第4話 「休息」
「……というわけで、スーツは一週間ほど預かるよ。この前のカリバーの故障で、スーツに連動してる回路も焦げちゃってさ。これじゃ悪の戦闘員どころか、ただのコスプレ男になっちゃうからね」
焦げ付いたパーツをピンセットでつまみ上げながら、アジーンはひらひらと手を振った。
ラボのデスクの上には、ただの柄となってしまったエロスカリバーと、激戦の痕が刻まれた戦闘スーツが置かれている。
高負荷に耐えられなかった二つの装備には、更なる設計の見直しと最適化が必要になっていた。
おかげで面白いデータが沢山取れたと、アジーンはポジティブかつどこか嬉しそうだった。
「というわけで、業務命令だよ。修理が完了するまで君には休暇を与える、いいね?」
「休暇だなんて、いいんですか?」
「どの道装備がなきゃMASKとしての活動は出来ないんだし、コンディションを整えるのも仕事の内さ」
休暇――なんて甘美な響きだろうか。
休日にも呼び出され、ほぼ毎日働き詰めだったかつての日々が思い出されていく。
だが、今は違う。
つくづく、俺はいい職場に巡り会えたと心から感じていた。
「どうだい戦闘員クン、最近暑くなってきたしのんびり海にでも行ってきたら? ドヴァーも誘って二人っきりでさぁ」
アジーンがニヤリと笑いながら俺の背中をぽんと押す。
二人っきりの海。
ビーチに佇む水着姿のドヴァーさんの姿を想像し、思わず鼻の下が伸びそうになる。
……ややアジーンの掌で踊らされているような気もしたが、正直その提案はあまりにも魅力的だ。
俺はアジーンのラボを後にすると、意を決してドヴァーさんの執務室へと向かった。
「ドヴァーさん、今度……俺と海に行きませんか!?」
事情を説明しつつ最後にお誘いの一言を切り出すと、彼女は少し驚いた顔をした後に「ええ、喜んで」と、まるで花が綻ぶような美しい笑顔で承諾してくれた。
「部下のメンタル管理も、幹部の勤めですから」
と、もっともらしい殊勝な理由も付け加えて。
こうして、悪の組織の幹部と戦闘員による、秘められた海水浴デートが決まった。
そして当日。
突き抜けるような青空の下、俺たちは砂浜にいた。
――何年振りの海水浴だろうか。
キラキラと輝く青い海、照りつける夏の日差しが目に染みる。
海ってこんなに綺麗だったかなぁ、などとつい感傷に浸ってしまう。
「お待たせしました、戦闘員くん」
振り返った俺は、危うく鼻血を噴き出すところだった。
そこにいたのは、紛うことなき「女神」だった。
麦わら帽子を被り眼鏡をかけ、清楚な白のビキニに身を包み、腰に薄手のパレオを巻いたドヴァーさん。
軍服姿もいいが、太陽の下で晒された彼女の肌は眩しいほどに白く、マスクを外した彼女の素顔は、日差しを浴びて宝石のように輝いている。
先ほど感じた海の美しさも、目の前に佇む女神の前では霞んで見えた。
今ほど再就職して、生きていて良かったと思った瞬間はなかったかもしれない。
リフレッシュ効果は抜群だ。
「あ……ど、どうでしょうか。アジーンに言われて新調したのですが……」
俺は心の中でアジーンへ深く深く感謝しながら、激しいガッツポーズを繰り出した。
なにより、ドヴァーさんも今日という日を楽しみにしていてくれたのだということが嬉しかった。
「……そんなに見つめられると、恥ずかしいです。やはりこの水着は露出が多すぎたでしょうか」
「い、いえ! 素敵です! 最高に……最高に似合っています、ドヴァーさん!」
「もう、戦闘員くんったら……」
頬を染めながらも、ドヴァーさんが嬉しそうに微笑んだ。
オフィスの中から眺めるだけだった夏が今、俺の目の前にある。
俺は人生の幸福を噛みしめていた。
「あはは、水が冷たくて気持ちいいですね!」
ドヴァーさんが無邪気に波打ち際で跳ねる。
そのたびに、パレオから覗く白い太ももと、ビキニからこぼれそうな胸が揺れる。
桃源郷はここにあった。
「たまにはこうして、組織の活動を忘れてのんびりするのも悪くありませんね」
どうやらドヴァーさんの方もいい感じに息抜きになっているようだ。
たとえ束の間であっても、仮面を脱いでいる今この瞬間は「普通の男女」なのだ。
普段のジャスティースとの喧騒が嘘のような、至福のひととき。
透明な青の世界、寄せては返す波の音を聞きながら、二人で穏やかな時間を楽しんでいた。
ふと、風に乗って地鳴りのような大歓声とビートの効いた華やかな音楽が聞こえてきた。
「……あら? 向こうの特設ステージ、何かやってるみたいですね」
「すごい人だかりですね。ライブイベントみたいですが、行ってみますか?」
軽い気持ちで足を運んだ俺たちは、すぐにこの選択を後悔する事になる。
『みんなー! 今日は最高の夏にしようねーっ!』
聞き覚えのある、弾けるような美声。
ステージを見れば、そこにはフリルをあしらったアイドル衣装で歌い踊る、ヒーローチーム紅一点の姿があった。
「あ、あれは!!」
「ジャスティース・イエロー!?」
ドヴァーさんと俺は、反射的に物陰に隠れた。
「何故ここに彼女が……いや待てよ、そういえば」
そう、彼女は正義の味方の一人であると同時に、本業は現役のトップアイドルなのだ。
休暇中という気の緩みか、はたまた夏の空気に当てられてか、俺たちはそのことを完全に失念していた。
「迂闊でしたねドヴァーさん、まさかこんな所で鉢合わせするなんて……」
「いえ、落ち着いてください戦闘員くん。あちらも今は本業の活動中です。我々も今日は休暇ですから、戦う理由はありません」
確かに、と俺は一旦冷静になる。
今はスーツもない、何より今日は休暇でここに来ているのだ。
悪の組織だって休みの日に戦う義務はないはずだ。
……とはいえ、顔バレはマズい。
何せ俺は相手に完全に覚えられてしまっているのだ、うっかり見られでもしたら確実に面倒な事になるだろう。
「やや心許ないですが、変装すればバレないはずです」
ドヴァーさんの言葉を信じ、俺はサマーキャップとサングラスで出来る限り顔を隠した。
即席の変装ではあるが、無いよりはずっとマシだろう。
ドヴァーさんも麦わら帽子を深めに被り、眼鏡をくいっと直す。
「折角ですし、ライブ見て行っちゃいましょうかドヴァーさん。ほら、敵のパフォーマンス能力の把握……つまり敵情視察って事で」
「ふむ、そうですね……入場無料みたいですし、観客も多い。紛れ込むにはうってつけ。悪くないかもしれません。敵の分析も必要な事、あくまで任務の一環という事で」
俺とドヴァーさんはいかついけれど大人しいファンのカップルを装い、宿敵のライブを鑑賞することにした。
ステージに立つイエローの姿は、正しく圧巻の一言だった。
彼女は激しいダンスをこなしながら、一瞬も音程を外さず歌い続けていた。
「それにしても、すごいスタミナですね。動きが全く乱れていない」
「ええ。あの身のこなし、やはり伊達ではありませんね。目を見張るものがあります」
ドヴァーさんが感心したように呟く。
なるほど、あの蹴り技のキレはこのダンスパフォーマンスの賜物だったのか。
彼女には見る者全てを魅了するような、確かな「華」があった。
「敵ながら天晴れですね……。はは、なんだかこうして普通にライブを楽しんでいるのがおかしくなってきました」
「ふふ、本当ですね」
俺が笑うと、ドヴァーさんも声を弾ませた。
正義の味方の歌声にリズムを取る悪の組織の二人。
そのシュールな状況に、俺たちは思わず顔を見合わせて笑い合った。
ライブが最高潮に達した時、俺たちの視界に、ぽつんと一人で立ち尽くす小さな影が入った。
今にも泣き出しそうな顔で、男の子が周囲を見渡している。
「「坊や、大丈夫かい?」」
同時、俺と隣から聞こえた「誰か」の声が完璧に重なった。
振り向いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
(――ッ!! こいつは!!)
そこにはTシャツに短パンというラフな格好をした青年――レッドが立っていた。
思わず心臓が口から飛び出しそうになる。
「お、あんたも迷子を見つけた口か?」
どうやらただの体格のいいライブ客だと思っているようだ。
変装していて良かった……。
「あら、お母さんとはぐれてしまったんですね……大丈夫ですよ。ほら、泣かないで」
ドヴァーさんが膝をつき、そっとハンカチを差し出して少年の目元を拭う。
その手つきは、悪の幹部とは思えないほど優しさに満ちていた。
「やっぱり迷子か。よぉし、それならお兄ちゃんたちがママを探してやるよ!」
レッドがガッツポーズを取り、少年にニカッと笑いかける。
「ほんとう!?」
「おう、お兄ちゃんたちに任しとけ!」
レッドが俺の方に振り返りながら、俺の肩をガシッと掴んだ。
「あんたもこの子を心配して声をかけてくれたんだろう? きっとこれも何かの縁だ。この子のママ探し、協力して貰えるか?」
その瞳は、まるで炎のようにメラメラと燃えて見えた。
断れる雰囲気ではないし、元より断るつもりもなかった。
「よっし、決まりだ!」
事情を察してか、かき氷を手にしたクールなラッシュガード姿のブルーも合流する。
なし崩し的に、悪と正義の奇妙な四人組によるお母さん捜索隊が結成された。
「お母さんの姿は見えるかい?」
「うーんと、えーっと……やっぱりいないみたい」
体格の良さを活かして、俺は少年を肩車しながら会場を見渡す。
レッドとドヴァーさんは地道に声をかけて回り、ブルーは会場スタッフに知らせに向かっていた。
「そっか、もしかしたら中の方には居ないのかもしれないな」
一旦外の方を見てみた方がいいかもしれない。
そんな風に思っていたその時。
「おーい、居たぜ! こっちだー!」
レッドの呼び掛けを受けて、俺は少年が落ちないようしっかり支え、大急ぎで駆けた。
幸い、少年の母親はすぐ近くの物販コーナーで見つかった。
知らせに向かったブルーが、丁度母親と鉢合わせたのだ。
やはり外の方を探し回っていたらしい。
「本当になんてお礼を言っていいか、ありがとうございました!」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」
「よかったな、坊や! もうはぐれるんじゃないぞ!」
親子を見送り、レッドは俺に向かって白い歯を見せた。
「ありがとよ、あんた厳つい見た目の割にはすげえ優しいんだな!」
「いや、泣いている子供は見過ごせなかっただけだよ」
「ははっ、いい奴だなあんた。気に入ったぜ!」
レッドが手を差し出し、俺たちはぐっと固い握手を交わした。
サングラス越しに視線が交わる。
立場が違えば、きっと良い友人になれただろう。
そんな、どこか似た者同士のシンパシーが俺たちの間に流れた。
「……ふぅ、生きた心地がしませんでしたよ。これじゃ心臓がいくつあっても足りませんね」
すっかり夕暮れの浜辺。
ドヴァーさんがパレオの端をいじりながら、一気に脱力した俺を見て可笑しそうに笑った。
ライブが終わりに近付き、ジャスティースたちがイエローの楽屋へ向かうのを見計らって、俺たちはそそくさと会場を後にした。
ブルーが去り際に「あの二人、どこかで……」と首を傾げていたが、レッドに引っ張られて一緒に走り去って行った。
なんとかバレずに済んだようだ。
「それにしても、やっぱり優しいんですね、戦闘員くんは」
「ドヴァーさんこそ。真っ先にあの子を安心させてあげてたじゃないですか」
二人で顔を見合わせ、自然と笑いが込み上げてくる。
悪の組織として日々迷惑行為を働いている自分たちが、プライベートで純粋な善行を行い、しかも宿敵にも感謝される。
その矛盾が、たまらなく愛おしかった。
悪の組織と正義の味方――やっていることは正反対でも、困っている子供を放っておけない。
そんな根っこの部分は、意外と似ているのかもしれない。
「ドーン!」とライブのフィナーレを告げる花火が、夜空に大輪の花を咲かせた。
打ち上がる色とりどりの光に照らされたドヴァーさんの横顔は、どんな宝石よりも美しく、言葉を失うほどだ。
「今日は楽しかったです、戦闘員くん」
「俺もです。またいつか、来ましょう。今度はもう少し落ち着ける時に」
「ええ、絶対に」
どちらからともなく、手が重なった。
そっと、互いの体温を確かめるように。
悪の組織に入り、俺が手に入れた一番の宝物。
俺は繋いだ手を離さないよう強く、優しく握り返した。
帰路に着く二人の後ろ姿を、夜空の花火がいつまでも優しく見守っていた。
10/26追記 やや「」の使い方がくどかったのを修正しました。




