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※少しの間、三人称形式です。
「ちょっ! クロ君!?」
「まさか……、本当に逃げましたか……?」
開閉したドアを見てノクスは考える。
見た目こそ凡庸な小男であったのは確かだが、自身の攻撃を悉く躱す技術と、指を落とされてもなお戦意を衰えさせない気骨を持った人間が相方を見捨てて早々と逃げるだろうか、と。
否、まだこの部屋に潜んでいる。それは間違いない。
そう考えた彼が取れる行動はあまり多くはない。
一旦距離を取られてしまうとこの広い部屋だ。見えない人間を相手取って鬼ごっこなど現実的ではない上に、なによりみっともない。
ではどうするか。簡単なことだ、目の前の小娘こと、牌谷絆を切り刻めばいい。
部屋の中にいるのならその光景を前に黙ってはいないだろう。
仮に小娘との戦闘中に背後からの挟撃を狙っているとしても、自身の索敵範囲に小男が入ってくれば即座に感知、対応できるのだからそもそも警戒をする必要もない。
これは油断ではなく事実。
仕掛けてこないならそれは本当に逃亡した証。
それならそれで構わない、ただ興味を失うだけである。
ノクスはそう判断を下した。
「さて、逃げたか、隠れているか、乗せられた感はありますがどちらにしろ次の相手は貴女のようですね」
「上等、かかってきなよ! もともと一人でも戦えるんだから何の問題も無し!」
キヅナも吼える。
生来より気の強い彼女の精神は、どんな状況だろうとそう簡単には折れはしないようだ。
そして操血によって作り出した長剣を手に、正眼の構えを取る。
その気迫はノクスの食指を動かすには十分過ぎる程。
「おや、接近戦をお望みですか?」
「遠隔攻撃はどうせ弾かれるしね」
「ふふ、面白い。そもそも私が戦いたかったのは貴女のほうでしたからね。それに、貴女をいたぶれば小男のほうもそのうち姿を現すでしょう。まあ逃げていなければ、ですが」
「やれるもんならやってみなよ!」
その言葉を皮切りに、ノクスが強烈な踏み込みでキヅナへと迫る。
その速度は十五メートルは離れていた彼女との距離を一気に縮める……はずだった。
「はっ!?」
ノクスは何かに足がつっかえた。
そのまま自身の勢いも加勢しバランスを崩して前のめり。
無様にも石畳へと手をつく事となる。
平たく言えば、ノクスは何かにつまづいて転んだのだ。
その何かとは地面に蹲ったクロであった。
「牌谷さん! 今だ!」
その言葉よりも早く、キヅナは動いていた。薄闇の中に赤い瞳の光を牽きながら、無言のまま駆ける。
まるで必ず来る千載一遇のチャンスを知っていたかのように。
血液摂取によるブーストがかかった彼女の速度もまた尋常ではない。
勢いのまま、低い位置にきたノクスの首へと横薙ぎ一閃。
「くっ!」
ノクスもただ黙って斬られる訳にはいかないと、即座に体制を立て直し回避を図るがキヅナの斬撃は彼の予想を凌駕するほど鋭く疾い。
済んでのところで首の切断は免れたものの、ノクスの右腕は愛刀と共に宙を舞う。
「ま、だぁぁぁぁぁ!」
裂帛の気合いと共に、追い討ちに打って出たキヅナは上段からの袈裟斬りを放つ。
後ろへ飛び退こうとしていたノクスだったが、何故か退がれない。何かが服を引っ張っているからだ。
「ぐっ! なにが……いや小男か……! ぐぁっ!」
クロの姿を目にした時には、キヅナの血刃がノクスの胸元から腹までを斜めに切り裂いていた。
「色男がざまぁないっすね」
「くっ……貴方どこから湧いて出たんですか……」
ノクスは残った左手の刃を振るい、服を掴むクロの手を払い除け大きく後退した。
※クロ視点に戻ります。
よっしゃ作戦成功だ……!
俺が何をしたか。うん、あまり大した事はしていない。
逃げた振りをして牌谷さんとノクスを結ぶ動線の間に踞り、目を瞑って『潜影』の効果三を発動しただけだ。
ノクスは両目を瞑った俺を感知できない。そして奴はその事を知らない、未来視で得た情報だからな。
まあ端から見たらなんとも情けない格好ではあったけど、見えてないのだから良しとしよう。
ちなみに下準備はそれなりに必要だった。
まずノクスの頭に「潜影は容易に看破できる」と植え付けなければいけない。
と言うことで通用しないのは承知の上で何度も潜影による奇襲を仕掛けておいた。
それと奇襲でノクスの気を引き付けている隙に、エルに頼んで牌谷さんへ言伝もしておいた。
「俺が次に行動を起こしたら、相手を挑発して引き寄せてほしい。必ずチャンスを作る」って具合にな。
あと逃げる演出をやった理由は色々ある。
牌谷さんに演技以外のリアクションをさせたかったのが一つ。敵を騙すんだからリアルさは大事だ。
まあノクスがそれを信じる程馬鹿じゃないのは考えなくても解るけど。
でもそこは問題じゃない。
奴には俺が目の前から離れたってことを意識させたかった。そうすればまさか足元に蹲っているなんて夢にも思わないだろうから。
ちなみにドアの開閉は同じく潜影で見えなくなっているエルにやってもらった。
身長十五センチくらいのくせに、ドアを動かすくらいの力はあるらしい。
それと牌谷さんへの攻撃の合図もだ。なんせエルには全部見えてるからな、ノクスが俺に足を引っ掻けるタイミングはエルなら容易に計れる。
ノクスが部屋を探索しだしたらとか、牌谷さんに走り寄らなかったらとか、穴はけっこうある作戦だったけど、奴の性格からして俺が居なくなれば牌谷さんに標的を移して斬りかかる可能性は高かった。
まあ走らなかったら脚にしがみついてでもチャンスを作るつもりではいたけど。
結果は成功、ノクスの傷が深いの一目瞭然。二対一のこの状況ならほぼ軍牌はこちらに上がったと言える。
「さあ、ノクス。ここまでっすよ! あ、牌谷さん……できたら止めのほうを……」
「まかせて!」
片腕がない上に負傷しているとはいえ相手はノクスだ、俺が近寄るには危なすぎる。牌谷さんの遠隔攻撃なら片腕では対処できないだろうからこれが安全かつ確実な最適解なのだけど……、うーんなんか格好悪いな俺……。
「なぜ私の名前を……? ふふ、まあもうどうでもいい。こんなに楽しいのは久しぶりですからね。まさか人間と先祖返りごときに本気を出さなければならないとは思わなかったですが……」
ノクスの体内の黒い魔力が、轟然と音を立てて胎動し始めた。




