第22話 四姉妹の死闘と座敷童子
「頼み、とはなんでしょうか?」
和臣は翠玉を見上げた。
「私の力を、お前の弓に通せ。龍神の霊力を依代を通して放てば、30メートルの深度でも届く。しかし--」
翠玉の目が、和臣を見た。
「依代が器として耐えられるか、私にも確信がない。覚悟の上で引き受けるか」
「やります」
「即決だな」
「翠玉様が失態と仰った。1800年分を俺が背負うのは筋が違いますが、今ここで引き受けないと全員が終わるのでは?」
翠玉は少し沈黙した。それから、低く笑った。
「……賢い。では準備に入る。しかしその前に--」
翠玉の目が、忌みに向いた。
「あれを抑えなければならない。このまま膨張を続ければ、和臣が射る前に町が飲まれる」
◇◆◇◆◇
忌みが、また大きくなっていた。
鳥居をくぐる寸前まで、その黒い体が膨れ上がっていた。義光と咲の石化が、膝まで進んでいた。二体の狛犬は動きを止めていなかったが、明らかに重くなっていた。石になりながら、それでも踏ん張っていた。
「お父さん、もう退いて!」
陽秋が叫んだ。
「まだだ!」義光の声は揺るがなかった。「こいつが通ったら町が終わる!」
忌みが触手を伸ばした。玄が水流で弾いた。しかし触手が水に触れた瞬間、水が黒く染まった。玄の顔が歪んだ。
「……飲み込まれる」玄が歯を食いしばった。「力を吸われる」
「退け、玄!」
鞍馬が真空波を叩き込んだ。忌みが分裂した。分裂した破片が、それぞれ別の方向に向かって動き出した。一つが人々の逃げた方向へ向かった。
「珠子! 危ない!!」
宗次郎が叫んだ。珠子が素早く動いた。二尾を完全に展開して、忌みの破片の前に立ちはだかった。幻術を使って、忌みを惑わせる。しかしその顔が青かった。消耗が激しい。
「和兄! 早く!」
夏葉が炎の壁を張りながら叫んだ。
「翠玉様の準備が必要だ。もう少し時間をくれ」
「時間がないんだよ!」
小春が霜の柱を何本も作って、忌みの動きを封じようとした。しかし霜が次々と溶かされていく。小春の顔に、汗が流れた。
陽秋が和臣の前に出た。
「私が壁を作る。その間に!」
「陽秋!?」
「大丈夫。信じて!」
陽秋が地面に両手をついた。岩盤が割れて、大地の壁が立ち上がった。忌みが壁を叩いた。壁がひびを入れながらも、持ちこたえた。
陽秋の顔が、苦しそうに歪んだ。
「陽秋、無理するな」
「無理してない!」
嘘だ、と和臣にはすぐにわかった。岩盤の壁を維持しながら、陽秋の七尾がわずかに揺れていた。力の消耗が見えた。
忌みが別の方向から回り込んだ。
「和臣くん、左!」
声は冬華だった。
冬華が和臣の左前に出た。九尾を展開して、忌みの突進を正面から受けた。白銀の光が黒に押された。冬華の足が、石畳を削りながら後退した。
「冬華さん!」
「問題ないわ!」
問題ある、とこれも和臣にはわかった。冬華の白衣の袖が、黒く染まっていた。忌みの黒が、冬華の力を侵食していた。
「私たちの家族に手を出すな!」
夏葉が全力の炎を解放した。忌みが分裂した。炎が効かないのに、夏葉は止めなかった。
「分裂させて動きを遅らせる! 小春、氷の壁!」
「わかった!」
夏葉が炎で追い立て、小春が氷の柱で動きを制限する。連携だ。二人がいつの間にか呼吸を合わせていた。
しかし追いつかない。
忌みの総量が、減っていなかった。地面から供給され続けている。要石の核がズレたままである限り、忌みは無限に湧き続ける。
「和臣!」
宗次郎が叫んだ。
「翠玉様の準備は?」
「もう少しかかる!」
「もう少しの余裕がない! 冬華お嬢が限界に近い!」
和臣は冬華を見た。
冬華の九尾が、三尾まで畳まれていた。力を使いすぎている。白衣の裾が乱れて、黒い染みが広がっていた。それでも銀色の目は、前を向いていた。
陽秋が気づいた。
「お姉ちゃん!」
「問題ない、から……」
「問題ある! 退いて!」
「でも、退いたら和臣が——」
「私が護る!」
陽秋と冬華が、一瞬目を合わせた。何かが伝わった。冬華がわずかに下がった。陽秋が前に出た。七尾を全開にして、岩盤の壁と大地の力を同時に展開した。陽秋の顔に、汗が光った。
その時、和臣の足元に何かが触れた。
小さな手だった。
見下ろすと、座敷童子が和臣の足元にいた。おかっぱ頭に赤い着物。黒い霧の中で、その赤だけが鮮やかだった。
座敷童子は和臣を見上げた。にこりと笑った。それから、和臣の背中を、小さな手でそっと押した。
その瞬間、何かが流れ込んできた。
温かい何かだ。この祭りに集まった人々の、思い。笑い声。花火を見上げた顔。屋台で食べた焼きそば。子供が走り回っていた広場。この町が1800年積み上げてきた、日常の重みが、座敷童子の手を通じて和臣の体に流れ込んできた。
霊弓が、光った。
今までとは違う光だ。白銀ではなく、金色に近い。弓全体が、温かく輝いていた。
「和臣くん」
陽秋が振り返った。岩盤の壁を維持したまま、和臣を見た。その目が、大きくなった。
「……その光は!?」
翠玉の声が、上から降ってきた。
「——来たか。依代が、器として応えた」
翠玉の翠の光が、和臣の金色の光に向かって伸びてきた。
「和臣よ。今だ! 弓を引け!!」




