第四章 地下
王宮の地下には、地図が三種類ある。
国王の地図。
近衛隊の地図。
誰も持っていない地図。
増築のたびに壁を足し、古い階段へ床を張る。百年も続ければ、知らない部屋ができる。
三枚目にしかない道を、僕たちは夜になってから探した。
「その扉?」
リゼが薬箱を持ち直した。
「鍵が回りました」
「先に開けて」
「罠かもしれません」
「だから、あんたが先」
僕が扉を押すと、冷たい空気が白衣の裾を揺らした。
今日一日、王家の保管庫と鐘台帳を調べた。
消えた命札は一枚。
抜かれた台帳も一頁。
昨夜、王都で記録された復生は十一件。
午後八時半の鐘はない。
僕は油灯へ火を入れた。
濡れた石壁の間に、人が二人並べる通路が続いている。
床の溝を黒い水が流れていた。
「焼けた白磁」
リゼが鼻を動かす。
「湿った石の匂いしかしません」
「それもしてる。古い香油と鼠も」
「鼠まで?」
「今のは見えた」
灯りの端を、細い尾が横切った。
通路は三十歩で分かれた。
右は下り、左は上り。
ガレスが聞いた鐘は足元からだった。
僕は右を選んだ。
階段の最後は三段ほど崩れていた。
先に降りたリゼが手を伸ばす。
「荷物を」
薬箱と革鞄を渡した。
「次、あんた」
「降りられます」
「落ちたら運ぶのは私なの」
「僕は二度目の復生ができません」
言ってから、余計だったと思った。
リゼの目が、左手へ落ちる。
手袋の下にある黒い輪を、彼女は知っていた。
「じゃあ、落ちないで」
差し出した手は引っ込めなかった。
僕は壁へ手をついて降りた。
円い部屋があった。
中央に小さな鐘。
壁際に石台。
床には二つの円があり、離れたまま鐘の下へ伸びている。
七十年前の復生堂だった。
今の法ができる前、王家だけが使った型だ。
リゼは何も言わず、片膝をついた。
床の割れ目へ爪を当てる。
白い粉が、爪先へついた。
「新しい灰。まだ湿気を吸ってない」
起動した命札の白磁だ。
僕もしゃがみ、針で割れ目を探った。
赤い糸が出てきた。
指一本ほどしかない。一端が黒く焼けている。
残りは持ち去られていた。
鐘柱の縄には、透明な蝋が盛られている。
古い木と比べ、そこだけ艶があった。
親指ほどの膨らみを削ると、内側に黒い紙の繊維が見えた。
「補修に紙を詰めた?」
リゼが覗く。
「判断できません。柱ごと持ち出せないので、表面だけ採ります」
灰、赤糸、透明な蝋。
一つずつ紙へ包み、時刻を書いた。
壁の高い位置には、音を上へ通す細い穴が並んでいた。
穴の前の鉄板は、縄でまとめて開閉する。
その縄にも新しい擦れがある。
「予鈴の時だけ、閉め忘れたんですね」
「それでガレスに聞かれた」
本鈴の前に板を閉めれば、午後八時半の音は地下に残る。
石台は、大人には短かった。
足側の石板を動かして測る。
百三十一センチ。
青い毛糸が、枕元の角に引っかかっていた。
床には、小さな硝子瓶が落ちている。
リゼが拾った。
蓋に、羽を閉じた鳥が刻まれていた。
彼女の調合印だ。
「子供用の吸入薬です」
瓶を鼻へ近づけ、目を閉じる。
「月桂樹、薄荷、銀苔。私が昨日渡したものと濃さも同じ」
「患者は」
「トマ・リード。九歳。生まれつき肺が弱い」
「王宮に?」
「母親が洗濯場で働いてる。エステルが病院で見つけて、ずっと診ていた」
リゼは瓶を紙で包んだ。
鳥の印だけは、隠すように内側へ折った。
「昨日、午後六時七分。私が死んだのを確認しました」
王女の死まで、二時間二十三分。
小机の水時計は落ち切り、針が午後八時半で止まっていた。
脇に、赤い封蝋が落ちている。
星の先だけが残った欠片。
右側が欠けていた。
今朝見た国王の私印と、欠けの幅まで合った。
包んだ紙へは、見た形だけを書いた。
階段の上で、金属が鳴った。
四人分の足音が降りてくる。
リゼが油灯を吹き消した。
「隠れる?」
「捜査令があります」
「国王に黙って来た捜査だけど」
灯りが近づいた。
先頭は、灰色の革前掛けをした清掃兵だった。
後ろの三人が、箒、麻袋、消毒用の火鉢を持っている。
「夜間清掃だ。出ろ」
男は国王印のある命令書を開いた。
古病の汚染が疑われるため、この区画の布、灰、木片、紙を夜明けまでに焼く。
発行時刻は、今日の正午。
ガレスが地下の鐘を話したあとだった。
僕も捜査令と、封をした証拠包みを見せた。
「採取済みの物は証拠目録へ入れます。持ち出します」
「部屋に残る物は処分する」
「床と鐘を調べるまで待ってください」
「命令にない」
午後、エリクが三つ揃えて持ち帰った受理印が守るのは、目録へ載った物だけだ。
部屋そのものは、まだ一行にもなっていない。
清掃兵の一人が箒を床へ置いた。
白い灰が、水溝へ落ちる。
「ノア」
リゼが僕の袖を引いた。
「出るよ」
声が低かった。
僕たちは包みだけを持ち、階段を上がった。
角を二つ曲がると、リゼが止まる。
「あの水、どこへ流れる?」
「石台の裏に洗浄口がありました。下の排水槽へ続くはずです」
「入口は」
壁の修理扉を探す。
鉄輪を引くと、人一人がやっと通れる穴が開いた。
「嫌そうな顔」
「狭い場所は嫌いです」
「知っておく。次に閉じ込める時のために」
リゼが先に入った。
冷たい水へ四つん這いになる。
天井が背中へ触れた。
前を行く靴だけを見て進んだ。
途中で左の手袋が石に引っかかり、水にさらわれた。
黒い輪が剥き出しになる。
リゼは一度振り返った。
何も言わず、薬箱から包帯を一本抜いて寄越した。
僕は黒い輪の上へ巻いた。
排水槽の鉄格子まで来ると、上流から白い水が流れてきた。
僕たちは布を広げた。
清掃兵が落とした灰が溜まる。
白磁。
短い赤糸。
青い毛糸。
焼かれる前に、水へ来た物だけを拾った。
灰の中から、もう一枚、硝子の蓋が出た。
鳥の印がついている。
リゼは二枚の蓋を重ねた。
大きさも、縁の欠けも違う。
薬瓶は二本あった。
一晩を越える量を、誰かが地下へ持ち込んでいた。
「トマの遺体を見ます」
僕が言うと、リゼはもう水路を戻り始めていた。
*
王立病院の安置室には、十二の石台がある。
十番の札に、トマ・リードと書かれていた。
リゼが白布の端をつまむ。
布は、子供一人の形に沈んでいた。
引くと、中から丸めた毛布が三枚出てきた。
いちばん上に、青い毛糸が一本ついている。
トマはいなかった。




