第十八章 葬式
王宮が王女とパン屋を同じ馬車へ載せようとしたので、マルタ・モールは葬列図を麺棒で叩いた。
王女の白い棺。
その足元に、ハンナの小さな肖像。
麺棒の端が、二人の間を破った。
「姉が小さい」
王家の書記官は、裂けた紙を両手で押さえた。
「身分に応じた配置です」
「馬車を分ければ、比べなくて済みます」
「葬列が二日になります」
マルタが麺棒を持ち直す。
ユリウス王子は、書記官から紙を取り上げた。
「新しい紙はあるか」
「ございます」
「二枚使え」
王子が署名し、その下へ三人の法官が印を押した。
ラウル国王は、西塔で公開審理を待っている。
それが、暫定統治者になった王子の最初の命令になった。
マルタは麺棒を布へ包んだ。
ハンナが二十年使った物だった。
本当は、棺へ置くために持ってきたらしい。
*
ハンナ・モールの葬式は、王宮裏の小さな礼拝所で行われた。
参列者は三十六人。
ほとんどが厨房で働く者で、黒い服のどこかに小麦粉がついていた。
葬式の朝も、朝食を焼いてきたのだ。
僕は扉の外にいた。
マルタが出てくる。
「入らないの」
「呼ばれていません」
「鐘は、呼ばれなくても鳴らしたくせに」
返す言葉がなかった。
「謝りに来ました」
「謝って、どうするの」
「分かりません」
「姉が起きる?」
「起きません」
「あんたが楽になる?」
「それも、分かりません」
マルタは鼻から息を吐いた。
小麦粉が、黒い胸元から少し飛んだ。
「じゃあ入って。そんな所に立たれると、みんな避けて通るから邪魔」
「いいんですか」
「よくはないわよ」
一番後ろの端へ座った。
棺の上には、例の麺棒があった。
司祭が祈りを終えると、マルタが立つ。
紙は持っていなかった。
「姉は、ハンナ・モールです。パンを焼く人でした」
棺を見た。
「固いパンは客に出さず、自分で食べました。私の誕生日は、二回に一回忘れました」
厨房係の一人が、小さく笑った。
笑ったまま、顔を覆った。
「王女様の命札へ署名して、死にました。私は、姉に腹が立っています」
マルタは座った。
それで弔辞は終わった。
厨房の者たちは、棺へ一つずつパンを置いた。
丸いパンの隣へ細長いパンが重なり、棺の上が小さな売り台のようになった。
焦げた物は、誰も持ってこなかった。
最後にマルタが、厚い配合帳を持ち上げる。
棺へ置こうとすると、三人が同時に止めた。
「それは駄目」
「明日の塩が分からない」
「あんたたち、二十年も何を見てたの」
「姉さんの手元」
マルタは配合帳で一人の頭を叩いた。
麺棒より軽い音がした。
配合帳は、棺に入らなかった。
礼拝所を出る時、マルタが僕へ紙包みを押しつけた。
「余ったから」
中には、少し固い丸パンが一つあった。
「ありがとうございます」
「礼を言われると、あげたみたいになる。持って帰って」
マルタは僕を見ず、礼拝所の扉を閉めた。
紙包みの中で、丸パンが転がった。
*
期限が切れてから、エステルの遺体は王家の冷却室へ移されていた。
三日後、エステル王女の棺が王宮を出た。
その前に、リゼが死亡証明書を止めた。
死因の欄には、国難に際しての殉死、と書かれている。
リゼは青いインクで二本線を引いた。
撤回済み命札の起動による代命死。
「これは弔辞ではありません」
書記官が言った。
「知ってる。だから書き直したの」
葬儀官は、エステルの左手へ白い絹手袋をはめた。
リゼが外す。
青い文字は薄くなっていた。
わたしを、生き返らせないでください。
掌を上へ向けたまま、胸へ戻した。
「王女の葬儀では、肌を隠します」
「検死では、傷を隠さない」
「もう検死は終わっています」
「あたしは、まだ終わってない」
蓋は開いたまま、白い棺が大通りを進んだ。
国境の軍服を着たガレスが、花を持たずに歩いた。
胸には、停戦受理証が入っている。
墓所の門では、祖国の士官が二人待っていた。
「護衛ですか」
僕が聞くと、ガレスは首を振った。
「監視です。明朝、あの二人と帰国します」
「今夜は?」
「葬儀への出席です。明日も残れば、逃亡になります」
白い靴は、灰色の長靴に替わっていた。
「足は」
「痛みます」
ガレスは、それ以上困っている顔をしなかった。
王家の墓所で、ユリウス王子が弔辞を開いた。
最初の一行を読み、止まった。
王女エステルは、王国と病める民のため、尊い命を捧げ――
紙を真ん中から破った。
王家の書記官が、目を閉じた。
「十三年前、母上の葬式で、俺は拍手した」
王子は、破った弔辞を握っていた。
「母上が出てくる合図だと思った。姉上は俺の手をつかんで、拍手をやめさせた。誰にも言わなかった」
風が、紙の端を鳴らした。
「姉上は二十二年、生きました。殺されました。戻らないと書きました。今日、埋葬します」
王子は、二枚になった弔辞を足元へ置いた。
拍手はなかった。
誰かが泣き始めた。
列の最後に、ラウル国王が来た。
王冠はなく、両脇に兵がいる。
白い花を、娘の青い掌へ置いた。
「エステル」
花が指の間から傾いた。
王は直そうとした。
手首の鎖が鳴り、指は届かなかった。
*
土が棺を覆った後、トマが墓の前でポケットを探った。
「何か、返さないと」
サラが土のついた膝を払う。
「何を借りたの」
「命」
「それは返せないわ」
赤い糸は、証拠箱の中にある。
ポケットから出たのは、丸い石とパン屑だった。
「石、置く?」
「昨日、寝る時も握ってた石でしょう」
「きれいだから」
「なら持ってなさい」
「じゃあ、何を置けばいいの」
サラは、すぐには口を開かなかった。
「お母さんも、まだ分からない」
トマは石を握った。
墓へは何も置かなかった。
門へ向かってから、振り返る。
「お腹すいた」
「さっきパンを三つ食べたでしょ」
「あれは葬式の分」
「お腹に葬式用の場所なんてないわよ」
二人の声が遠くなった。
*
その日の夕方、姉の墓へ行った。
王家の墓所から、歩いて一時間。
七年間、毎週通った道だった。
ミラの手紙を、最初から最後まで読む。
最後は、鍋と靴下と、棚の奥のパンの話だった。
「どうすればいい」
墓石へ聞きかけて、やめた。
紙を畳み、上着へ戻す。
後ろで、土を踏む音がした。
リゼが小さな花を置く。
「姉は、花代がもったいないと言います」
「手紙にそう書いてあった?」
「いいえ」
「じゃあ、あんたが言ってる」
リゼは墓石についた枯れ葉を払った。
「明日から、復生院の検死記録を洗い直す。死体が言ってないことを、誰が書き足したか見る」
「復生は停止中です」
「死体は待ってくれない。あんたは?」
僕の復生官資格は止まっている。
ハンナを死なせた件の調査も、まだ終わっていない。
「復生院へ戻ります」
「罰のつもりなら、やめて」
「給料が出ます」
「そこ?」
「仕事ですから」
リゼが、僕の上着を指した。
「それ、何」
マルタにもらった紙包みが、少し潰れていた。
「パンです」
「三日前の?」
「食べられます」
「墓場で食べないでよ」
「食べに行きます」
僕は手袋をつけず、リゼの後を歩いた。




