第7話 「日は昇る」
俺が昏睡から目覚めて三日。
脳への後遺症はなく、俺は順調に復帰への道を歩み始めていた。
失われた二週間のブランクを取り戻すべく、俺はリハビリテーションの真っ只中にいた。
「いいかい戦闘員クン。筋肉は君を裏切らないが、二週間寝たきりは流石に筋肉を甘やかしすぎってものだよ。ほら、もっと腰を落として」
リハビリ室にアジーンの鋭い声が響く。
組織が誇る最高峰の医療設備と、俺自身の意地。
そして何より、ドヴァーさんの献身的な看病が功を奏し、俺はみるみる内にかつての元気を取り戻していった。
「頑張るのもいいですけど、あまり無理はしないでくださいね」
傍らで見守り、タオルを差し出してくれるドヴァーさん。
俺の目覚めと共に彼女の瞳から悲しみの涙は消え、今ではすっかり以前の生気を取り戻していた。
以前よりもどこか穏やかで、俺を見つめる眼差しには隠しようのない慈愛が満ちている。
「やれやれ、お熱いことだね。砂糖を吐いちゃいそうだよ」
そんな二人の様子をタブレット片手に観察していたアジーンが、茶化しながらもニヤリと口角を上げた。
「さて……二人とも。ここらで一発、骨休めと本格的な実地トレーニングを兼ねてちょっと視察に行ってもらおうか」
「はあ、視察というと?」
はいこれ、とアジーンが二枚の紙切れを差し出す。
それは山奥に佇む高級温泉旅館「隠れ蓑ノ湯」の招待券だった。
「そこはウチの表の顔であるマスカレイドが出資してるんだ。最新のフィットネス設備も完備されてるから、骨休め兼リハビリにはもってこいだよ」
「へぇ……温泉ですか」
温泉なんて、ずっと昔の子供の頃に親に連れて行って貰って以来だ。
「ボクは装備の再設計やら何やらでまだ山ほど仕事があるから留守番さ。山奥の静かな宿で、戦闘員クンとしっぽりと仲を深めてくるといいよドヴァー」
「なっ、あ、アジーン! へ、変な言い方をしないでくださいっ!」
ドヴァーさんが顔を真っ赤にして抗議する。
しかし、俺の回復祝いを兼ねた旅行という提案には案外乗り気な様子だった。
「こほん……ま、まあ、視察ということでしたら問題ないでしょう」
「まったく素直じゃないなぁ君は。本当は二人きりで嬉しいくせにさ」
「もう、アジーン!!」
ぷりぷりと怒りながらも、ドヴァーさんのその瞳は期待で小さく揺れているようにも見えた。
ドタバタとしたMASKの賑やかな日々が再び戻ってきたのを感じて、俺の顔にも自然と笑みが溢れていた。
数日後、俺とドヴァーさんは清涼感のあるカジュアルな私服に身を包み、旅館へとやってきた。
見渡す限りの深い緑と赤の混じり始めた山々、澄み渡る空気。
都会の喧騒を忘れさせる絶景に、ドヴァーさんは思わず吐息を漏らす。
「わぁ……綺麗ですね、戦闘員くん」
――あなたの方が、何倍も綺麗ですよ。
心の中で呟いたキザすぎる言葉は、あまりの気恥ずかしさに喉元で止まった。
荷物を置いて一息つくと、俺たちは早速リハビリを兼ねて、館内のフィットネス施設へと向かった。
名目上は視察ではあるが、今回の目的は骨休めでもありリハビリでもあるのだ。
だが、施設の扉を開けた瞬間――俺の全身の筋肉が反射的に硬直した。
「あれ、あんたたちは……いつかのイベント会場の!」
「こんな所で会うとは、偶然ですね」
「あー! あの時のお姉さん!」
ランニングマシンで汗を流していたのは、トレーニングウェア姿のレッドだった。
その隣には眼鏡姿でストレッチをするブルー、そしてタオルを首にかけたイエローが並んでいる。
(じ、ジャスティース……!? 嘘だろ、なんでここに!?)
俺は慌ててスポーツサングラスを、ドヴァーさんは日常生活用の眼鏡をかけ直して、一瞬で落ち着いた顔を作った。
「彼氏さん、意識が戻ったんですね! 良かったぁ~!」
「はい、その節は本当にありがとうございました」
「――ドヴァーさん、いつの間に彼女と知り合いに?」
俺はドヴァーさんに顔を寄せ、ヒソヒソ声で話し掛けた。
どうやら俺が眠っていた間に、彼女とちょっとした関わりが出来ていたようだ。
イエローが駆け寄り、ドヴァーさんの手を取って自分のことのように喜んでくれている。
「あれ? いつかのって、あんたたちもこの人たちと知り合いなの?」
「おう、前に迷子の親探しをちょっとな」
今更回れ右して施設を出ていくのも不自然だ。
ドヴァーさんの機転により「土場」と「千堂」として紹介され、正義と悪が同じジムでトレーニングをするという、世にも奇妙な状況が完成した。
トレーニングが始まると、男性陣はリハビリメニューをこなす俺の周囲に自然と集まる形となった。
あまりにも恐ろしい状況に、心臓がバクバクと忙しない音を立てる。
「あの時も思ったが千堂さん、あんた本当に凄い体してるな。事故で二週間も寝てたとは思えない密度だぜ」
レッドが感心したように俺の肩を叩く。
ブルーも眼鏡を押し上げながら頷いた。
「まったくです、特にその大胸筋と背筋のバランス。よほど過酷な環境で鍛え上げたのでしょうね……僕らのチームにスカウトしたいぐらいです」
「はは……今はリハビリで精一杯ですよ、それに俺はただの会社員ですから」
苦笑いしながら誤魔化す。
だが彼らが俺の作り上げた肉体と戦闘員としての素質を、敵としてではなく一人の人間として高く評価してくれていることに、俺は妙な感慨を覚えた。
まあ、流石にスカウトしたいというのは世辞だと思っておく。
「……しかし羨ましいぜ、千堂さん。あんな美人でスタイル抜群の彼女さんがいてさ」
ランニングマシンで走るドヴァーさんの、重力に抗う豊かな揺れを眺めながらレッドが呟く。
「ふむ……凄まじいボリュームですね。物理的なバランスをどう保っているのか興味深い」
俺は内心「ジロジロ見るな!」と毒づきながら、嫉妬心を振り払うようにバーベルを上げた。
一方で、女性陣には彼らの会話が丸聞こえだったようで、イエローがレッドたちに向かって鋭い目線を送りながら呆れていた。
「……土場さん、見ました? まったく、あいつらほんとスケベなんだから……無視ですよ無視!」
「あはは……そういえば、あなたたちはどうしてここに?」
「あ、実はですね。私、仕事の関係でここの招待券を貰ってたんですよ。使わないのも勿体ないし、折角だからみんなで疲れを癒そうかって」
「なるほど、そういうことだったんですか。私たちと似たような理由だったんですね」
ドヴァーさんが微笑む姿を見て、イエローもどこか満足げな顔を浮かべていた。
「……思ってた通りでした、やっぱり土場さんには笑顔が似合います」
「えっ!?」
敵からの思いがけない言葉に、一瞬ドヴァーさんは面食らったようだった。
笑顔が似合うというのは、俺も全力で同意したい……!
「あの後どうなったのかなって気になってたから、こうしてまた土場さんに会えて、元気なお姿を見れて嬉しいです」
「……ありがとう、私もです」
朗らかな笑みをドヴァーさんが浮かべると、イエローが両手でグッとサムズアップして見せた。
どうやら、二人は早くも意気投合しているようだった。
トレーニング後、俺たちは大浴場へと向かった。
正直、正義の味方たちと一緒に裸の付き合いは遠慮したかったが……さわやかに笑うレッドを前にしてしまうとどうにも断れなかった。
広々とした露天風呂の男湯で、俺、レッド、ブルーの三人は肩まで湯に浸かり深く深く息を吐いていた。
「しっかしいい筋肉してるな千堂さん。リハビリ中とは思えねえよ、どうやってそんな身体作り上げたのか教えて欲しいぜ」
「ストレス発散に毎日必死でトレーニングに打ち込んでただけだよ」
「トレーニングだけでこれほどとは、並大抵の努力ではありませんよ」
「ストイックでいいじゃん! 俺は好きだぜ、そういうの」
敵対している時の重苦しい空気など微塵もないレッドとブルー。
気付けば、俺たちは効率的な筋肉の鍛え方やプロテインの好みについて、いつの間にか熱く語り合っていた。
一方、壁一枚隔てた女湯ではドヴァーさんとイエローが、どうしたらそんなにスタイルが保てるのかという美容の話から、次第に「大切な人」の話へと華を咲かせていた。
「それでそれで、土場さんは千堂さんのどんな所が好きなんですか?」
「ええっ!? そ、それはその……優しくて、頼りになる所とか……」
ドヴァーさんが照れながら俺への信頼を口にするたびに、イエローは黄色い声を上げては「ごちそうさまです!」とはしゃいでいた。
風呂上がり、休憩室で合流した五人に、ブルーが五本の瓶を差し出した。
「風呂上がりにはやはり、これでしょう」
牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳。
各々が好みの瓶を選び、五人並んで腰に手を当て、合図と共に一気に煽る。
「「「「「ぷはぁーっ!!」」」」」
冷たい液体が喉を通り抜ける快感に、思わず笑みがこぼれる。
この瞬間、ここには正義の味方も悪の組織もいなかった。
ただ同じ湯に浸かり、同じ空気を吸った仲間がいるだけだった。
部屋に戻った俺とドヴァーさんは豪勢な夕食を堪能し、のんびりと過ごしていた。
ジャスティースとの遭遇は精神的に疲れはしたが、彼らとの関わりは俺の心の中にどこか温かなものを感じさせていた。
こんな日も、悪くないのかもしれない。
しかし、夜が更けるにつれ、俺とドヴァーさんはある重大な事実に直面する。
――そう、用意されたのは一部屋なのだ。
ここにきて、やっと俺たち二人はアジーンの計略を悟った。
「してやられましたね……」
「あ、アジーンったら……! 後で絶対に許しませんから……!」
ドヴァーさんが消え入りそうな声で呟くが、その頬は赤く染まっていた。
しかし、気付いた所で今更どうにもならない。
幸いにも布団はちゃんと二人分用意されていた、宿の人の仕事に感謝だ。
俺たちはやむを得ず布団を二組並べるように敷いて、一晩過ごすことにした。
「えっと……そ、それじゃあドヴァーさん」
「は、はいっ! お、おやすみなさいっ戦闘員くん!」
――とは言ったものの、案の定眠れるわけもなく、俺の目は冴えに冴えてしまっていた。
ドヴァーさんも、恐らく起きている。
消灯した後の部屋には、時計の針の音と、互いの心音だけが大きく響いていた。
沈黙に耐えかねて、俺たちは同時に声を上げた。
「「あのっ!」」
「「あ、いえ、お先に……」」
全く同じ言葉を発したことに思わず笑みが漏れ、ようやく緊張が解けた。
横になったまま、俺は暗闇の中で言葉を紡いだ。
「ドヴァーさん。眠っている間……ずっと俺の手を握っていてくれたって聞きました」
「……怖かったんです。このまま、戦闘員くんがどこか遠くへ行ってしまうんじゃないかって」
ドヴァーさんの方を向き直すと、月明かりに照らされた彼女の瞳が潤んでいるのが見えた。
「俺、あの時ずっと泥の中に居るみたいな……真っ暗闇に沈んでいくような感じに包まれてました。そんな時に、声が聞こえたんです」
「声?」
「俺を呼ぶ声です。優しくて温かな……その声を頼りに暗闇の中を走って、手を伸ばした先に、あなたがいた」
俺は真っ直ぐに、ドヴァーさんを見つめながら言葉を紡いだ。
「あの瞬間、俺はドヴァーさんのおかげで戻ってこれたんだって、はっきり分かりました。俺を救ってくれたのは、いつだってドヴァーさんなんです」
ドヴァーさんの瞳から、小さな雫がぽろりと流れる。
俺はゆっくりと手を伸ばし、彼女の頬に添えると指先で雫を拭った。
「ありがとう、ドヴァーさん」
「……戦闘員くん」
ドヴァーさんは俺の大きな手を、壊れ物を扱うように優しく包み込んだ。
その手の温もりが、何よりも雄弁に彼女の気持ちを伝えていた。
こんなにも想ってくれることが嬉しかった。
だからこそ、悲しませてしまったことが悔しかった。
「……っ、私の方こそ……私を救ってくれたのは、あなたなんですよ、戦闘員くん……!」
潤んだままの瞳で、ドヴァーさんが微笑む。
それは決して、悲しい涙などではなかった。
俺は心の奥底に、確かな火が再び灯るのを感じていた。
俺はこの人のために、暗闇の中から戻ってきたのだ。
「もう、絶対にあなたを悲しませたりしません。俺はずっと、あなたの隣にいます」
それは一人の戦闘員としてではなく、一人の男としての魂の誓いだった。
翌朝、小鳥の囀りで目を覚ますと、隣の布団でドヴァーさんが頬杖をついて悪戯っぽく微笑んでいた。
「ふぁ……あ、ドヴァーさん……おはようございます……」
「はい、おはようございます……ふふっ、すごくかわいい寝顔でしたよ戦闘員くん」
「えっ!? ま、まさか、ずっと見てたんですか!?」
俺は耳まで赤くして、飛び上がるようにして起き上がった。
身支度を済ませ、二人並んでロビーへと降りていく。
チェックアウトをしていると、再びジャスティースの面々と顔を合わせた。
「おう、千堂さん! 昨日は楽しかったぜ、またな!」
「二度あることは三度といいますし、またお会いすることもあるかもしれません。お元気で」
「土場さーん、今度またあのお店に行きましょう! お幸せにー!」
俺たちは他愛ない挨拶のあと力強い握手を交わし、別々の方向へと歩き出した。
次はMASKとジャスティースとして――その時は、遠くない内にやってくる。
けれど、今の俺の心には一点の曇りもなかった。
基地に帰還した俺たちを待ち受けていたのは、案の定ニヤニヤと笑い鼻息を荒くしたアジーンだった。
「さあ事細かに話してもらおうかな! 夜はどうだった? 合体できた? 腰は大丈夫?」
などといった容赦のない質問攻めが次々と飛び交う。
「「な、何もなかったですって!!」」
「おやおやぁ~? 息ぴったりだねぇ、ぐふふ」
二人揃って声を上げると、アジーンがニタリと笑いながら口元に手を当てて俺たちを茶化した。
真っ赤になったドヴァーさんが鞭を手に追い掛け、アジーンがゲラゲラ笑いながら逃げ回るという、いつもの賑やかな光景がそこにはあった。
俺たちの絆は、以前よりも強く、固く結ばれていた。




