第六話 美穂が追ってたもの
翌日。
圭司は牧田と並んで、会社の事務所へ入った。
「おはようございます。」
圭司が声をかける。
何人かの社員が顔を上げた。
いつもの事務所。
いつもの仕事。
十五年前の事故など、最初から存在しなかったかのような空気だった。
だが、圭司にとっては違う。
あの日以来、自分の中から一度も消えたことのない事故。
そして今、その事故を美穂が死ぬ直前まで調べていた。
「圭司」
牧田が呼んだ。
「何だ?」
「今日、上野さんと会うんだろ?」
「ああ」
「俺も行こうか?」
圭司は牧田を見る。
「いや、いい」
「そうか」
牧田はそれ以上何も言わなかった。
その態度が、かえって圭司には気になった。
――なぜ、そんなに落ち着いていられる?
美穂が死んだ。
十五年前の事故が掘り返されている。
そして牧田自身も、事故について美穂から相談を受けていた。
なのに。
牧田は何かを知っているようで、何も言わない。
「牧田」
「ん?」
「……美穂のこと、本当に何も知らないのか?」
牧田は少しだけ黙った。
「前にも言っただろ」
「事故のことを相談された、ってだけか?」
「ああ」
「それだけ?」
牧田は圭司を見た。
「圭司」
牧田の声が少し低くなった。
「いや、何でもない。」
圭司は眉を寄せた。
「なんだ?」
「……すまん」
牧田はそれだけ言うと、机に向かった。
圭司はその背中を見つめた。
疑いは、消えなかった。
むしろ――
深くなった。
*
夕方。
圭司と美咲は、上野刑事と待ち合わせた。
美咲は少し緊張した様子で、ノートを抱えている。
「圭司」
「ん?」
「私たちが調べたこと、全部話すんだよね?」
「ああ」
「牧田さんのことも?」
圭司は少し間を置いた。
「……ああ」
そこへ上野が現れた。
「待たせました」
「いえ」
三人は喫茶店の奥の席についた。
上野が最初に口を開く。
「今日は、お互いが調べたことを整理しましょう」
「俺たちも、いくつか分かったことがあります」
圭司が答えた。
「まず、そちらから」
上野は手帳を開いた。
「分かりました、事件当日のことは先日話したこと以外わかったことはありません。警察はほぼ事故ということで区切りをつけてます。ただ、私は納得がいかなくて働いてた東央精密の関係者に会いました。」
美咲が顔を上げた。
「東央精密……」
「はい。美穂さんが働いていた先日倒産した会社です。」
上野は数枚のコピーをテーブルに置いた。
「野上美穂さんは、十五年前の事故があった時期から、東央精密に入社してます。」
圭司は資料を見る。
「十五年前……離婚後か?」
美咲が資料を覗き込む。
「最初はパート入社から途中で正社員になっています」
上野は続けた。
「一人、東央精密の社員ではないんですが深く関わっていた人物がいます」
「佐伯直人……」
圭司が言った。
上野が頷く。
「そうです」
「俺たちの会社の後輩です」
「その点も確認しました」
上野は別の資料を出した。
「佐伯直人さんは、東央精密への配送を担当していました」
「事故のことも知っていた」
「はい」
圭司の顔が険しくなる。
「直人が死んだのは……東央精密が倒産する少し前だった」
「その通りです」
上野は少し間を置いた。
「そして、直人さんが亡くなる直前、東央精密について何か調べていた可能性があります」
「何かって?」
「まだ断定できません」
上野は首を振った。
圭司は黙って資料を見た。
すると美咲が口を開いた。
「私たちも、分かったことがあります」
上野が美咲を見る。
「聞かせてください」
美咲はノートを開いた。
「お母さんが昔働いていた店の人に会いました」
「スナックですね?」
「はい」
「何か聞けましたか?」
「事故の前に、お母さんはある男の人の話を聞いていたそうです」
「どんな話です?」
美咲は一度、圭司を見る。
そして言った。
「――『早く八号車を回収しないといけない』」
上野の表情が変わった。
「八号車……?」
「圭司が、昔乗っていた車です」
美咲が言う。
「そうです」
圭司が答えた。
「俺はずっと八号車だった」
上野は黙って考えた。
「事故の前に、その言葉を聞いていた……」
「それだけじゃありません」
美咲が続ける。
「事故のあと、その男がまた店に来たそうです」
「何と言っていたんです?」
「『八号車の回収に間に合わなかった』」
上野がゆっくり顔を上げた。
圭司は拳を握った。
「それを聞いて、美穂は初めて、自分が聞いた話と俺の事故がつながってるんじゃないかと思った」
「だから調べ始めた……」
上野が呟く。
「おそらく」
圭司は答えた。
「でも、それだけじゃない」
上野が顔を上げる。
「何です?」
圭司は牧田の顔を思い浮かべた。
「美穂は、そのことを牧田に相談していた」
上野の手が止まった。
「牧田さんに?」
「はい」
美咲が答える。
「そして、牧田さんは東央精密のことを知っていました」
上野はしばらく黙っていた。
「……なるほど」
その一言だけだった。
だが、その表情は明らかに変わっていた。
「牧田さんは、何と言っていました?」
圭司が答える。
「『少し俺のほうで調べる』と」
「それ以外は?」
「何も」
「そして今も?」
「何も話さない」
上野は手帳を閉じた。
「圭司さん」
「はい」
「私はまだ、牧田さんが美穂さんの死に関係しているとは考えていません」
圭司は黙って聞いている。
「ですが――」
上野は続けた。
「牧田さんが、十五年前の事故について何かを知っている可能性は高くなりました」
美咲が小さく呟く。
「じゃあ……お母さんは、牧田さんに何かを調べてもらってた?」
「その可能性はあります」
上野が答える。
「しかし、もう一つ気になることがあります」
「何です?」
圭司が聞いた。
「なぜ、美穂さんはそこまでして十五年前の事故を調べたのか」
圭司は言葉を失った。
美咲も黙った。
それは、ずっと二人が追っていた疑問だった。
美穂は事故の真相を知りたかった。
それは分かる。
だが――
なぜ、十五年も経ってから。
なぜ、圭司に電話をするほどまでに。
そして。
なぜ、死ぬ直前まで調べ続けていたのか。
上野が静かに言った。
「私は、十五年前の事故が鍵だと思っています、そして東央精密、」
「東央精密……」
「はい」
圭司が資料を見る。
そこには、十五年前の日付が並んでいる。
東央精密。
八号車。
佐伯直人。
そして美穂。
すべてが、同じ一点へ向かっている。
十五年前。
圭司の人生を変えた事故。
その事故の直前に、美穂が聞いた言葉。
――八号車を回収しろ。
圭司は、初めて考えた。
もしかすると美穂が追っていたのは、
**自分が事故を起こした理由ではなく――**
**事故が起きる前に、誰かが八号車を回収しようとしていた理由なのではないか。**
その瞬間。
十五年前の事故が、これまでとはまったく違う形で見え始めた。
そして圭司は知らなかった。
その答えに近づくための手掛かりが――
すでに美穂自身によって、誰かに託されていることを。
テーブルの上にある資料を見つめながら、圭司は思った。
――美穂。
お前は、いったい何を見つけたんだ。




