第八章 散歩
王族が自分の家の書庫へ入っても、盗みにはならない。
父上の封蝋を避けて窓から入る場合は、少し怪しい。
俺は夜中の書庫を散歩していた。
片手に灯り。
もう片方に短刀。
腰に鍵束。
健康のための散歩にしては、準備が多い。
書庫は地下にある。
窓は外でなく、隣の倉庫へ開いていた。
百年前の建築家が何のために作ったかは知らないが、王族が父親へ隠れて出入りするためならよくできている。
倉庫の棚を上り、窓枠を越えた。
着地に失敗した。
古い納品書へ頭から落ちる。
廊下を巡回していた夜警と目が合った。
ベン・コール。
夜警になって八年、一度も昇進していない男だ。
ベンは割れていない王家の封蝋を見て、書庫の中の俺を見た。
「殿下」
「散歩だ」
「明日、夜間通行許可へ署名をください」
「今、止めなくていいのか」
「止めたと記録すると、ここに入れた理由まで書くことになります」
昇進しない理由が分かった。
同時に、八年も首になっていない理由も。
「二枚書こう」
「一枚で結構です。余ると疑われます」
ベンは去った。
俺は製本記録の棚へ向かった。
探すのは、王家の命札台帳に使った綴じ糸だ。
頁を一枚抜けば、本は緩む。
綴じ直せば糸が替わる。
今年の王家書庫は、濃い青を使う。
死亡日の五日前。
王家命札台帳、一冊。
綴じ直し。
依頼者欄は空白だった。
空白は、名前を書けないほど偉い者に便利だ。
俺は記録頁へ短刀を入れた。
「切る前に読ませてください」
背後でノアが言った。
短刀が紙を一寸だけ裂いた。
「驚かせるな」
「切る方が悪い」
復生官は、窓の下に立っていた。
隣にはリゼがいる。
「二人で散歩か」
「ベンに聞きました」
「あいつ、口が軽いな」
「私たちにも通行許可を書けと言いました」
「公平な男だ」
リゼが小瓶を振った。
「短刀を置いて」
「それは?」
「眠り薬」
「王族へ使う気か」
「昨夜、死体の胸を開いた。順番なら、次は生きてる王族」
説得力があった。
俺は短刀を置いた。
ノアが裂けかけた記録へ紙を重ね、炭で写しを取る。
「依頼者の名がありません」
「姉上が命札を撤回した日なんだろう」
ノアの手が止まった。
「誰から聞きましたか」
「おまえたちを探している途中で、廊下の兵が話していた」
「王宮の秘密は、昼まで持ちませんね」
「重病の姉上にも教えてやれ」
リゼは笑わなかった。
「殿下は、なぜここへ?」
「姉上を殺した者を知るためだ」
「王位を継ぐのは、あなたです」
「だから俺が殺したと?」
「外せない、と言っています」
「王になりたいなら、夜中に窓から入る練習が要る。俺には向かない」
「もうできています」
嫌な男だ。
俺は左袖をまくった。
黒い輪が出る。
ノアの左手にもある。
「七歳で一度死んだ。母上が代わりになった」
「記録で読みました」
「俺は読んでいない。読んでも、覚えていない七日が増えるだけだ」
復生した朝のことは覚えている。
目を開けると、女官が泣いていた。
母上はどこかと聞くと、着替えを持ってきます、と言った。
持ってきたのは、子供用の喪服だった。
襟がきつくて、首が痛かった。
俺は母上が直してくれると思い、我慢した。
そのまま大広間の露台へ連れていかれた。
父上は国中へ演説した。
王妃は息子と国の未来へ命を捧げた。
立派な母で、偉大な王妃だった。
広場の人々が拍手をした。
俺も手を叩いた。
母上が出てくる合図だと思ったからだ。
最後まで出てこなかった。
それから、俺の周りは何を見ても母上の話をした。
算術ができれば、母上も喜ぶ。
間違えれば、母上に申し訳ない。
酒を飲めば、母上の命を粗末にしている。
死んでからの母上は、ずいぶん口数が多かった。
「姉上は、よくできる子だった」
俺は袖を戻した。
「父上が教えた王族の死に方まで、きちんと覚えた」
「国王陛下が殺したと?」
「父上は姉上を愛している」
「それが理由になりますか」
「あの人は、愛した者へ立派な死に方をさせる」
遠くで夜警鐘が鳴った。
一つ目と二つ目の間が、いつもより少し長い。
ベンが聞き耳を立てているらしい。
「元の台帳を見ます」
ノアが言った。
「封鎖されている」
「だから、殿下を探していました」
最初からそう言えばいい。
俺は王族用の鍵で、奥の金属箱を開けた。
台帳は、百十八頁の次が百二十頁になっている。
糸は新しい濃青。
ノアは百二十頁を横から灯りへ向け、黒い粉を薄く振った。
前の頁へ書いた筆圧が、裏向きの凹みとして浮く。
受命人、トマ・リード。
代命人、エステル・セレス。
王家三一七。
その下に、四角い黒印の裏移りがあった。
撤回受付の印だ。
日付の上半分は消えている。
俺は製本記録の写しを横へ置いた。
死亡日の五日前。
同じ数字の下半分が、濃い青の紙に残っていた。
「原本ほどは強くありません」
ノアが言った。
「でも、これを消すために綴じ直したことは示せます」
リゼが指で触れようとし、途中で止めた。
黒い四角は、頁を抜いた者が見落とすほど薄く、それでも紙の中に残っていた。




