第四話 牧田
上野が帰ったあとも、圭司はしばらく玄関に立っていた。
刑事の言葉が頭から離れない。
美穂の携帯電話から、自分の番号が消されていた。
着信履歴も、発信履歴も。
美穂自身が消したのか。
それとも――
誰かが消したのか。
「……分からねえな」
圭司はリビングへ戻った。
テーブルの上には、あの封筒がある。
美穂が最後に残したもの。
圭司は手を伸ばしかけた。
しかし、やめた。
まだ開ける気にはなれなかった。
そのときふと、窓の外を見た。
道路の向こうを、一台の車が走っていく。
「……あれ?」
圭司は目を細めた。
見覚えのある車だった。
牧田の車。
「牧田……」
圭司はしばらく車の走っていった方向を見ていた。
偶然なのか。
それとも――。
*
翌日。
圭司は牧田を訪ねた。
営業部のフロアで、牧田はパソコンに向かっていた。
「牧田」
声をかけると、牧田が顔を上げた。
「おう、圭司」
「ちょっといいか?」
「何だよ」
「昨日、俺の家に来ただろ」
牧田の表情が一瞬だけ止まった。
「……見てたのか」
「ああ」
「そうか」
「何しに来た?」
牧田は少し黙った。
「別に」
「別に、じゃねえだろ」
圭司は牧田を見る。
「美穂のこと、何か知らないか?」
牧田は答えなかった。
「十五年前の事故のことでもいい」
「……」
「美穂が死ぬ前に、俺に電話してきた」
牧田の顔が変わった。
「事故のことを話した」
「何て?」
「俺のせいじゃなかったかもしれないって」
牧田は視線を落とした。
「……そうか」
「それだけじゃない」
「?」
「美穂は、誰かに会わせたいって言ってた」
牧田は何も言わなかった。
「だから聞きたいんだ」
圭司の声が低くなる。
「美穂、お前に何か話してなかったか?」
しばらく沈黙が続いた。
やがて牧田が口を開く。
「……あったよ」
「何が?」
「十五年前の事故について、話したいことがあるって言ってた」
圭司の目が変わった。
「いつ?」
「少し前だ」
「何を聞いた?」
「何も聞いてない」
「嘘つくな」
「嘘じゃない」
牧田は圭司を見た。
「美穂は、俺にも詳しいことは言わなかった」
「じゃあ、何で会おうとした?」
「分からない」
「お前は会ったのか?」
牧田は黙った。
「牧田」
「……会ってない」
その答えに、圭司は違和感を覚えた。
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、何で昨日うちに来た?」
牧田はしばらく考えてから答えた。
「美穂が死んだからだ」
「それだけか?」
「……それだけじゃない」
牧田は低い声で言った。
「十五年前の事故のことが、もう一度動き始めた気がした」
圭司は黙った。
「俺も、あの事故にはずっと引っかかってた」
「何が?」
「当時は分からなかった」
「今は?」
「まだ分からない」
牧田はそう言って、視線をそらした。
「だから調べてる」
「何を?」
「十五年前の事故を」
圭司は牧田を見つめる。
牧田は昔から、肝心なところを話さない男だった。
だが今回は違う。
何かを隠している。
そんな気がした。
「美穂は、事故について何か見つけたのか?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「そういう言い方をしてた」
「何て?」
牧田は少し迷った。
「『あの事故、本当に圭司が悪かったのかな』って」
圭司の胸が詰まった。
それは、美穂が最後の電話で言った言葉と同じだった。
「それで?」
「それだけだ」
「他には?」
「ない」
牧田は立ち上がった。
「悪い。仕事がある」
牧田は何も言わず、その場を離れた。
*
美穂は十五年前の事故について、何かを調べていた。
そして、牧田にも何かを話していた。
なぜ今になって?
事故から十五年も経っているのに。
「……何があったんだよ、美穂」
圭司は呟いた。
その夜。
牧田は一人、自分の車の中にいた。
助手席には古い書類が置かれている。
その一番上に、一枚の名刺があった。
**東央精密株式会社。**
牧田はそれを手に取る。
「……美穂」
小さく名前を呼ぶ。
そして、名刺を封筒の中へ戻した。
まだ圭司には話せない。
いや。
今は、話してはいけない。
一方、圭司は自宅のテーブルに座っていた。
目の前には、あの封筒。
美穂が最後に残した封筒。
圭司はそれを見つめる。
だが、まだ開けない。
美穂が最後に何を伝えようとしていたのか。
それを知るのは、まだ先だった。
そして圭司はまだ知らない。
牧田が隠しているものが――
美穂を殺した人間につながる秘密なのか。
それとも。
十五年前の事故につながる秘密なのか。
この時の圭司には、まだ分からなかった。




