第13話 地層に眠る古い手帳
朝から宗次郎が来ていた。
古書店から風呂敷包みを抱えてきて、縁側に広げた。古文書の写しや、崩し字で書かれた巻物の類いだ。
「奉納の所作についてはな、この辺に記録が残っておる」
「読めますか、これ?」
「読めんが、わかる」
「それはどういう……?」
「長く生きると、字の意味より気配でわかるようになるもんだ」
和臣はとりあえずスマホで写真を撮った。
「何をしとる?」
「AIに読み込ませます。崩し字でも解読してくれるので……」
宗次郎の動きが止まった。
「……あい?」
「人工知能です。テキストを入力すると答えを返してくれる」
「人工……知能」
宗次郎は眼鏡を押し上げた。珠子が縁側から身を乗り出してきた。
「それ、妖術?」
「違います。技術です」
「どう違うの?」
「説明すると長いんだよなぁ」
和臣が画面を操作して写真をAIに投げると、数秒で解読文が返ってきた。宗次郎と珠子が画面を覗き込んだ。
「……これ、わしが読んだのと同じ内容が出とる」
「そうですね」
「何百年も生きて習得した読み方を、この板切れが一瞬で!?」
「まあ、そうなりますね」
宗次郎はしばらく黙った。それから、静かに言った。
「……人間というのは、油断ならん」
「ありがとうございます」
珠子が和臣のスマホをじっと見ていた。
「これ、あたしのこと調べられる?」
「名前がわかれば何か出るかもしれませんが……」
「やめて。何も出なかったら、それはそれでショックだから」
「ははは、調べませんよ」
縁側の柱に寄りかかって、珠子が欠伸をしていた。なぜここにいるのか、和臣にはまだわからなかった。コンビニのエプロンのまま来ている。
「珠子さん、今日はお休みですか?」
「昨日の夜勤明けで上がり。今日はフリー」
「それでわざわざ神社に来るとは……」
「陽秋ちゃんに会いたくて、ね」珠子は目を細めた。「それに、和臣くんの顔も見たかった」
「俺の?」
「陽秋ちゃんが大事にしてる人間って、どんな顔してるのかなって」
珠子は和臣をじっと見た。「ふーん。まあ、悪くない。改めてちゃんと見たけど」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
宗次郎が古文書から顔を上げて、珠子を見た。
「嬢ちゃん、邪魔するな」
「してないし~」
「しとる」
二人が言い合いを始めたので、和臣はそっと縁側を離れた。
◇◆◇◆◇
北斜面の調査は、今日で5日目になっていた。
龍脈の歪みが最も強い地点は、少しずつ特定できてきていた。弓から伝わる振動の強さと、クリノメーターの数値を照らし合わせながら、和臣は毎日データを積み重ねている。あと6日で祭りだ。龍脈の急所を特定できれば、奉納の矢を射る地点が決まる。
斜面の中腹、安山岩の露頭が重なり合った場所で、クリノメーターの数値が大きく跳ねた。
(ここか……)
和臣はしゃがみ込んで、岩盤の隙間を覗き込んだ。亀裂が縦に深く入っている。指を入れると、冷たい空気が漏れてくる。地下空洞の気配だ。
ハンマーで慎重に叩くと、岩盤の一部が崩れた。
その下から、何かが出てきた。
金属製の筒だ。蓋が錆びている。直径5センチほど、長さ20センチほどの円筒形。タイムカプセルに使うような容器だ。
和臣は筒を取り出した。ずしりとした重さがあった。
蓋をこじ開けると、ビニールに包まれた薄い冊子が出てきた。
フィールドノートだった。
◇◆◇◆◇
岩の上に座って、和臣はそのノートをゆっくりと開いた。
ページが黄ばんでいる。インクは薄れているが、読める。几帳面な字だ。
最初のページに、日付があった。
10年前の、7月。
地質学のフィールドノートだ。岩盤の走向、傾斜角、露頭のスケッチ。見慣れた記録の形式だ。しかし4ページ目から、様子が変わった。
――――神社の娘と話した。長女だという。名前は冬華。銀色の目をしている。怖いくらい綺麗だ――――
和臣の手が止まった。
読み続けた。
――――また来た。今日は地層の話をした。彼女は意外と興味を持って聞いてくれた。目が、普通じゃない。見られると、背筋が冷える。でも、逃げたくならない――――
――――今日、冬華が笑った。初めて見た。こんな笑い方をするんだ、と思った。忘れられない気がする――――
――――竜神のお告げでここに来た、と冬華に話したら、しばらく黙っていた。それから、『私もあなたが来るのを待っていた気がする』と言った。どういう意味か聞けなかった――――
風が吹いた。
ページが、めくれた。
和臣は手でページを押さえて、先を読んだ。
――――弓に触れた。光らなかった。冬華の表情が、一瞬だけ変わった。何かを心配していたのだと、その時わかった――――
――――それでも彼女は笑ってくれた。『関係ない』と言った。俺は彼女を好きになっている。これは間違いない――――
――――龍脈の調査で崖に行く。冬華は止めた。でも、データが必要だ。ここまで来て諦めたくない。行ってくる――――
そこで、文字が終わっていた。
最後のページだった。
和臣はノートを閉じた。
山の上で、蝉が鳴いていた。遠い川の音。それ以外は静かだった。
朝倉、という名前が、ノートのどこかにあったのかもしれない。確認しなかった。
ただ、10年前に、自分と同じような誰かがここにいて、冬華と出会って、弓に認められないまま、この山で死んだのだとわかった。
(だから冬華さんは……)
和臣はノートを鞄に入れた。
斜面を下り始めた。神社まで戻る足が、いつもより重かった。
◇◆◇◆◇
境内に戻ると、珠子がまだいた。縁側で陽秋と並んで話していた。宗次郎の姿はない。引き上げたらしい。
陽秋が和臣の顔を見て、立ち上がった。
「どうしたの? 顔色悪いよ」
「少し、聞いてもらえるか」
珠子が和臣を見た。細い目が、いつもより少し細くなった。それから、すっと立ち上がった。
「あたし、席外すね」
「いいですよ、別に」
「いい。これは二人で話した方がいい話っぽい。私の嗅覚がそう言ってる」
珠子はエプロンのポケットに手を突っ込んで、鳥居の方へ歩いていった。鳥居をくぐる前に、一度だけ振り返った。
「和臣くん」
「はい」
「お嬢のこと、嫌いにならないでね」
それだけ言って、珠子は鳥居の外へ消えた。
陽秋が和臣を見ていた。
「……何か見つけたの?」
和臣は鞄からノートを取り出した。陽秋の目が、それを見た瞬間に、固まった。
「……知ってたのか」
陽秋は少し間を置いてから、静かに言った。
「断片的に。子供の頃だったから、よくわからなかったけど……お姉ちゃんが、泣いてた。それだけは覚えてる」
「冬華さんが泣いた」
「うん。あとにも先にも、一回しか見たことない」
和臣は縁側に腰かけた。陽秋も隣に座った。
「お姉ちゃん、私たちの記憶を薄めたんだと思う。妖狐の力で。あの頃のことを、私たちにあまり覚えていてほしくなかったんだろうなって」
境内に、夕方の光が差し込んできた。御神木の杉が、長い影を石畳に落としている。
「このノート、冬華さんに見せようと思う」
陽秋が和臣を見た。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないかもしれないけど……」
和臣はノートを見た。几帳面な字。怖いくらい綺麗だ、という一文。
「このまま知らないふりはできない」
陽秋はしばらく和臣を見ていた。それから、静かに頷いた。
蝉の声が、境内の外からずっと届いていた。




