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止まらない車輪が動くまで  作者: 空雨 素志


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第三話 上野


 美穂の葬儀から三日が過ぎた。


 雨は上がっていた。


 けれど、圭司の中には、まだ重たい雲が残っていた。


 テーブルの上には、一通の封筒が置かれている。


 美穂が、美咲に託したもの。


 葬儀の日、美咲から渡された。


 宛名もない。


 差出人の名前もない。


 ただ、美穂の字で、封がされている。


 圭司は何度も手に取った。


 そして、そのたびに元へ戻した。


「……何が入ってるんだよ」


 開ければ分かる。


 それは分かっている。


 だが、今は開けたくなかった。


 美穂が最後に残したものなら――


 それを開けることで、何かが終わってしまうような気がした。


 そのときだった。


 玄関のチャイムが鳴った。


 圭司が玄関へ向かう。


 ドアを開けると、そこには一人の男が立っていた。


「野上さんですね」


「……はい」


「警察の上野です」


 圭司は男の顔を見た。


 葬儀の前にも、一度会っている。


 美穂の死について事情を聞きに来た刑事だった。


「何か分かったんですか?」


 上野はすぐには答えなかった。


「少し、お話を伺いたいんですが」


「どうぞ」


 圭司は上野を中へ通した。


     *


「コーヒーでいいですか?」


「いや、大丈夫です」


 上野はテーブルの向かいに座った。


 しばらく黙っていたが、やがて口を開く。


「元奥さんのことなんですが」


「……はい」


「美穂さんの死について、私は少し気になっていることがあります」


 圭司の顔が上がった。


「事故じゃないんですか?」


「まだ何とも言えません」


 上野は慎重だった。


「ただ、現場の状況をもう一度確認しています」


「何かおかしかった?」


「いくつかあります」


 上野は手帳を開いた。


「美穂さんが亡くなった場所は、自宅から少し離れています」


「はい」


「ところが、亡くなる直前まで美穂さんが持っていた携帯電話の記録を調べると、少し妙なんです」


 圭司は黙って聞いていた。


「一部携帯電話の履歴が消されまして。」


「もしかして俺の?」


「時間は午前十時二十三分」


 圭司は頷いた。


「その電話の内容は?」


「離婚前の事故のことでした」


「何か具体的な話は?」


「美穂は……俺のせいじゃなかったかもしれない、と」


 上野の目が変わった。


「十五年前の事故について?」


「はい」


「他には?」


「会って話したい、と」


 圭司はそこで言葉を止めた。


 美穂の最後の言葉が頭に浮かぶ。


 ――あなたに会わせたい人がいる。


「それと……」


 圭司は続けた。


「会わせたい人がいるって言ってました」


「誰です?」


「……多分、美咲です」


 上野は一瞬だけ黙った。


「娘さんですね」


「はい」


「野上さんの実の娘だと?」


「……最近知りました」


 上野は何も言わなかった。


 その代わり、手帳を閉じる。


「実は、もう一つ気になることがあります」


「何です?」


「野上さんの電話番号です」


「俺の?」


「はい」


 上野は圭司を見た。


「美穂さんの携帯電話から、野上さんの番号が消されています」


 圭司は眉をひそめた。


「……消された?」


「はい」


「着信履歴と番号?」


「消えています」



 圭司は言葉を失った。


「もしかして、俺を疑っています?」


 上野は、少し微笑みながら言った


 「いや、野上さんのアリバイは立証済みです」


 圭司は、少し安堵した、


 電話の記録は誰がけした?

 

 美穂自身が消した?


 なぜ?


「事故の前に、自分で消したんですか?」


 圭司が聞いた。


「その可能性はあります」


「だったら……」


 圭司は考え込む。


「俺に電話したことを、誰かに知られたくなかった?」


「そう考えることもできます」


「誰かに?」


「はい」


 上野はそこで話を止めた。


「ただし、まだ推測です」


「……上野さん」


「はい」


「美穂は、誰かに殺されたんですか?」


 上野はすぐには答えなかった。


 窓の外を見る。


「私は、事故として片づけるには、少し引っかかる点があると思っています」


「……」


「だから調べています」


 圭司は上野を見つめた。


 上野の表情に、迷いはなかった。


 この男は、美穂の死を単なる事故だとは考えていない。


 圭司にも、それが分かった。


「一つだけ、教えてください」


 上野が立ち上がる。


「美穂さんは、十五年前の事故について、最近何か調べていたと思いますか?」


 圭司は答えられなかった。


「……分かりません」


「そうですか」


 上野は玄関へ向かった。


 そして、ドアの前で振り返った。


「もし何か思い出したら、連絡してください」


「はい」


「それと」


「?」


「その封筒」


 圭司の視線が、リビングのテーブルへ向いた。


 美穂が残した封筒。


 上野も、それを見ていた。


「まだ開けていないんですか?」


「……はい」


「そうですか」


 上野はそれ以上、何も聞かなかった。


「では」


 ドアが閉まる。


 圭司は一人、リビングに戻った。


 テーブルの上の封筒を見る。


 美穂が最後に残したもの。


 中には何が入っているのか。


 十五年前の事故のことなのか。


 美咲のことなのか。


 それとも――


 美穂の死につながる何かが入っているのか。


 圭司は封筒に手を伸ばしかけた。


 しかし、やめた。



 そのとき。


 玄関の外から、車のエンジン音が聞こえた。


 圭司が窓から外を見る。


 見覚えのある車が、ゆっくりと走り去っていく。


「……牧田?」


 圭司は眉をひそめた。


 牧田は何も言わずに帰っていった。


 圭司は知らなかった。


 美穂の死を疑っているのは、刑事の上野だけではない。


 そして――


 美穂が最後に残した封筒が開かれるのは、まだ先のことだった。


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