第19話 屋台デートと神楽の夜
祭りの一日目は、夕方から始まった。
陽が傾くと同時に、鳥居の外の広場に人が集まり始めた。人間と妖怪が、見分けのつかない顔で混ざり合っている。子供が走り回り、浴衣姿の女性が笑い声を上げ、屋台の煙が夏の空に立ち昇った。
和臣は白衣袴ではなく、今日は浴衣だ。陽秋が用意してくれた。紺地に白い幾何学模様。着慣れない分、少し動きにくいが、悪くはないと思う。
陽秋が隣に並んだ。淡い黄色の浴衣に、白い帯。栗色の髪を結い上げている。
「似合ってるよ」
和臣が言うと、陽秋の耳が赤くなった。
「……和臣くんもね」
「でも着慣れないな」
「すぐ慣れるよ」
二人で鳥居をくぐった。
◇◆◇◆◇
広場の屋台は、なかなかカオスだった。
焼きそばの屋台に、玄が立っていた。ポロシャツではなく、祭り用の半纏を羽織っている。金色の目で客をじっと見ながら、無言で焼きそばをひっくり返していた。
「玄さん、愛想が……」
「うるさい。食うか食わないかだけ言え!」
「食います。ぜひいただきます!」
玄が焼きそばを皿に盛った。量が多い。
「……お前の分と陽秋嬢ちゃんの分だ。金はいらん」
「えっ!?」
「祭りだ。細かいことを言うな」
玄は次の客に向き直った。和臣は焼きそばを受け取って、陽秋に渡した。
隣の射的の屋台に、宗次郎がいた。丸眼鏡をかけたまま、縁日の射的屋そのものの格好をしている。
「婿殿、一発やってみるか?」
「弓を引くのとは違いますよ……」
「同じようなものじゃ」
「全然違います、って!」
陽秋が和臣の袖を引いた。「やってみなよ」
和臣は渋々コルクガンを構えた。3発撃って、2発当たった。宗次郎が「ほほう」と眼鏡を押し上げた。
「なかなかやるな!!」
「明日の奉納の方がずっと難しい、と思う……」
「それはそうじゃ」
宗次郎は景品棚から小さなキツネの置物を取り出して、和臣に押しつけた。
「これを持っていきなさい。この土地のキツネは、縁起がいい」
金魚すくいの屋台では、珠子が退屈そうに頬杖をついていた。コンビニのエプロンではなく、今日は浴衣だ。黒地に金の模様。二尾の狐にしては、やけに様になっている。
「珠子さん、浴衣だ」
「当たり前でしょ。祭りだもん」
「似合ってますね」
「知ってるぅ。どうよ、どうよ!」
珠子は金魚すくいのポイを差し出した。
「陽秋ちゃんに取ってあげなよ」
和臣がポイを受け取ると、珠子はぼそっと言った。
「明日、頑張ってね。あたし、冬華お嬢が笑うとこ、もっと見たいから」
和臣は珠子を見た。珠子は視線を金魚の水槽に落としていた。
「……頑張ります」
「うん」
夜空に花火が上がった。どん、という腹に響く音と、光の輪が夜空に咲いた。
続けて二発、三発。赤、青、金と色が変わって、谷間に響いて消えた。
陽秋が「わあ」と空を見上げた。その横顔に、花火の光が当たった。
「きれいだな」
和臣が言うと、陽秋は空を見たまま頷いた。
「毎年見てるのに、毎年きれいだって思う」
「祭りの夜だからかかな?」
「それもあるけど」陽秋は和臣を見た。「今年は特別な気がする」
また花火が上がった。金色の光が散って、二人の顔を照らした。
広場の向こうで、鞍馬が子供に囲まれていた。烏天狗の格好そのままで、団扇で風を起こして子供たちを喜ばせている。そういうことができる男だったのか、と和臣は少し驚いた。
茂助が菅笠をかぶったまま、屋台を冷やかして歩いていた。和臣と目が合うと、にっこりと笑って、また歩き去った。
この町の夜は、賑やかだった。
◇◆◇◆◇
二日目は、神楽の夜だった。
夕暮れ時、本殿の前の広場に篝火が焚かれた。橙色の炎が、夜の境内を照らし出す。人と妖怪が輪を作って座り、静かに待っていた。笛と太鼓の音が谷に響き始めた頃、四人が現れた。
白衣に緋袴。冬華が先頭に立ち、陽秋、夏葉、小春と続く。全員が巫女衣装で、足元が静かだった。篝火の光が、四人の影を長く引いた。
舞が始まった。
冬華が最初に動いた。
白衣の袖が弧を描き、緋袴の裾が揺れた。その動きに合わせて、境内の気温が下がった。はっきりとわかる冷え込みだ。7月の夜の熱気が引いて、足元から冷気が這い上がってくる。石畳に薄く霜が結んで、篝火の光に青白く光った。冬華の銀色の目は、ただ前を見ていた。感情のない、しかし深い目だった。
陽秋が続いた。
一歩踏み込むたびに、地面が応えた。足の裏から、地脈の振動が伝わってくるのがわかった。篝火の向こうの草が揺れ、御神木の根元から細い光の筋が走った。土の匂いがした。雨の後の、豊かな土の匂いだ。白衣の裾がゆっくりと広がって、陽秋が両腕を空に向けた瞬間、境内の空気が一度だけ、大きく動いた。
和臣は息を呑んだ。
夏葉が前に出た。
指先から小さな炎が生まれ、舞に合わせて螺旋を描いた。篝火と呼応して、炎が高くなった。冬華の冷気と夏葉の炎が交差する場所で、白い靄が生まれた。それは消えずに境内に漂って、神楽の場を包んでいく。
小春が最後に加わった。
白銀の髪が広がり、指先から霜の結晶が飛んで月明かりに散った。小春の動きは他の三人より小さかったが、その分繊細だった。一粒一粒の結晶が光を受けて、境内に星をばらまいたような光景を作った。
四人の力が重なった瞬間、和臣の手の中で霊弓が振動した。
地脈だ。神楽によって整えられた龍脈の流れが、弓を通じて伝わってくる。ばらばらだった力の流れが、一つの方向を向いていく感触。明日、矢を射るべき場所の確信が、さらに強くなった。
和臣はそのまま、陽秋を見ていた。
白衣の袖が月明かりに揺れて、栗色の髪が篝火の光に染まっていた。普段の、おっとりとした陽秋ではない。この土地の二の姫として、七尾の妖狐として、ここに根ざした何かが、舞の中に出ていた。
「婿殿」
義光がこっそり肘で突いた。
「口、開いてるぞ」
和臣は口を閉じた。
「開いてなかった、です」
「開いてた。ぽかんとしてたぞ」
「してなかった、です」
「してたしてた。まあ、わかるけどな」
義光は篝火を眺めた。
「あの子は、舞ってる時が一番きれいだ。俺もずっと見てきたから、わかる」
和臣は黙っていた。
義光が低く言った。先ほどと違う空気だ。
「神楽はな、結界の下地を作る儀式だ」
「下地?」
「四人が舞うことで、この土地の霊気が整う。龍脈の流れが揃う。明日の奉納の矢は、その整った龍脈の急所を射抜いて、結界を固定する。二日かけて、一つの仕事が完成するんだ」
「じゃあ神楽がうまくいかないと……?」
「矢を射ても固定できない。神楽と奉納は、セットだ」
義光は篝火を見た。
「毎年見てるが、何度見ても飽きない。あの四人が揃って舞う姿は——何があっても守りたいと思う」
和臣は何も言わなかった。
境内の端、御神木の上に、漆黒の影があった。鞍馬だ。翼を畳んで、神楽を見下ろしていた。和臣と目が合うと、鞍馬は小さく頷いた。それだけだった。
神楽は、静かに終わった。
四人が礼をした。篝火の光の中で、冬華の毛先の銀が揺れた。陽秋が、舞の後でも表情を変えずにいた。しかし、その目が和臣を見つけた瞬間だけ、少し柔らかくなった。
明日が、本番だ。




