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止まらない車輪が動くまで  作者: 空雨 素志


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第十二話 美穂の事件



 深夜の警察署。


 上野は、一人でモニターを見つめていた。


 再生しているのは、数日前に確認した郵便局周辺の防犯カメラ映像。


 美穂が郵便局へ入る。


 手には封筒。


 数分後、美穂が出てくる。


 上野は映像を止めた。


「……やっぱり」


 美穂が持っていた封筒。


 宛名の部分を拡大する。


 画質は粗い。


 だが、文字の一部が確認できる。


「牧田……吾郎」


 上野は立ち上がった。


 美穂が郵便局から送った封筒。


 それは圭司に宛てたものではなかった。


 牧田に送ったものだった。


 上野は、美穂の行動記録をもう一度並べる。


 そして、別の映像を呼び出した。


「……ん?」


 郵便局を出た美穂。


 その後ろを歩く女性。


 上野は映像を数秒戻した。


 女性は一定の距離を保って、美穂の後を歩いている。


 美穂が曲がる。


 女性も曲がる。


 美穂が立ち止まる。


 女性は少し離れたところで立ち止まる。


 偶然とは思えない。


 上野は女性の顔を拡大した。


「……」


 息を呑む。


「誰だ、この女性は?」


 上野は椅子から立ち上がった。




---



 翌朝。


 圭司の家。


 圭司と美咲が朝食を取っていると、玄関のチャイムが鳴った。


「誰だ?」


 圭司が立ち上がる。


 ドアを開けると、上野が立っていた。


「朝早くすみません」


「何か分かったんですか?」


 美咲が聞く。


 上野は二人を見る。


「はい」


 そして、静かに言った。


「美穂さんが最後に郵便局から送った封筒。送り先が分かりました」


「牧田だろ?」


 圭司が答える。


 上野が驚く。


「ご存じでしたか」


「昨日、牧田から聞いた」


「そうですか」


 上野は頷いた。


「それと……もう一つ」


 上野の表情が変わる。


「美穂さんを尾行していた人物がいました」


 美咲が顔を上げる。


「誰?」


 上野は防犯カメラの映像を見せた。


 美穂の後ろを歩く女性。



「これ……水野香織」


 美咲が呟く。


「直人さんの元彼女だった人」


「でも、どうして?」


 圭司が尋ねる。


「そこを、これから確認します」


---



 香織は、警察署に呼ばれた。


 取調室。


 上野が向かいに座る。


「美穂さんを尾行してましたね」


「……」


 香織は答えない。


「郵便局から出た美穂さんを、あなたは追っている」


 香織の指が震える。


「偶然です」


「では、なぜ美穂さんが曲がるたびに、あなたも同じ方向へ?」


「……」


「なぜ一定の距離を保っていたんです?」


 沈黙。


 上野は写真を机に置いた。


「水野さん」


「……はい」


「あなたは、美穂さんと何を話したんですか?」


 香織は俯いた。


「直人のことです」


「何を聞きたかった?」


「……本当に、直人と付き合ってなかったのか」


「美穂さんは何と?」


「違うって」


「それでも信じられなかった」


 香織は目を閉じた。


「……はい」


---


 香織は少しずつ話し始めた。


「直人が死んでから……私はずっと考えてました」


「何を?」


「私と別れなければ、直人はあの日、仕事に行かなかったんじゃないかって」


 上野は黙って聞いている。


「それなのに……いつも直人の周りには、美穂さんがいた」


「だから、美穂さんを恨んだ?」


「最初は……」


 香織は首を横に振る。


「恨んだというより、知りたかったんです」


「何を?」


「直人が最後に、誰を思っていたのか」


 声が震える。


「でも、美穂さんは何度聞いても、私が思っているような関係じゃないと言った」


「なぜ尾行した?」


「たまたま美穂さんを郵便局で見かけて」


「もう一度聞きたかった」



 香織は俯く。


---



 上野は、最後の映像を香織の前に置いた。


「この後、美穂さんと会っていますね」


 香織の顔から血の気が引いた。


「……はい」


「どこで?」


「公園の階段のところです」


「何を話した?」


「直人のことです」


「それだけですか?」


 香織は答えない。


「水野さん」


 上野の声が低くなる。


「美穂さんは、その後、亡くなっています」


 香織の目から涙が落ちた。


「……私が」


「はい」


「私が……押しました」


 部屋が静まり返る。


---



 香織は、震える声で続けた。


「美穂さんは、最後まで言ってました」


「何を?」


「直人は私のことを一番に考えてたって」


 香織は顔を覆った。


「直人は、自分のお兄さんのことを調べていたんだって」


「あなたは信じなかった」


「……」


 香織は泣きながら言った。



 あの日。


 美穂は香織に何度も説明した。


 直人は自分の兄が東央精密で何か悪いことをしたのではないか。


 それを心配して、自分で調べていた。


 だから、直人の死と美穂の間に恋愛関係はない。


 しかし香織には、もうその言葉を受け止める余裕がなかった。


「直人が死んだのは……美穂さんのせいだと思った」


 香織は呟く。


---

 「あなたのせいで、直人は...」


 香織が美穂の肩を押した。


 美穂がよろめく。


「待って!」


 美穂の声。


 香織は手を伸ばした。


 だが――。


 間に合わなかった。


 美穂の身体が落ちていく。


 香織はその場から逃げた。


「……殺すつもりなんてありませんでした」


「でも、あなたが押した」


「はい」


「そして逃げた」


「……はい」


 上野は静かに記録を閉じた。


「分かりました」


---



 後日。


 圭司、牧田、美咲、上野が集まっていた。


 テーブルの上には、二つの資料が並んでいる。


 一つは、十五年前の事故。


 もう一つは、美穂の死。


 上野が言った。


「この二つは、別の事件です」


 圭司が頷く。


「十五年前の事故は、八号車のブレーキ部品の欠陥と、それを公表せず個別回収で処理しようとしたことが原因だった」


「はい」


「東央精密、大手ディーラー、そして当時の運送会社側の人間が、それぞれの立場で事故の責任を隠した」


 牧田が言う。


「俺は会社側の金の流れを確認した」


「そして上野さんは、大手ディーラーと東央精密を調べた」


 美咲が言う。


 上野は頷いた。


「直人さんは、自分の兄のことを調べていた」


「美穂のためじゃなかった」


「はい」


 圭司は目を閉じた。


 十五年前の事故。


 直人の事故。


 美穂の死。


 それぞれが複雑に重なって見えていた。


 だが、本当は違った。


 直人の事故は事故だった。


 十五年前の事故には、企業側の隠蔽があった。


 そして美穂を殺したのは――。


「香織だった」


 圭司が呟いた。


「はい」


 上野が答える。


「それが、美穂さんの死の真相です」


---



 夜。


 圭司の家。


 美咲は、母の手紙をもう一度読んでいた。


「圭司」


「ん?」


「お母さんはいつも優しかった」


「ああ」


「……昔の、お母さんのことは、よく分からない」


 圭司は何も言わなかった。


「でも」


 美咲が手紙を胸に抱く。


「これだけは分かった」


「何が?」


「お母さんは、ずっと私たちのことを考えてた」


 圭司は静かに笑った。


「そうだな」


「圭司」


「ん?」


「私、これからも圭司って呼んでいい?」


 圭司は少し驚いた顔をした。


 そして笑う。


「ああ」


「お父さんって呼ばなくても?」


「別にいい」


「じゃあ、今まで通り」


「それでいい」


 美咲も笑った。


「うん」


---


 その夜。


 圭司は一人で美穂の写真を見ていた。


「……終わったぞ」


 小さく呟く。


「お前の事件」


 返事はない。


 それでも、圭司には不思議と寂しくなかった。


「美咲は元気だ」


 写真を見る。


「ちゃんと笑ってる」


 しばらく沈黙する。


「だから、もう心配するな」


 圭司は写真をしまった。


---



 翌朝。


 美咲が玄関から出ていく。


「行ってきます」


「おう」


「圭司も仕事?」


「ああ」


「じゃあ、また夜ね」


「気をつけてな」


「うん」


 美咲が歩いていく。


 圭司はその背中を見送った。


 十五年前。


 止まったと思っていた時間。


 十四年前。


 失ったと思っていた家族。


 そして今。


 その時間は、少しずつ動き始めている。


 圭司は車に乗り込む。


 エンジンをかける。


 バックミラーに、美咲の姿が小さく映った。


 圭司は笑った。


「時間は待ってくれない、な……」


 車が走り出す。


 過去は消えない。


 罪も、後悔も、失った人も。


 それでも人は、前へ進む。


 美穂の事件は終わった。


 そして――。


 圭司と美咲の時間が、ここから始まる。


# ――完――


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