表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/28

第25話 夏の終わりと、また来る約束

 翌朝の八守町は、静かだった。


 境内の後片付けが、夜明け前から始まっていた。妖怪たちと人間たちが入り混じって、砕けた石畳を運び、倒れた屋台の骨組みを片付け、散らばった枝を集めた。昨夜の混乱が嘘のように、てきぱきと動いていた。


 和臣は地質図を持って、境内の状態を確認して回った。龍脈の振動が、昨日までと明らかに違った。弓から伝わってくる波が、穏やかで、均一だった。1800年分の歪みが消えて、この土地の地脈が初めて正しく流れている。


 数値を記録しながら、和臣は少し笑った。


 この地質図、卒業論文に使えるかもしれない。指導教授が信じるかどうかは、別の話だが。


◇◆◇◆◇


 昼前に、各々が和臣のところへ来た。


 玄が最初だった。川沿いを歩いていたら、後ろからついてきた。


「次の祭りまでに、水脈のデータをまとめておけ」

「来年も俺が来る想定で言ってますよね?」

「当然だろ。要石の安定を確認するのはお前の仕事だ」

「……わかりました」


「あと」玄は川の方を向いた。「まあ、お前が来て、悪くなかった」


 それだけ言って、川の方へ歩いていった。水面を渡りながら、振り返らなかった。



 鞍馬は御神木の上から声をかけてきた。


「弓の腕は、まだ粗削りだ」

「そうですね」

「来年、また鍛えてやる」

「はは、お手柔らかにお願いします」


 鞍馬は何も言わずに、翼を広げて飛んでいった。それが、鞍馬なりの別れだった。




 宗次郎が古書店の前で待っていた。


「婿殿、地質学の論文を書く時は、相談に来なさい」

「どうにも参考文献にできない情報ばかりですが……」

「それがいい研究というものじゃ」


 宗次郎は薄く笑って、古書店の中へ消えた。


 珠子がコンビニのエプロン姿で、境内の掃除をしていた。和臣が近づくと、ほうきを止めて振り返った。じっと和臣を見た。


「……あんたなら、陽秋ちゃんを任せられるね」

「急に、なんだよ」


「急じゃない。ずっと見てた」珠子はほうきを再び動かした。「さっさと陽秋ちゃんを連れて出かけなよ。2週間あるんでしょ」


「まだ昨日の後片付けが……」

「あたしたちがやる。あんたの仕事は終わった」


 珠子が顎で鳥居の外を示した。


◇◆◇◆◇


 陽秋を連れて、町に出た。


 真夏の日差しが、商店街に降り注いでいた。昨夜の嵐が嘘のように、空は青くて高かった。壊れた屋台はほとんど片付いていて、いくつかはもう営業を再開していた。


 玄が通りかかった。和臣を見て、それから陽秋を見た。軽く顎をしゃくった。行ってこい、という意味らしかった。最初に会った時の、あの値踏みするような目とは全然違う。


 鞍馬の配下のカラス天狗が、電柱の上に止まっていた。和臣が気づくと、小さく羽を動かした。昨夜、一緒に戦った仲間だ。


「みんな、態度が変わったね」


 陽秋が言った。


「そうか?」

「全然違う。最初はあなたのことを値踏みしてたのに、今は……なんか、家族みたいな目で見てる」


 和臣は商店街を歩きながら、その言葉を噛みしめた。


 宗次郎の古書店の前を通ると、引き戸が少し開いて、眼鏡が覗いた。「お、熱々じゃな」という声がして、引き戸が閉まった。


「今のは余計だ」

「宗次郎さんらしい」


陽秋がくすっと笑った。



 川沿いの道に出た。天竜川の支流が、エメラルドグリーンに輝いていた。昨夜の濁りが嘘のように、底まで透き通っていた。白い岩盤が、水中に静かに沈んでいた。


 和臣は川を見た。


 飯田線の車窓から初めてこの川を見た時のことを思い出した。褶曲しゅうきょくがおかしい、と思った。理屈が合わない、と思った。その理屈の合わなさが、全部この町の1800年分の歪みだった。


「何考えてるの?」


 陽秋が隣に並んだ。


「最初にこの川を見た時のことを」

「飯田線の中で、ガラスに張りついてたやつね」

「張りついてなかった!」

「張りついてたよ~」


 陽秋が和臣の腕に手を絡めた。さらっと、自然に。


 和臣たちはそのまま歩いた。



 真夏の日差しが、川面に反射して眩しかった。陽秋の栗色の髪が、光を受けて輝いていた。




 神社に戻ると、ちょうど夏葉が部活から戻ってきた。汗だくのまま、和臣を見つけると手を振った。


「和兄、まだいるんだ」

「そ、夏休みが終わるまで」

「じゃあまだ鍛えられるな」

「ほどほどで勘弁してほしい」


「嫌だ」夏葉はさらりと言った。「……昨日のこと、よくやった。ほんとに」


「それは、夏葉が夏葉でいてくれたおかげだ」

「どういう意味?」

「炎で押し続けてくれたから、俺が計算する時間が作れた」


 夏葉は少し鼻の頭を掻いた。照れているらしかった。


「まあ、それが役割だから」


 小春が廊下の奥から駆けてきた。和臣の腕に抱きついた。


「お兄ちゃん、まだ帰らないよね?」

「夏休みが終わるまではいる」


「よかった」小春は離れて、和臣を見上げた。水色の目が、真剣だった。「来年も来る?」


「来るよ」

「約束?」

「うん、約束」


 小春がぱっと顔を輝かせた。それからすぐに、「大事なことだから指切りして」と小指を差し出した。


 和臣は指切りをした。


◇◆◇◆◇


 義光が縁側で待っていた。作業着姿に戻っていた。和臣が近づくと、立ち上がって、盛大にバシンと肩を叩いた。


「婿殿、よくやった! あとはもう婿入りだな!」

「義光さん」

「なんだ!」

「いつも婿殿と呼んでいたのは、まさかこのためですか」

「そりゃそうだ! 最初から婿殿だと思っとった!」


 和臣は苦笑した。義光はまた笑って、今度は優しく肩に手を置いた。


「真面目な話、お前さんに感謝してる。冬華が、久しぶりに肩の荷を下ろした顔をしてた」

「義光さんたちが1800年守り続けてきたおかげです」


「俺たちは護り手だ。守るのが仕事だ」義光は御神木を見た。「でも、守るだけじゃ変えられないこともある。お前さんが来て、変わった」


 台所から咲が出てきた。盆を持っていた。冷えたトマトと、きゅうりだ。


 盆を縁側に置いて、和臣を見た。


「……また来なさい」


 咲が、はっきりと言った。いつもの無言でも、紙に書くのでもなく、声で言った。


「……はい」



◇◆◇◆◇


 夕方、冬華が本殿から出てきた。


 スーツ姿だった。出勤してきたのか、これから出かけるのか。和臣を見て、少し立ち止まった。


「もうすぐ帰るの?」

「夏休みが終わるまではいます。あと2週間ほど」

「そう」


 冬華は視線を境内に向けた。後片付けが進んで、石畳の修繕が始まっていた。


「……要石の安定を、定期的に確認する必要があるわ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ