第5話 御神木の下の家族会議
鳥居の外で、蝉が鳴いていた。
本殿の裏手にある御神木の杉は、境内で一番古い木だと陽秋が言っていた。樹高は30メートルを超え、幹回りは大人が5人手を繋いでも足りないほどだ。その根元に、人が集まっていた。
和臣は本殿の縁の陰から、その様子を眺めていた。
昨夜戻ってきた時、弓を見た冬華の目が一瞬止まった。それだけで終わり、今朝は何事もなく夜が明けた。何かが動く、という予感だけがあって、和臣は朝食の後も縁側から離れられずにいた。
冬華が中心に立っている。スーツのままだ。その周囲に、見知らぬ面々が並んでいた。漆黒の羽を背に折り畳んだ長身の男——烏天狗の風貌だ。役場のポロシャツを着た、ずんぐりとした体格の男。頭の皿こそないが、肌が妙に湿っていて、目が金色に光っている。そして宗次郎が、腕を組んで少し離れたところに立っていた。
昨夜の古書店の古狐が、神社の会議に呼ばれている。
(やっぱり、この町の全員が繋がってるのか)
「結論から言います」
冬華の声が、朝の境内に静かに響いた。
「あの人間をどう扱うか。意見を聞かせなさい。鞍馬から」
漆黒の羽の男——鞍馬が、羽を小さく動かした。
「お嬢の御意のままに……」
「そういう答えを求めているのではない」
冬華が鞍馬を見た。鞍馬は少し視線を外し、「……では」
「排除するのが筋でしょう。外の人間に、この土地のことを知られるのは本来あってはならない」
「玄は?」
ポロシャツの男——玄が、首の後ろを掻いた。
「同意見だ。早いうちに水に流しておく方が……」
「水に流す、ってどういう意味ですか?」
宗次郎が口を挟んだ。飄々とした声だ。
「あの若造、昨夜蔵から出てきましてね。わしの店にも来ました」
冬華が眉を動かした。
「知っています」
「弓を持って来ましてね。その弓、光っておりましたよ」
鞍馬の羽が、ぴくりと動いた。玄が黙った。
「おお……それは」
「霊弓が認めた人間を、排除するというのはいかがなものかと。それはお嬢の判断ではなく、この土地の判断ですから」
しばらく、誰も何も言わなかった。
鞍馬が、低く唸るような声を出した。
「……弓が認めたのなら、話は別か」
「別だろうな」と玄。「さすがにそれは、われわれも口を挟めん」
冬華は黙ったまま、御神木を見ていた。
「待って! 私からも一言言わせて」
縁側の障子が開いた。
陽秋だ。割烹着姿のまま、御神木の下へ歩いていく。和臣は思わず身を乗り出した。
「彼は私が守る」
冬華が妹を見た。銀色の目が、一瞬だけ細くなった。
「陽秋!」
「お姉ちゃんが何を決めても、私は和臣くんを傷つけさせない!」
「あなたには関係のないことよ」
「関係あるわ!!」
陽秋は冬華の真正面に立った。いつものおっとりとした笑顔ではない。唇を真っ直ぐに結んで、姉の銀色の目を見ている。
「私が連れてきた。だから私の責任」
境内の空気が、ぴんと張った。冬華は何も言わない。陽秋も引かない。鞍馬と玄が、気まずそうに顔を見合わせた。
「……熱いねえ、二姫は」
どこからか、声がした。
本殿の屋根の上だ。夏葉が、瓦の上にあぐらをかいて座っていた。制服ではなく、動きやすそうな短パン姿だ。あくびをしながら、退屈そうに下を眺めている。
「夏葉、降りなさい」
「え〜。でも、お姉ちゃんがおかしいことしようとしてるなら止めるよ」
夏葉は屋根から飛び降りた。普通の人間なら足を折るほどの高さだ。しかし着地の瞬間、夏葉の手のひらに炎が生まれ、その反動で音もなく地面に降りた。
「あの人間、あたしは嫌いじゃないし」
冬華が眉を動かした。
「夏葉まで……」
「それに、さ」
廊下の奥から、小さな声がした。
小春が、柱の影から顔だけ出していた。白銀の髪が揺れている。大きな水色の目が、冬華をおずおずと見ていた。
「……お兄ちゃん、優しかった。あたしの名前、ちゃんと覚えてくれてたし」
「小春もなの……」
「ごめんなさい、お姉ちゃん。でも」
小春の指先に、薄く霜が結んだ。本人も気づいていないのか、感情が漏れ出しているようだった。
「……嫌」
その一言が、境内に落ちた。
冬華は、三人の妹を順番に見た。陽秋。夏葉。小春。三者三様の顔が、同じ方向を向いていた。
和臣は縁側の陰から、その光景を見ていた。冬華の横顔が、ここからでも見えた。感情のない、冷たい顔だ。しかし、唇だけがわずかに引き結ばれていた。
昨日の「見てしまったわね」という声を思い出した。「あなたのために、記憶を消します」という声も。冷酷に聞こえた。しかしいま、妹たち全員に正面から押し返されている冬華の横顔を見ると、あの言葉が本当に冷酷だったのか、和臣にはわからなくなってきた。
「お嬢」
義光が縁側に現れた。咲がその隣に並ぶ。二人とも、表情は穏やかだが、目だけが真剣だ。
「まあ、一度預かってみてもいいんじゃないですか。弓も光ったことですし」
「義光さん」
「私も」と咲が静かに続けた。「少し、様子を見てもいいと思います」
咲の言葉は少ない。しかしその少ない言葉の重さを、この場の全員が知っているようだった。
冬華は、しばらく黙っていた。
鞍馬が羽を小さく動かした。玄が地面を爪先でつついた。宗次郎が、腕を組んだままどこかを見ていた。
「……わかりました」
冬華がようやく口を開いた。
「鞍馬、玄、宗次郎」
「はい」「なんですか」「へえ」
「あの人間の鍛錬に付き合いなさい。弓の扱い、この土地の霊気の読み方、実戦での動き方——それぞれ得意な分野で叩き込む」
玄が首の後ろを掻いた。
「ということは、排除はなしで?」
「夏祭りの儀式が失敗することは、あってはならない。弓が認めた以上、使える戦力を排除するほど私は愚かではありません」
鞍馬が、静かに一礼した。
「手加減は?」
「なし」
「……お嬢は相変わらず容赦がないな」と玄が苦笑した。
「陽秋、夏葉、小春」
冬華が三人の妹に向き直った。
「あなたたちも付き合いなさい。妹が連れてきた人間なら、妹が最後まで責任を持つ」
夏葉がにやりと笑った。「望むところ」
小春が和臣の方を向いて、ぱっと顔を輝かせた。
解散の空気が流れる。妖怪たちが、それぞれの方向へ散っていく。鞍馬は境内の杉の上へ、玄は鳥居の方へ。宗次郎は和臣の方をちらりと見て、薄く笑ってから姿を消した。
御神木の下に、冬華だけが残った。
夏葉と小春が陽秋の元へ駆け寄る。小春が陽秋の袖をぎゅっと掴んだ。夏葉が「やるじゃん、二姫」と肩を叩いた。
その様子を、冬華は御神木に背を向けたまま見ていた。
和臣は縁側の柱から身を離した。冬華がこちらを向いた。目が合う。
冬華は何も言わなかった。ただ、和臣を一秒だけ見て、本殿の奥へ歩き去った。その背中は、昨日と同じ濃紺のスーツだ。毛先の銀が、木漏れ日の中でかすかに光った。
「和臣くん!」
小春が走ってきた。勢いよく和臣の腕に抱きついて、顔を埋める。
「怖かった?」
「……少しだけ」
「ごめんね。お姉ちゃん、ああ見えて悪い人じゃないから」
「知ってる」
本当にそう思う、と和臣は思った。悪い人ではない。ただ、何かを怖がっている。それが何なのかは、まだわからないが。
「お腹すいた?」
陽秋が近づいてきた。割烹着のまま、いつものおっとりした顔に戻っている。ただ、目の端がまだわずかに赤かった。
「きつねそば、作るよ」
「……また甘いやつ?」
「甘いやつ」
和臣は少し考えて、「食う」
境内の外で、蝉がまた鳴き始めた。




