第九話 牧田の秘密
朝・野上家
朝。
圭司はテーブルの上に整理した資料とノートを見つめていた。
そこに残された名前。
**佐伯直人。**
**東央精密。**
**配達。**
**事故。**
**交換。**
**回収。**
そして――
**八号車。**
美咲がコーヒーを置く。
「まだ気になってる?」
「ああ」
圭司はノートから目を離さない。
「直人の事故だ」
「お母さんが調べてたことと、関係してる?」
「分からない」
圭司は答える。
「だから調べる」
---
その時、圭司の携帯が鳴る。
上野だった。
「野上さん、昨日の件ですが……」
「何か分かりました?」
「東央精密から出てきた古い資料に、8号車のブレーキ部品交換予定があったことは確認できました」
圭司の表情が変わる。
「交換予定?」
「はい。ただし、交換完了の記録までは確認できません」
「直人の事故は?」
上野は少し黙る。
「現時点では交通事故として扱ってます」
「……事故ですか?」
上野の声が低くなる。
「今の証拠だけでは、直人さんの事故も美穂さんことも事件として正式に動くのは難しい、」
「上野さんは?」
「私も今は勝手には動けません」
電話が切れる。
美咲が言う。
「じゃあ、私たちが調べるしかないね」
圭司は頷く。
「直人の家に行ってみる」
---
午後。
圭司と美咲は、直人の実家を訪ねる。
玄関を開けたのは、直人の母親だった。
「……野上さん?」
「はい」
圭司は頭を下げる。
「突然すみません」
「どうぞ……」
二人は家の中へ通される。
仏間。
そこには、直人の写真が飾られていた。
笑っている。
まだ若い。
美咲は写真を見る。
圭司も黙って頭を下げる。
二人は仏壇の前に座る。
静かに手を合わせる。
しばらくして、美咲が目を開ける。
直人の笑顔を見つめる。
---
居間。
直人の母親がお茶を出す。
圭司は少し迷ってから、スマートフォンに入れていた写真を見せる。
美穂の写真。
「この人……」
母親は写真を見る。
「ああ……」
圭司が聞く。
「直人さんの彼女だったんでしょうか?」
母親は首を横に振る。
「いいえ」
圭司の表情が変わる。
「違う?」
「直人の彼女は、別の女性です」
母親は立ち上がる。
「ちょっと待ってください」
奥の部屋へ入っていく。
しばらくして、古いアルバムを持って戻ってくる。
ページを開く。
そこには――
直人と、
直人と同じくらいの年齢の女性が並んで写っていた。
母親が言う。
「この人です」
「水野香織さんは、直人と付き合っていました」
圭司は写真を見る。
美穂とはまったく違う。
「いつ頃まで?」
「直人が亡くなる少し前までだと思います」
美咲が聞く。
「別れてたんですか?」
母親は頷く。
「事故の少し前に、別れたと聞いています」
---
圭司は写真から顔を上げる。
「もう一つ、聞いてもいいですか?」
「はい」
「直人さんは、何か調べていたことはありませんでしたか?」
母親は少し考える。
「調べていた……というより」
「というより?」
「兄のことを心配していました」
圭司と美咲が顔を見合わせる。
「お兄さん?」
「ええ」
母親の表情が曇る。
「東央精密に勤めていたんです」
圭司が聞く。
「何かあったんですか?」
「直人は、兄が会社で何か悩んでいるんじゃないかって……」
「何を?」
「そこまでは、私には話しませんでした」
母親は写真を見る。
「ただ、何度か兄の名前を出していました」
美咲が尋ねる。
「直人さんは、お兄さんのことを調べていたんですか?」
「たぶん……」
母親は小さく頷く。
「何か悪いことをしたんじゃないか、と心配していたみたいです」
---
圭司が聞く。
「お兄さんは、今どうされていますか?」
母親の顔が少し曇る。
「……入院しています」
「入院?」
「はい」
「どちらに?」
「病院は……」
母親は一瞬迷う。
そして病院名を告げる。
美咲がメモする。
圭司は考える。
「当時のことを聞ける可能性はありますか?」
母親は黙ってしまう。
「分かりません」
そして、小さく続ける。
「でも……」
「はい」
「直人が亡くなる前、兄と何度か電話で話していました」
圭司の表情が変わる。
「何について話していたか、聞いていますか?」
母親は首を横に振る。
「そこまでは……」
---
佐伯家を出る。
夕方。
美咲が言う。
「水野香織さん」
「ああ」
「直人くんの彼女だった」
「それと、兄貴」
「東央精密で働いていた」
圭司は歩きながら考える。
「直人は美穂を調べてたんじゃない」
「お兄さんを心配してた」
「そういうことになる」
美咲が言う。
「じゃあ、お母さんが直人くんと話したことがきっかけで、直人くん自身の調査が始まったのかな」
圭司は頷く。
「たぶんな」
「でも……」
美咲が立ち止まる。
「直人くんが事故に遭ったのは、その調査を始めた後だよね」
圭司も立ち止まる。
「……そうだ」
二人の間に沈黙が落ちる。
---
夜。
牧田は会社の資料室にいた。
古い事故資料。
十五年前の8号車。
牧田は一枚の資料を見る。
**特別業務協力費。**
事故の直後、大手ディーラーから会社に入った金。
その処理をしたのは、
当時の専務。
そして営業部の黒田。
牧田は資料を閉じる。
「……やっぱり、うちの会社も関わってる」
その時、圭司から電話が入る。
「牧田」
「ん?」
「直人の実家に行ってきた」
牧田の表情が変わる。
「何か分かったか?」
「直人には彼女がいた」
「……香織か?」
圭司が黙る。
「知ってるのか?」
牧田は一瞬、言葉を失う。
「……知ってる」
「どんな人だ?」
「直人が大事にしてた人だ」
「別れた理由は?」
牧田は答えない。
「牧田?」
「……そこまでは知らない」
電話が切れる。
牧田は深く息を吐く。
---
牧田は机に戻る。
そこには、会社の古い資料と自分で作ったメモ。
**8号車**
**事故処理**
**特別業務協力費**
**専務**
**黒田**
牧田は資料を見つめる。
美穂から相談されたことがきっかけだった。
それで牧田は、何かがおかしいと思っていた。
会社の中で何が起きたのか。
事故後、なぜ金が動いたのか。
そして――
なぜ8号車の交換が行われなかったのか。
牧田は一人で調べ続けていた。
---
同じ夜。
圭司と美咲は、美穂のノートを見ていた。
牧田は、運送会社の古い資料を調べている。
そして上野は――
大手ディーラーと東央精密の資料を追っていた。
三人は、それぞれ別の場所で調べている。
しかし向かっている先は同じだった。
**十五年前の8号車。**
圭司がノートを見る。
「美穂は、何かを見つけた」
美咲が言う。
「でも、まだ分からない」
「だから探す」
---
夜。
牧田の会社に、古い郵便物が届く。
牧田が受け取る。
その中に、一通の封筒。
差出人は――
**野上美穂。**
牧田の手が止まる。
封筒には、
**牧田吾郎様**
とだけ書かれている。
牧田は封筒を見つめる。
開けようとする。
しかし――
その時、会社の電話が鳴る。
牧田は封筒を机に置く。
電話に出る。
「はい、牧田です」
---
野上家。
美咲は母のノートを閉じる。
「圭司」
「ん?」
「直人くんの事故って、本当に事故なのかな」
圭司はしばらく黙っている。
そして言う。
「……まだ分からない」
「でも」
美咲が続ける。
「直人くんが調べてたことと、15年前の事故がつながってる」
圭司は頷く。
「それは間違いない」
美咲はノートを見る。
最後の一行。
**「直人くんも、何か知っている。」**
圭司はその文字を見つめる。
「母さんは……直人が何を知ってると思ってたんだ?」
---
8号車に起きたこと。
東央精密。
大手ディーラー。
そして、事故後に運送会社へ流れた金。
三つの調査が、ついに一つの真実へつながっていく。




