」


少し笑った。


「ほかのところもちゃんと見てくれてた」


莉歌が頷く。


「そりゃそうでしょ」


「……なにそれ」


「だって私だって知ってるし」


「何を?」


「莉緒がめちゃくちゃ負けず嫌いなこと」


「それ褒めてる?」


「人に教えるときは意外と優しいこと」


「意外とって何」


「一人になるとずっと練習してること」


莉緒が黙る。


「できないと、すぐ『もう一回』って言うこと」


「……うん」


「あと」


莉歌が少し笑った。


「赤ちゃん」


「それいらない!」


二人で笑った。


     ◇


「でもさ」


莉緒が言った。


「莉歌しゃん」


「なに?」


「私、まだ歌下手だよ」


「うん」


「そこは否定してよ!」


「……前より上手くなった」


「フォロー遅いよぉ!」


莉歌が笑う。


莉緒も笑った。


そのくらいで、ちょうどよかった。


まだ上手くない。


それは、自分が一番分かっている。


でも。


下手だから、好きになってもらえないわけじゃない。


完成していないから、見てもらえないわけでもない。


昨日より今日。


今日より明日。


変わっていくところまで、見てくれている人がいる。


莉緒は小さく言った。


「もっと増やしたいな」


「何を?」


「好きな理由」


莉歌を見る。


「ダンスだけじゃなくて」


歌も。


笑顔も。


ぺぃぴーも。


頑張ってるところも。


まだ自分でも知らないところも。


「舞崎莉緒を好きでいる理由」


莉歌は少し笑った。


「欲張り」


「アイドルだもん」


莉緒は笑った。


     ◇


夜。


レッスンルーム。


莉緒は一人、鏡の前に立っていた。


いつもの場所。


いつもの鏡。


音楽を流す。


踊る。


やっぱり、楽しい。


ダンスなら、誰にも負けたくない。


その気持ちは、少しも変わっていない。


もっと上手くなりたい。


もっと見てほしい。


曲を止める。


次に、歌の練習用の音源を開いた。


歌う。


少し外した。


「あ」


止める。


以前なら、すぐに落ち込んでいた。


今は、少しだけ笑える。


「もう一回」


歌う。


今度は、さっきよりいい。


「……よし」


鏡を見る。


そこにいるのは、


ダンスの上手い舞崎莉緒。


歌がまだ苦手な舞崎莉緒。


りおぺぃぴーと呼ばれて、


みんなに可愛がられている舞崎莉緒。


負けず嫌いで、


できないことがあると、


誰もいないところで何度でも繰り返す舞崎莉緒。


全部、同じ自分だった。


     ◇


幼い頃。


テレビの前で、アイドルを見ながら踊っていた。


あの頃は、アイドルになれたら、

それで夢は叶うと思っていた。


でも。


違った。


アイドルになったら、その先があった。


選ばれたいと思った。


落ちるのが怖くなった。


できないことを知った。


自分よりすごい人を、たくさん見つけた。


それでも。


だからこそ、もっとなりたいと思った。


自分が大好きだった、あのアイドルたちみたいに。


誰かに、好きでいてもらえる人に。


理由は、一つじゃなくていい。


ダンスから始まってもいい。


笑顔でもいい。


歌でもいい。


ぺぃぴーでもいい。


「なんか分かんないけど好き」


だって、きっといい。


莉緒は鏡の中の自分を見た。


ずっと胸の中にあった問い。


――私は、


どんなアイドルになれるんだろう。


今なら、少しだけ答えられる気がした。


「莉緒ね」


鏡の中の自分に、小さく笑う。


「好きになる理由が、いっぱいあるアイドルになりたい」


まだ、全部は持っていない。


だったら、これから増やせばいい。


ひとつずつ。


ひとつずつ。


莉緒は音楽を最初まで戻した。


「よし」


再生。


音が鳴る。


身体が動く。


そして、


歌う。


完璧じゃない。


それでも、昨日より少しだけ前へ。


踊るだけじゃ、届かない。


だから私は、


歌う。


笑う。


悩む。


努力する。


そしてまた、踊る。


誰かが私を好きになる理由を、

これからも、ひとつずつ増やしていくために。



ーー完

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