第十一話 最後の封筒
牧田の部屋。
テーブルの上に、一枚の古い記録が置かれていた。
圭司は、その紙を見つめていた。
そこには、はっきりと書かれている。
**「欠陥交換完了記録」**
その下に、
**「8号車 不可」**
圭司の指が止まった。
「……これが」
声が出ない。
牧田が静かに頷く。
「美穂さんが、東央精密で見つけた記録だ」
「倒産する前に?」
「ああ」
「じゃあ、美穂は……」
「十五年前の事故が、圭司のせいじゃないって確信したんだと思う」
圭司は椅子に深く座った。
十五年間。
自分のせいだと思い続けてきた事故。
その原因が、目の前の一枚の紙に記されていた。
「牧田……」
「ん?」
「お前、いつから知ってた?」
牧田は黙った。
「美穂が調べてたこと」
「……少し前からだ」
「なんで言わなかった」
「美穂さんに頼まれてた」
「俺に知られたくないって?」
「お前を巻き込みたくないって」
圭司は何も言わなかった。
牧田は続けた。
「それに俺自身も、会社の中を調べてた」
「会社を?」
「ああ」
牧田は、別の資料を取り出した。
「そう事故のあと、大手ディーラーからうちの会社に金が入ってる」
「特別業務協力費という名目だった」
「当時の専務と、営業部の黒田」
圭司は資料を見る。
「……黒田」
その名前を、ゆっくり口にした。
「美穂さんは、最後にお前に伝えようとしたんだと思う」
牧田が言った。
「事故のことも。美咲のことも」
圭司は目を閉じた。
「美咲……」
---
その日の夜。
圭司の家。
テーブルの上に、古い封筒が置かれていた。
美咲が両手で持っている。
「これ……開けないの?」
「母さんの?」
美咲が尋ねる。
「うん」
圭司は封筒を見た。
開けるときに上野刑事も同席したいと言っていた。
上野に電話する
「開けようと思います。」
「分かりました、すぐ行きます」
しばらくして上野が来る。
圭司が美咲が尋ねる。
「開けます」
上野が静かに頷く。
「では……」
圭司が封筒を手に取る。
その時だった。
「ん?ちょっと待ってください!」
上野の声が飛んだ。
圭司が振り向く。
「どうした?」
上野は封筒を見ている。
「これ……」
封筒の表面を指差す。
「切手が貼られてない」
圭司が確認する。
勿論切手などない。
消印もない。
「……え?」
美咲が声を漏らした。
「これは、美穂さんから送られてきたんじゃないんですか?」
上野が聞く。
「これ、お母さんから送られてきたんじゃない」
「え?」
「葬儀の時に、私が持ってたんです」
美咲は封筒を見つめた。
「お母さんから、圭司に渡してって頼まれて」
上野の表情が変わった。
「じゃあ……」
「郵送されたものじゃない」
「はい」
美咲は頷いた。
「ずっと私が持ってました」
上野は封筒から目を離さなかった。
圭司が言う。
「でも、それがどうした?」
「……いや」
上野は何かを考えている。
「美穂さんから送られてきたんじゃないんですか?」
「違います」
美咲が答える。
「……そうですか」
上野の顔色が変わった。
圭司は気づく。
「上野?さん?」
「すみません」
上野が立ち上がった。
「ちょっと、確認したいことがあります」
「何を?」
「まだ分かりません」
上野は上着を手に取った。
「でも……」
玄関へ向かいながら、突然立ち止まる。
何かを思い出したようだった。
---
数日前。
警察署。
上野は美穂の死亡直前の行動を調べた。
防犯カメラ。
郵便局。
美穂が入っていく姿。
手には封筒らしきものを持っていた。
上野は、その映像を一度だけ確認していた。
だが――。
「……どういうことだ」
上野が呟く。
美穂は、郵便局に行っていた。
なのに。
今、あの手紙には切手がなかった。
郵送されたものではない。
では――。
「美穂さんの、あの封筒はどこ行った?」
上野は急いで警察署へ戻る。
---
圭司の家。
玄関のドアが閉まる。
上野はもういない。
圭司と美咲は、顔を見合わせた。
「何だったんだろう」
美咲が言う。
「さあな」
圭司は封筒を見る。
「でも、これだけは確かだ」
「何?」
「母さんが、お前に託した」
美咲は頷いた。
「うん」
圭司は封筒を開ける。
中から、一枚の便箋が出てきた。
美穂の字。
見た瞬間、圭司の胸が詰まった。
「……美穂」
美咲も隣から覗き込む。
最初の一行。
そこには――。
**圭司へ。**
と書かれていた。
圭司は震える手で読み始める。
---
**圭司へ。**
この手紙をあなたが読んでいるということは、私はもうあなたの前にはいないのでしょう。
十五年前のことを、ずっと話せずにいてごめんなさい。
私は、あなたを恨んでいたわけじゃない。
むしろ逆でした。
あなたを守りたかった。
だから、何も言わずに離れました。
でも、時間が経って、あなたが仕事で少しずつ前に進んでいると聞きました。
それなら、それでいいと思っていました。
私が過去を掘り返して、あなたを苦しめる必要はないと思っていた。
もう十五年前のことは、終わったことにしようと思っていた。
そんな私が、もう一度あの事故を調べることになったのは、直人くんと話したことがきっかけでした。
でも、誤解しないでください。
直人くんとは何でもないです。
彼はお兄さんのことを心配して、自分で調べていたんです。
その話を聞いて、私は初めて、もう一度だけ十五年前のことを調べようと思いました。
そして、東央精密で見つけました。
八号車の記録を。
あなたは悪くなかった。
それだけは、どうしてもあなたに伝えたかった。
そして、もう一つ。
あなたに会わせたい人がいます。
私とあなたの娘です。
美咲です。
この子には、あなたのことを何も悪く言っていません。
ただ、いつか会える日が来たらいいと思っていました。
もし、この子があなたのところへ行ったら――。
どうか、よろしくお願いします。
圭司。
あなたは、もう自分を責めなくていい。
十五年前のことも。
私と別れたことも。
何もかも。
あなたは、あなたの人生を生きてください。
美咲と一緒に。
それだけが、私の願いです。
美穂
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圭司は便箋を下ろした。
何も言えなかった。
美咲も泣いていた。
だが、二人とも声を上げなかった。
ただ、そこにいた。
母の最後の言葉を、二人で受け止めていた。
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一方。
上野は警察署へ戻っていた。
防犯カメラの記録をもう一度呼び出す。
郵便局。
美穂。
そして、封筒。
上野は画面を止めた。
「……違う」
美穂が持っていたものと、圭司の家にある封筒は同じではない。
ならば――。
美穂は郵便局で何か別のものを送った。
誰に?
上野は資料をめくる。
美穂が死亡する直前。
誰かに何かを送った可能性。
その宛先を確認する。
上野の目が止まった。
「牧田……」
そこには、牧田吾郎の名前があった。
上野は立ち上がった。
「まだ終わってない」
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夜。
圭司の家。
美咲は母の手紙を胸に抱いていた。
「圭司」
「ん?」
「お母さん……最後まで私たちのこと考えてたんだね」
「ああ」
圭司は窓の外を見る。
「だから、俺たちもちゃんと生きないとな」
「うん」




