いってらっしゃい
随分と長く寝ていたような気がする。
そう考えた割には、身体のだるさが抜けきっていない。
というよりかは、一度眠ったことによって改めて、自身が無自覚に積み重ねてきたものを突きつけられているだけとも思える。
そんなことをぼんやりと考えていると、何となく思考がはっきりしてきた。
ある程度まとまってきた思考を手がかりに辺りを見回すと、そこは見覚えのない、いや、間違いなく自身の部屋ではあるのだが、見違えるほど風のよく通る空間に生まれ変わっていた。
自分の部屋に他人行儀な気持ちを覚えていると、
「お、目覚めた?」
いやに軽快な声と共に、この部屋を作り替えた人間が現れる。
「ほらこれ、おかゆ作ったからさ。何か入れとこ?」
冬芽はそう言いながら、どこか懐かしい気持ちにさせる湯気を立てた器を差し出してくる。
寝起きで食べる気分ではないと判断した頭とは裏腹に、身体が勝手にそれを受け取り、呼吸をする間もなく口の中へ掻き込んでいた。
思考を追い越し、あっという間に食べきってしまった僕は、急いで掻き込んだせいか、あるいは久々に入れたエネルギーのせいか、抗いがたい眠気にあっさりと意識を明け渡し、さながら赤子のようにまた眠りについた。
「明晰夢」と呼ばれる事象がある。
夢の中で、それが夢であると自覚していることだったか。人によっては自由に動けるとか動けないとか。
そんなことはどうでもいい。
差し当たり今の僕が、その「明晰夢」とやらに閉じ込められているらしいということだけが問題だ。
ほんのり白んだ景色の中に、どこまでも続いていそうな砂地が広がっている。
どこまでも続いているなら、それは「砂漠」と呼ぶのが適切だろう。
などと考えている間に、いつの間にか目の前にペンキの剥げた古びたベンチが現れていた。
このベンチには見覚えがある。いや、確かに覚えている。なぜならそのベンチは
「実」
忘れるはずのない景色と、忘れるはずのない声。ここは
「座らないの?」
目をそらしていたベンチに、いつの間にか彼女、真琴が座って僕を呼んでいた。
「何故この夢を」とぼやきたくとも口は動かない。自らの理解を待たず足が勝手に進み、そしてその隣にまた腰を下ろしてしまう。
「何よ、こんな時間に呼び出して。何?私が行っちゃうのが寂しくなっちゃった?」
彼女は記憶と変わらぬ姿で、記憶の通り、こちらを少しからかうような声で言った。
「そんなんじゃないよ」
すかした声で僕の口が返す。
「そう。だとしたらなんでこんな時間にわざわざ呼び出したの?」
「ただ、ちょっと心配だっただけだよ。準備できてるかとか、さ」
何も変わらない。
「お陰様で準備は中断よ。お陰様で」
ムッとした顔で君は言う。
「あと少し、顔が見たかった」
あの時と同じ、引き留めようとして吐いた言葉。
「だったら最初からそう言えばいいじゃない」
少し声の色が柔らかくなった君が言う。
「今更言い出しづらくてな」
「私はいつでも元気だし、しばらくしたら帰ってくるわよ。要件はそれだけ?」
こちらの目を、その奥を覗くように見ながら君は言った。
「うん、それだけ」
変わらない。
「じゃあ私、準備あるから帰るわ」
仕方のない子を見るような、やさしさに満ちた目で君は言った。
「ありがとう、気を付けてな」
変わらない。
「はーい、じゃあ、またね」
君はこちらを見ずに、そのまま歩いていく。
本当にこのままでいいのか。
何も変わらないままで。
あの時と同じ結末で。
そんなはずがない。
ここで言えなければ君は、君は!
そう思った瞬間、固まっていた口が動いた。
「待ってくれ!」
開いた口はもう止まらない。
「本当はこの時に言うつもりだった。言うべきだった」
あの時言えなかった気持ちを、ありったけ。
「ずっと前から好きだった。僕が君を幸せにする。僕と付き合ってくれ」
変わった。
「馬鹿ね、ホント」
君は向こうを向いたまま言う。
少し俯いた君と、それによって生まれる沈黙。
そして、君の嗚咽。
赤くなった顔と、濡れた目でこちらを見て君は言う。
「私はとっくに幸せだもの」
再び俯いた君が、えずきながら、それでも確かな意志を宿した目で僕を見て言う。
「でも残念。今回は私が送り出すの。送り出さないとダメなの」
濡れた目を拭い、君はこれまで見たことのない、一番の笑顔で言った。
「いってらっしゃい」
その言葉の意味を、真琴の真意を理解できないまま、この世界が、君が、霧散していく。
「きっと君に会いに行く!」
最後に僕が言えたのは、自分でも理解できない、そのひと言だった。
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