第八話 消えた記録
圭司と美咲は、自宅のテーブルに美穂の古いノートを広げていた。
美穂が亡くなったあと、圭司が見つけたものだ。
ほとんどは日常のメモだった。
買い物。
仕事。
電話番号。
だが、後半になるにつれて、文字の内容が変わっている。
美咲がページをめくった。
「……これ」
「何だ?」
「この名前」
指で示したのは、
**佐伯直人**
だった。
その横に、小さく書かれている。
――東央精密。
――配達。
――事故。
圭司は眉を寄せた。
「直人……」
「お母さん、直人さんのこと調べてたのかな」
「分からない」
さらにページをめくる。
そこには三つの言葉が並んでいた。
**交換**
**回収**
**八号車**
圭司の手が止まった。
「……八号車」
美咲が父を見る。
「圭司が乗ってたトラック?」
「ああ」
圭司はノートを見つめた。
十五年前、自分が運転していた八号車。
事故のあと、会社では何度も聞かされた。
「運転ミスだった」
「ブレーキ操作が遅れた」
「車両には問題がなかった」
だから圭司は、ずっとそう思ってきた。
自分のせいだった。
だが――
美穂は違うと思っていた。
「お母さん……」
美咲がページを指差した。
その下に、もう一行あった。
**「直人くんも、何か知っている。」**
圭司は息を止めた。
「直人が……?」
「うん」
「でも、直人は事故で死んだ」
「その事故も、お母さんは調べてたのかもしれない」
圭司はノートを閉じた。
「上野さんに連絡する」
その瞬間だった。
スマートフォンが鳴った。
上野からだった。
*
「野上さん」
電話の向こうから上野の声が聞こえた。
「東央精密の古い資料を調べました」
「何か出たんですか?」
「出ました」
一拍。
「八号車の記録です」
圭司の表情が変わった。
「……何の記録です?」
「ブレーキ部品の交換記録です」
美咲が顔を上げた。
「交換……?」
上野は続けた。
「十五年前、東央精密から大手ディーラーへ、ブレーキ部品が出荷された記録があります」
「それが八号車と関係してるんですか?」
「記録上は、そうなっています」
圭司の胸が締めつけられる。
「交換されたんですか?」
「そこがおかしいんです」
上野の声が低くなった。
「交換予定の記録はある。しかし、実際に交換したという完了記録が見当たらない」
「……つまり?」
「交換する予定だった。でも、本当に交換されたかどうかが分からない」
圭司は黙った。
「その車両は?」
「8号車です」
部屋の空気が止まった。
美咲が圭司を見る。
圭司は何も言えなかった。
*
上野は資料をめくった。
「もう一つ、気になる事があります」
「何です?」
「佐伯直人さんです」
圭司の目が鋭くなる。
「直人?」
「はい」
「何か分かったんですか?」
「直人さんの事故があった当日、東央精密から大手ディーラーへの緊急配送記録があります」
圭司は黙って聞いた。
「その日は、佐伯さんは本来休みだったようです」
「……休み?」
「はい」
「なのに?」
「東央精密から急な仕事が入って、佐伯さんが出勤した」
上野が一枚の記録を確認する。
「荷物はブレーキ部品」
美咲が小さく息を飲んだ。
「ブレーキ……」
「配送先は?」
圭司が聞いた。
「大手ディーラーです」
圭司は椅子から立ち上がった。
「直人は、その部品を運んでいた?」
「そのようです」
「それで事故に……」
「はい」
電話の向こうで、上野がしばらく黙った。
「野上さん」
「はい」
「偶然にしては、重なりすぎています」
圭司は答えなかった。
十五年前。
8号車。
ブレーキ部品。
そして直人。
同じ東央精密。
同じ大手ディーラー。
何かがつながっている。
*
電話が終わった。
美咲が言った。
「圭司」
「ああ」
「直人さんって……十五年前の事故のことを知ってたんじゃない?」
圭司は美穂のノートを見た。
そこには、
**「直人くんも、何か知っている。」**
と書かれている。
「だから、お母さんは調べてた」
「うん」
「直人が何を知っていたのか」
「そして……」
美咲が続けた。
「直人さんが、どうして休みの日に急にブレーキ部品を運ぶことになったのか」
圭司は頷いた。
「そこだ」
そのとき、圭司のスマートフォンが再び鳴った。
今度は牧田だった。
「もしもし」
『圭司か』
「牧田。ちょうど聞きたいことがある」
『……何だ?』
「直人の事故のことだ」
電話の向こうが静かになった。
「直人は、あの日、本当は休みだったんだろ?」
『……ああ』
「それなのに東央精密から急な仕事が入った」
『そうだ』
「ブレーキ部品を、大手ディーラーまで運んだ」
また沈黙。
圭司は眉を寄せた。
「牧田?」
しばらくして、牧田が低い声で言った。
『……俺も調べてる』
「何を?」
『うちの会社だ』
圭司は言葉を失った。
「どうして……」
『……あの事故には、会社の人間が関わってる』
圭司の表情が変わった。
「誰だ?」
『まだ確証がない』
「誰なんだよ」
長い沈黙。
『営業部の黒田』
圭司の記憶に、昔の顔が浮かんだ。
当時、営業部にいた男。
黒田。
牧田と同じ部署だ。
『それと……当時の専務だ』
「専務?」
『ああ』
「何をした?」
牧田はすぐには答えなかった。
『……金が動いてる』
「金?」
『大手ディーラーから、うちの会社に』
圭司は息を呑んだ。
『事故のあとだ』
「何のために?」
『それを調べてる』
「だったら警察に――」
『証拠がない』
牧田の声が重くなる。
『それに、もし本当なら……』
「……何だ?」
『お前が実刑を食らわなかった理由にも、関係してるかもしれない』
圭司は何も言えなかった。
事故当時、自分は過失致死罪で裁かれた。
だが、実刑にはならなかった。
会社は自分を守ってくれたと思っていた。
少なくとも、そう信じていた。
しかし――
違ったのか。
『圭司』
「……何だ?」
『俺が今調べてることは、美穂にも全部は話してない』
「なぜ?」
『巻き込みたくなかった』
「だったら、なぜ俺にも言わなかった?」
牧田は黙った。
そして、
『いえるわけないだろ・・・』
その言葉を最後に、電話は切れた。
圭司はスマートフォンを下ろした。
*
同じ頃。
上野は調べた情報を机に並べていた。
一枚の古い記録。
そこには、
**8号車**
そして、
**ブレーキ部品交換予定**
と書かれている。
その下。
交換完了の記録はない。
上野は別の資料を開いた。
大手ディーラーとの取引記録。
そこには、
**「対象車両については個別対応」**
という記述がある。
さらに、
**「外部への公表は不要」**
という文字。
上野は眉をひそめた。
「……リコールじゃないのか?」
その横にある資料には、さらに不自然な記録があった。
事故後。
大手ディーラーから、圭司の会社へ支払われた多額の金。
名目は、
**「特別業務協力費」**
上野は数字を見つめた。
「こんな金額……」
さらに下には、承認者の名前。
当時の専務取締役。
そして営業部。
**黒田。**
上野は椅子に座り直した。
十五年前の事故。
8号車。
ブレーキの欠陥。
回収に間に合わなかった車両。
そして事故後に動いた金。
「……一体、誰が何を隠した?」
上野は資料を閉じた。
*
夜。
圭司は一人、古いノートを開いていた。
美穂の文字。
八号車。
交換。
回収。
直人。
そして――牧田。
圭司は目を閉じた。
十五年前。
自分は事故を起こした。
そう思っていた。
会社もそう言った。
警察も、裁判も、その前提で進んだ。
だが。
もし、その裏で金が動いていたとしたら。
もし、自分を守ったと思っていた会社が――
実は何かを隠すために自分を利用していたとしたら。
圭司はゆっくり目を開けた。
「……牧田」
あいつは何を知っている。
そして、なぜ今になって自分の会社を調べている。
その答えを知るためには――
牧田が隠している正体を突き止めるしかなかった。
十五年間消えていた記録。
事故後に動いた金。
そして、直人が最後に運んでいたブレーキ部品。
すべてが、同じ場所を指し始めていた。




