スパイス
何かが煮えるぐつぐつとした音、そして沸き立つスパイスの香り。
今となっては思い出になってしまったその香りに釣られて、目を覚ます。
そのせいか、先ほど見た夢のせいか——有り得ないと分かっていながら、僕は無意識に真琴の名前を呼んでいた。
「残念、可愛い可愛い冬芽ちゃんですよ」
スープを作り終えた彼女は、少しの心配と、未だどこか遠くを見ている僕を眺めて、少し悲しげな笑みを浮かべながらそこに座っていた。
先ほどの夢に意識を持っていかれていた僕は、彼女のその上辺だけの笑みの歪さにすら気づかないまま、
「ありがとう」
と感謝の言葉を述べた。
僕の感情や、冬芽がしてくれたことへの感謝——対価としては、言葉の選び方としても、正しかったのだろう。
しかしながら、ここまでの献身を目の前にしてもなお何も見えていない僕が言ったこの言葉は、実に不明瞭で、実に浅かった。
「そろそろ私を見てくださいよ」
それだけを残して、「私帰りますね」と言い添えて去っていった彼女の目は、間違いなく濡れていた。
よそよそしさすら感じる広い部屋に一人取り残された僕は、自分が何を間違えたのかさえ分からなかった。
分かるはずもない。
ふとスマホを見ると、随分前に届いていたらしいメッセージの通知が残っていた。
開いてみると、
「カニ~!」
というメッセージと、立派なカニ料理の写真が真琴から送られてきていた。
頭痛がする。
彼女は甲殻類アレルギーを持っていて、カニを食べればアナフィラキシーショックを起こすのは明白だ。
あんな夢を見た後に質の悪い冗談を送ってくるなと、
「何をふざけてるんだ、アレルギーだろ」
と返す。
珍しく早く既読がつき、その速さに驚いていると、
「そうだっけ?忘れてた!」
しっかり者の彼女が忘れるはずがない。本当に質の悪い冗談だと感じた僕は、
「忘れてたじゃないだろ、そういう冗談はやめてくれ」
と強めの語調で返す。
「ごめんね、覚えておくよ。次からは間違えない」
即返信というにしても、あまりに早かった。
その返信を見て、なんとも言えない不安感を覚えた僕は、思わず
「なあ、真琴。今どこにいるんだ?」
と送信していた。
返ってきたのは、
「今は仙台!」
というメッセージだった。
それを見て、スマホの電源を落とす。
久しぶりのような気がする煙草を一本持って、ベランダに出た。
いつの間にか日は沈んでいて、少し肌寒い。
火をつけた煙草は、じりじりと喉を、肺を、乾かしていった。
先ほど飛び出して行った彼女の顔を思い返して、それをしたのが自分であるという事実を受け入れられず、手に持っていた煙草をねじ消した。
呼吸が浅いのはこいつのせいだ。
彼女が作ってくれたスープは、とっくに冷めていた。
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