第23話 覚醒の依代と白銀の神火
弓を引いた。
翠玉の翠の光が、弓に流れ込んできた。熱くない。冷たくもない。ただ、巨大だ。地脈全体の重さが、手のひらを通じて体に入ってくる。1800年この土地に在り続けた力の質量が、弓という細い管を通って集まってくる。
膝が笑いそうになった。
こらえた。
「お前たちの力、俺に貸してくれ!」
叫んでいた。考えてから言ったのではなかった。体が先に動いていた。
陽秋が和臣の背中に手を当てた。
七尾が全開になった。黄金の光が和臣の背中から弓へと流れ込んだ。土の温もりだ。大地の、根の、この土地そのものの温もりだった。
「夏葉! 小春!」
夏葉が和臣の右腕に手を置いた。炎の熱が、弓の光に混ざった。
「やれ、和兄!」
小春が左腕に触れた。霜の冷気が走った。炎と氷が弓の中で交差して、白い光になった。
「お兄ちゃん、全部あげる!」
冬華が和臣の前に立った。
傷ついた九尾を、もう一度広げた。残った力を全部、弓に向けて放出した。銀の光が金と炎と氷と混ざって、弓全体が眩しく輝いた。
「……全員に感謝しなさい」
冬華の声が、かすれていた。
「後で……」
「今言いなさい」
「ありがとうございます!」
「よろしい!」
鞍馬が上空から翼で風を送った。霊気の風が、矢の軌道を整えた。玄が地面に水を流した。龍脈の流れを、わずかに誘導した。宗次郎が古書店から古い巻物を広げて、何かを詠唱していた。
弓が、弾けそうなほど光っていた。
和臣の目の奥に、何かが見えた。
地図だ。
地質図ではなく、地脈の地図だ。龍脈の流れが、光の筋になって見えた。歪みが見えた。核の場所が見えた。地表から33メートル。岩盤の断層と断層が交差する点。1800年前から少しずつズレ続けてきた、本当の要石の核。
(そこだ!!)
和臣は目を開けた。
射た。
音がなかった。
白銀と金と炎と氷と銀が混ざった光が、一本の矢になって夜空を裂いた。境内の黒い霧を貫いて、石畳に突き刺さり、地中へ消えた。
一瞬の静寂。
地面が、光った。
さっきとは違う。石畳の間からではなく、地面全体から。境内の下、山全体の下から、白い光が押し上がってきた。龍脈が整っていく。その感触が、足の裏から全身に伝わってきた。
鞍馬の配下のカラス天狗たちが、御神木の上から一斉に飛び立った。翼を広げて、境内の上空に円を作った。その翼が一斉に動いて、霊気の風が渦を巻いた。光を、地中へと押し込むように。
茂助が菅笠を脱いだ。この場で初めて見る、茂助の素顔だった。丸い顔に、細い目。静かに両手を合わせていた。言葉はなかった。ただ、この土地が安定することを、誰よりも長く願ってきた存在として、手を合わせていた。
亀裂が、塞がっていく音がした。
地鳴りが収まっていく。石畳のひびが、光を帯びながら閉じていく。1800年ずっとズレ続けてきた何かが、あるべき場所に戻っていく音だった。
宗次郎が、眼鏡を押し上げた。
「……龍脈の乱れが」
声が、震えていた。古狐が、何百年も生きてきた古狐が、声を震わせていた。
「止まっとる。1800年ぶりに、正しい位置に戻った」
誰も何も言わなかった。
忌みが、悲鳴を上げた。形のない声だった。黒い霧が薄くなっていく。触手が縮んでいく。義光と咲の石化が、止まった。
忌みが、消えた。
黒い霧が、全部消えた。
夜の境内に、静寂が戻った。
◇◆◇◆◇
全員が、その場に崩れ落ちた。
陽秋が膝をついた。夏葉が石畳に手をついた。小春が座り込んだ。冬華が、片膝をついた。
和臣は呆然と立っていた。
霊弓が、ゆっくりと光を失っていった。
それでも、手のひらの振動は残っていた。弱く、しかし確かに……。
(終わった……?)
玄が川の方から戻ってきた。消耗しているが、足はしっかりしていた。
「……要石が、戻ったか?」
宗次郎が地面に耳を当てた。眼鏡が落ちた。拾わずに、しばらくそのままでいた。
「……龍脈の流れが--」
立ち上がって、眼鏡を拾った。
「整っとる。1800年ぶりに、正しい位置に」
夏葉が石畳に仰向けに倒れた。
「……終わったの?」
「終わった」
「……はぁ、疲れた」
「俺も……」
小春が和臣の腕に抱きついた。体の半分が冷えていた。力を使いすぎた証拠だ。
「お兄ちゃん、すごかったね!」
「みんなのおかげだって」
「でも、引いたのはお兄ちゃんだよ」
陽秋が立ち上がった。和臣の前に来た。何も言わずに、和臣の胸に額を当てた。
和臣は、その頭に手を置いた。
翠玉が降りてきた。先ほどより小さくなっていた。力を使い果たしたのかもしれない。しかし翠色の目は、穏やかだった。
「……よくやった」
「翠玉様のおかげです」
「いや」翠玉は首を振った。「私の力は呼び水に過ぎない。要石の核まで届いたのは、この場にいる全員の力が一つになったからだ」
翠玉の目が、義光と咲に向いた。石化が止まった二体の狛犬が、ゆっくりと人の姿に戻っていた。義光が人の形に戻ると、膝から崩れ落ちた。咲が静かに義光の隣に座った。
「義光、咲。永らく苦労をかけた」
義光が顔を上げた。目が、赤かった。
「……お役に立てたなら、それで」
咲が黙って頷いた。
境内が静かだった。
夜の空が、少しずつ変わり始めていた。
黒かった雲が、端から光り始めていた。
何かが来る、と和臣は感じた。終わったのに、まだ何かがある。龍脈の振動が、弓を通じて教えていた。
きっと、これは、終わりではない。
始まりなんだ。




