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ルサーリアが出稼ぎに行くのはこれで幾度目であり、留守の管理も随分と手慣れてきたカオル。
農作業を終え帰宅し、洗濯や農具の洗浄をしたあと一息つくとお腹も減る。
家にある保存食と森で採取した山菜で食事を済ませた彼女は、身体を休めるために風呂を入れた。
入れた、と一言で片付けはしたが、これがなかなかに大変だ。
風呂は水や炎のスキルが無くても沸かせる構造にはなっているが、ルサーリアがいないと火を起こすこと自体が難しい上に湯加減も自在とは行かない。
水も少し離れた井戸から汲んで来なければならなかったから一人でやろうとすればなかなかの重労働であった。
それでも、これくらいの事はこなせるようになりたいと一生懸命に手順を覚えたカオルは今、湯船の中だ。
「ああ、気持ちいい……。今日も終わるなぁ……」
呟きながら湯浴み小屋の小さな窓を覗けば、外は茜に染まる夕暮れ時。
実に郷愁的で情緒溢れる光景、それを見てふと思い出すのは今朝のことであった。
セツナを久しぶりに感じたあの喜び。
そうだ、わたしの中の黒い感情が無くなったくらいであの子は消えたりなんかしない。わたしが想い続けていればいつだってすぐ傍にセツナはいてくれる。
そう強く心に感じることができた今日という日を振り返れば、実にいい日だったと嬉しさに顔がにやけた。
それでもセツナの「気をつけて」という不可解な忠告は、カオルの頭からはすっかり抜け落ちていた。
ほんの一瞬であったうえに極めて微弱であったセツナの言葉は、心地よい農作業の忙しさに忙殺され、残ったのはまだ彼女が心にいるという嬉しさのみ。
それはこの危険な樹海において油断、慢心に他ならないが、それも仕方がないことではある。
今は警戒しなければならないような差し迫った危険は身近に存在しないからだ。
この辺りの森の魔獣は魔女の塒には近づこうとはしない。魔女の家の周りは毒素もほとんど無く通常の魔獣でも近づけるにも関わらずだ。
ルサーリアはこの領域においてそれほどに畏怖されている存在であった。
おまけに家は鍵を掛けると強力な結界によって内部が護られる仕組みとなっているため、屋内にいる限り生半可な者では手も足も出せはしない。
魔女の比護とは、この死地において危険すら忘れさせる程に強力なものであったのだ。
湯から上がり、服を着替えて家に入るとドアを施錠し灯りをつける。
灯りはルサーリアの魔力を燃料として輝きを放つ、魔導具と呼ばれるカンテラのような照明器具だ。
魔王城でクロが見かけた照明器具と似たような性質のアイテムだろう。
魔女はこまめにカンテラに魔力を充填しているため、カオル一人でも一週間くらいは不自由無く扱えるそうだ。
本日の終わりを迎える準備は整ったと、とりあえず横になって天井を眺めてみる。
すると感じるのは人間の暮らす町並みの中では決して味わえないような静けさ。
風が無いからだろうか、耳を澄ましても木々の葉がざわめく音すら聴こえてはこない。家の中だから尚更だろうか。
グランピングやソロキャンプをする人間はこの静寂が好きなのかな……それなら気持ちは解らなくもない。
そんなことを考えながらもやはり少し寂しい。
静かであればあるほどセツナを強く感じられたこの環境は大好きだったが、彼女がいなければそれはただの孤独とも言える。
──セツナ、いるなら返事して。
呼び掛けても応えはない。
以前なら夜の就寝前は二人でよく話し込んだものだが今はそれもなくなった。
まあ……なにか切っ掛けがあればきっとまた出てきてくれるよね……。
そう思いつつ、まだ眠くはないが少し目を閉じて自身の内側を探るように集中する。そうすれば心の奥底にいるセツナのことを感じられる事を今日知ったから。
そんな小さな喜びに幸せを見出だしている少女の耳に、コンコン──とドアを叩くノックの音が飛び込んだ。
こんな時間に誰だろう……?
ルサーリアの世話になるようになってから今日まで、こんな時間に客が来たことなど一度もない。
そもそも客人と言えばノクスくらいであり、彼が来るのは日の高い時間帯のみ。
一瞬日本の怪談話を思い浮かべてゾクッ──と背筋に悪寒が走ったカオルだったが、勇気を出してドアに近づいて返答してみる。
「ど、どちら様ですか?」
「助けてください……。樹海の探索をしている者ですが遭難してしまいました……」
だがその声を聞いて肌が粟立った。
人間の声じゃない……。
なんとなくそう感じたからだ。
カオルは部屋の奥に行き、置いてあるヘルバの魔法杖を急いで手に取る。
魔法杖を主に使っていたのは、ノクスとの戦闘訓練にこれを持ち出していたセツナであったがこんな棒でも無いよりはマシだと両手で握り締め、血の気の引いた青い顔で玄関の扉に張りついて様子を窺うことにした。




