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──うっ、なんか嫌な夢を見たような……。
いや、夢じゃないな。
足腰に伝わる石畳の感触が寝惚けた頭を現実に引き戻してくる。昨日もこんなのあったな。
でも昨日と違うのは、右手にある牌谷さんの手の感触……、見ればまだ寝ている。
うん、普通に可愛いな。これだけならきっと良い夢がみれたろうに、なんとも惜しい限りだ。
「起きたカ?」
ああ、このピンクのクリオネも夢じゃない。やっぱりまだ異世界だよな。
「ああ、おはようエル」
俺達の声を聞いた牌谷さんの目がうっすらと開く。
「んんっ。……あれ、ここどこ……? …………じゃないよね、異世界だ……。おはようクロ君、エルちゃん」
「おはようございます」
「おはようキヅナちゃん」
エル、声のトーンが俺の時と違いすぎるだろ……。いや今に始まった事じゃないから別に良いけども。
それにしても牌谷さんは寝起きから酷く落胆した様子だったな、こっちに気づいてすぐに笑顔を取り戻したけど。
まあその落胆、ついさっき自分もそうだったからよく解る。異世界に飛ばされた人間の寝起きは、大体こんな感じのリアクションになるんだろうか。
それでも昨日の孤独感はこんなもんじゃなかった、あれに比べれば全然良い。目覚めた時にすぐ傍に誰かがいるって、このホラー異世界では本当に有難い。マジで安堵感が天と地だ。
なんて感慨に耽っている場合じゃないな。まずは今の時間を調べなくては。
「ログ……」
『聖女の祈り』
『現在使用不可:制限解除まで二十六分』
と言うことは、現在の時刻は昨日目覚めた時と大体同じってことか。
じゃあ今回は半日以上寝てた事になる。
あまりゆっくりもできないな。
「よし、もう外は夜を迎えているみたいですから今からどう動くか考えましょうか。今日で贄の夜とやらは終わりらしいんで、何か手を打ちたいです」
「だね、どうしようか。クロ君のスキルでこっそり魔王に近づいてウチがアイツの首を斬っちゃおうか? 今なら全開で戦えるよ」
ただ魔王を殺せばいいだけならそれも手段の一つなんだけど、俺達の目的はあくまでも元の世界に帰ることだからなぁ……。
「うーん、できれば殺さずにいきたいですね。元の世界に帰る手掛かりは魔王が知っている可能性が高いですから」
「そっかぁ。ウチ昨日アイツに騙されてるからね、個人的には殺っちゃいたかったけど確かにそうだね」
牌谷さん、やっぱり血の気が多いよな。軽口で言ってるけど昨日と同じくらい目が怖い。
だけどこの会議はすぐに中断する事となる。
薄暗い空間に突如亀裂が入り何かの気配が漏れ出てきたからだ。
「────! なになに!? 敵!?」
「いえ、これは……」
見覚えのある現象……、そりゃそうだ。昨日何度なくお世話になったアレと同じ。
そう『死体処理班』を発動した時と全く同じ光景だ。
でもなんで勝手に出てくるんだ、俺はスキルを使ってないぞ……。
「コレ、食べれない……。ウップ、グェッ、オエェェェッ」
昨日聞いた声だった、その声の主はやはり闇の魔獣。黒い亀裂から招き猫のような顔だけを出して、猫が胃に溜まった毛玉を吐く時のように何かを口から吐き出した。
まあ普通にゲロだな。
でもその吐瀉物は流動体ではなく、人の体くらいある固体だった。
それはドスンと音を立てて石畳の上に横たわる。
「ああ、スッキリした。バイバイ」
ゲロを吐き終わった闇の魔獣は、先程とは一変した快活な声でそう告げると帰ってしまった。
「な、なんだったんだろ……てかあれなに?」
全く事情がわからない牌谷さんは取りあえずドン引きしてる、いや事情に関しては俺もよく解ってないけど。
て言うかスキルで呼ばなくても闇の魔獣のほうから勝手にコンタクトできるんだな……。
「いや、俺にもちょっと……。でもあれは……」
「あれは?」
恐らく、いや絶対に死体だろうな……。
屍鬼に消費期限切れの奴でもいたのか……、年季入ってそうな死体だったしな……。
「サリー!」
エルは、いの一番に死体と思われるものへと飛び寄っていた。それに、いつになく発したその大きな声はどこか悲愴に満ちている感じだ。
て言うかサリーってあれか……、昨日『死体処理班』で処理した魔女ルサーリアのことか。たしか魔王もそう呼んでいた。
牌谷さんの手を引きながら死体に歩み寄り、顔を確認する。
「この女って……」
「ですね……」
粘液まみれな上に、褐色の皮膚が少し溶かされて酷い有り様だけど、はっきりと面影はある。それに銀色の長い三つ編み。
間違いない、闘技場で牌谷さんと仕留めた魔女ルサーリアだ。
闘技場での彼女の事を思い出して眉を顰める俺達二人とは対照的に、魔女の顔についた粘液を愛おしそうに拭ってあげているエルの表情は酷く辛そうだった。
「もしかして、契約者だったのか?」
「おまえの前に契約してた子なんダヨ」
そう口にしたエルから、ルサーリアと過ごした記憶の断片と思われる情報が俺の中に書き込まれていく。
どうやら共有されたわけじゃないらしい、詳細な情報は一切わからなかったからな。
ただその情報が当時エルと魔女が感じていたであろう感情の渦のようなものだということは解った。
それがエルから溢れて流れ込んできた、そんな感じだ。
「えらく悲しそうだな……、可愛いがってた子だったのか?」
「僕には人間みたいに豊かな感情はナイからネ、そんナンじゃナイ。ただこういう情報は新し過ぎると思考の調子が悪くナル事がアルだけなんダヨ」
それはもうたぶん普通に感情だよエル。
そうか、エルは別に人間の死に無頓着な訳じゃないのかもしれないな。なんせ千人以上の人間と契約を結んできた訳だ、同じだけその死も見届けてきたってことになる。
普通の人間みたいな考え方してたんじゃ精神がどうにかなってしまうかもな。
昨日、牌谷さんの事を心配してたのもそうだ。いつもの軽妙な口振りではあったけど、あれはたぶん本気で言ってた。
それは本当に牌谷さんの身を案じて言ったのか、それとも彼女の死によって自分の思考が落ち込むのを嫌っての事なのかは解らないけど、どちらにしろエルは人間に対して愛情のようなものを持ち合わせているらしい。いや、女にたいしてか? まあ全部どっちでもいいか、悪い奴じゃないのは確かだ。
先は急がなきゃいけないんだけども、暫くはそっとしておこうか……。
エルはルサーリアの顔に頬擦りをしながら、その死を悼むように寄り添い続けた。




