第三章 嬉しいより先に
『次回作の選抜メンバーについて、近日中に発表します』
その連絡が届いたのは、夜だった。
莉緒はベッドの上で、その文章を三回読んだ。
選抜。
Rain Crownで活動している以上、
避けては通れない言葉だった。
新しい曲が始まるたび、
選ばれるメンバーと、選ばれないメンバーとに分かれる。
そしてデビュー曲。
莉緒は選ばれた側だった。
名前を呼ばれた瞬間は、今でも覚えている。
嬉しかった。
泣いた。
家族に連絡した。
ファンも喜んでくれた。
『莉緒おめでとう』
『選抜うれしい!』
『次も絶対入ろうね』
その言葉を思い出す。
――次も。
莉緒はスマートフォンを伏せた。
「……そっか」
次も、選ばれるとは限らない。
◇
翌日のレッスン。
いつもと同じ16人。
「莉緒〜、ここ分かんない」
「どこ?」
「サビの足」
「いいよ。やろ」
莉緒が踊ってみせる。
「ここで右。で、次のカウントで――」
「あ、分かった!」
「ほんと?」
「やっぱ莉緒に聞くのが一番早い」
「えへへ」
嬉しい。
いつもなら、それだけだった。
でも今日は、その言葉のあとに別の声が聞こえた。
――ダンスなら。
胸の奥で、誰かがそう言った。
ダンスなら、必要とされる。
じゃあ。
歌は?
莉緒はその考えを振り払った。
「もう一回やる?」
「うん!」
笑う。
いつもの莉緒で。
◇
歌の練習も続けた。
以前より、少しずつ音が取れるようになった。
息の使い方も分かってきた。
踊った直後でも、声が出るようになった。
それでも。
「もう一回お願いします」
録音した声を聴く。
「……ここ、まだ低い」
戻す。
歌う。
また戻す。
最近、練習時間が長くなった。
以前なら、昨日より一つできれば嬉しかった。
今は違う。
一つできても、次のできないところを探してしまう。
ダンスも。
歌も。
鏡を見る時間も増えた。
SNSも見る。
ほかのメンバーの動画が伸びている。
歌が褒められている。
ダンスが褒められている。
かわいい。
面白い。
次はこの子を選抜に。
そんな言葉が、目に入る。
自分の名前を検索する。
『莉緒のダンスやっぱすごい』
嬉しい。
『りおぺぃぴー今日もかわいい』
嬉しい。
『次も選抜入ってほしい』
嬉しい。
なのに。
最後の一つだけ、胸が苦しくなる。
"次も"
◇
「莉緒、今日残る?」
莉歌が聞いた。
「うん」
「歌?」
「歌も。ダンスも」
「今日、結構やったじゃん」
「まだできる」
「明日もあるよ」
「大丈夫」
莉緒は笑った。
「ぺぃぴー、体力だけはありまちゅから」
「そういう問題じゃないと思うけど」
「大丈夫だって」
莉歌は何か言いたそうだった。
でも、何も言わなかった。
◇
一人になった。
音楽を流す。
踊る。
止める。
動画を見る。
もう一度。
歌う。
録音する。
聴く。
もう一度。
時計を見ると、思っていたより遅い。
それでも。
「あと一回」
踊った。
少し足が重い。
「……もう一回」
踊った。
ターンがぶれた。
「違う」
もう一回。
自分でも、何を直したいのか分からなくなってきた。
それでも止まれなかった。
止まったら、誰かに追い越される気がした。
そして選ばれなくなる気がした。
◇
選抜発表の日。
16人が集められた。
空気が重い。
誰も大きな声では話さない。
ここにいる全員が分かっている。
今日、
選ばれる者と、
選ばれない者に分かれる。
莉緒は椅子に座って、両手を膝の上で握っていた。
前回とは違う。
前回は、選ばれたいと思っていた。
今は――
落ちたくない。
その違いに、莉緒自身はまだ気づいていなかった。
スタッフが前に立つ。
「では、発表します」
一人目。
名前が呼ばれる。
拍手。
二人目。
拍手。
三人目。
まだ。
四人目。
まだ。
心臓が速くなる。
五人目。
違う。
六人目。
違う。
莉緒は笑顔を作った。
名前が呼ばれた子を見る。
拍手する。
よかったね。
本当にそう思う。
なのに、自分の名前が呼ばれないたび、胸の奥が狭くなる。
そして。
「舞崎莉緒」
一瞬、聞こえなかった。
「……はい」
隣から肩を叩かれる。
「莉緒」
「あ……はい!」
立ち上がる。
頭を下げた。
「ありがとうございます!」
座る。
手が震えていた。
選ばれた。
よかった。
本当に、よかった。
胸を撫で下ろす。
なのに。
なぜだろう。
嬉しいより先に出てきた感情は、安心だった。
◇
発表が終わった。
選ばれたメンバー。
選ばれなかったメンバー。
同じ部屋にいる。
だから、手放しでは喜べなかった。
「莉緒、おめでとう」
「……ありがとう」
笑って返す。
でも、
その言葉をくれた相手が
今回選ばれなかったことを知っている。
何を言えばいいのか分からなかった。
前回とは違う。
選ばれることの嬉しさだけではなく、
その反対側が、すぐ隣にあることを知ってしまった。
◇
帰り道。
莉緒は一人で歩いた。
前回選ばれた日は、世界が違って見えた。
何を見ても嬉しかった。
今は、頭の中に次のことがある。
――次も入れるかな。
今回選ばれたばかりなのに。
もう、次が怖い。
そのとき。
ようやく気づいた。
「……あ」
足が止まった。
私。
選ばれたかったんじゃない。
落ちたくなかったんだ。
その事実が、怖かった。
◇
次の日。
「莉緒、ここ教えて」
「いいよ」
いつものように答える。
踊る。
「さすが」
「莉緒ほんと覚えるの早い」
「ダンスは任せた」
笑う。
「任せて〜」
嬉しい。
なのに、頭の中では別のことを考えている。
ダンスが上手ければ、次も選んでもらえる?
もっと上手くなれば?
歌も上手くなれば?
もっとかわいくなれば?
もっと面白くなれば?
何個あれば、大丈夫になるんだろう。
◇
「莉緒」
レッスン後。
莉歌に呼び止められた。
「なに?」
「最近、変」
「え?」
「ずっと練習してる」
「前からじゃん」
「前と違う」
莉緒は笑った。
「何が?」
「楽しそうじゃない」
その言葉に、
少し腹が立った。
「ぺぃぴーめっちゃ楽しいよ!」
「ほんと?」
「ほんとだって」
「じゃあ、なんでそんな顔してるの」
「どんな顔?」
「追いかけられてるみたいな顔」
莉緒は黙った。
「……莉歌しゃんには分かんないよ」
言ってから、しまったと思った。
莉歌の表情が止まる。
でも、言葉はもう出ていた。
「歌えるじゃん」
「莉緒」
「莉歌しゃんは歌えるから」
「それ関係ないでしょ」
「あるよ!」
声が少し震えた。
「莉歌しゃんには、歌があるじゃん」
「莉緒にはダンスがある」
「でもアイドルは歌うじゃん!」
声が響いた。
二人とも黙った。
莉緒は、自分でも驚いていた。
ずっと胸の奥にあった言葉だった。
「ダンスだけ上手くても……」
続きが出ない。
莉歌は待っている。
莉緒は俯いた。
「……選ばれなくなったら、どうしようって思う」
初めて、声にした。
「今回、名前呼ばれるまでずっと怖かった」
「うん」
「選ばれたときも」
涙が滲んだ。
「嬉しいより、よかったって思った」
莉歌は何も言わない。
「前は違ったの」
莉緒は続ける。
「アイドルになりたいって思ってた」
何度落ちても。
何度泣いても。
次を探した。
ただ、なりたかった。
「でも今は……」
声が小さくなる。
「選ばれなくなるのが、怖い」
◇
莉歌はしばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「それ、私もあるよ」
莉緒が顔を上げる。
「……嘘」
「なんで毎回嘘って言うの」
「だって莉歌しゃんは」
「歌えるから?」
莉緒は黙る。
「歌えたら、全部怖くなくなるわけじゃないよ」
莉歌は言った。
「私だって、次も選ばれるか分からない」
「でも」
「もっと上手い子が出てくるかもしれない」
莉緒は何も言えない。
「選ばれるかどうかって」
莉歌が続ける。
「全部、自分では決められないじゃん」
その言葉は、
莉緒が一番聞きたくなかったものだった。
ダンスは違う。
百回やれば、百回分だけ前へ進める。
でも。
オーディションは違った。
どれだけ踊っても、選ばれないことがあった。
選抜も、きっと同じだ。
「じゃあ……どうすればいいの?」
莉緒が聞いた。
莉歌は少し考えた。
「分かんない」
「分かんないんかい!」
思わず笑った。
莉歌も笑う。
「でも」
莉歌は続けた。
「選ばれるためだけに歌うのは、私は嫌かな」
その言葉に、莉緒は黙った。
「莉緒は?」
「……え?」
「なんのために踊ってるの?」
答えようとして、止まった。
選抜に入るため。
必要とされるため。
落ちないため。
最近の自分なら、いくらでも答えが出る。
でも。
一番最初は。
テレビの前。
ソファとテーブルの間。
何度も曲を戻して、踊っていた小さな自分。
あの頃は。
「……好きだったから」
「うん」
「踊るのが」
それだけだった。
莉歌が小さく笑う。
「じゃあ、それ忘れなきゃいいんじゃない?」
簡単に言うな。
そう思った。
選抜は怖い。
落ちるのも怖い。
その怖さは、きっと消えない。
でも。
莉緒は久しぶりに、何も考えず踊りたいと思った。
◇
夜。
誰もいないレッスンルーム。
莉緒は鏡の前に立った。
いつもなら、
動画を撮る。
角度を見る。
ミスを探す。
今日は、スマートフォンを置いた。
録画もしない。
曲を流す。
踊る。
誰にも見せない。
選抜にも関係ない。
上手く見せる必要もない。
ただ、ひたすら踊った。
身体が動く。
音が鳴る。
楽しい。
それだけで、少し泣きそうになった。
曲が終わる。
莉緒は床に座った。
息を切らしながら、
笑った。
「……楽しいじゃん」
ずっと知っていたはずなのに。
忘れかけていた。
選ばれたい。
もちろん思う。
次も入りたい。
もっと前に行きたい。
歌だって上手くなりたい。
それでいい。
でも。
落ちないためだけに、アイドルになったわけじゃない。
莉緒は立ち上がった。
鏡を見る。
「莉緒は」
少し考える。
「アイドルが好き」
幼い頃から、何も変わっていない。
そして。
「踊るのも好き」
これも変わらない。
だったら。
その二つだけは、誰にも決められない。
選ばれても。
選ばれなくても。
莉緒自身のものだ。
鏡の中の自分が、
少しだけ笑って見えた。
「よし」
スマートフォンを手に取る。
今度は、
歌の練習用の音源を開いた。
莉緒は少し笑った。
「……歌は、まだ好きって言えるほどじゃないけど」
再生ボタンを押す。
「いつか、言えたらいいな」
音が鳴る。
莉緒は息を吸った。
選ばれるためではなく。
落ちないためでもなく。
昨日より、少しだけ好きな自分になるために。
もう一度、歌った。
ーー続く




