第十六章 代命人
代命人の白装束は、婚礼衣装に似ていた。
死んだあとの着替えだけ、予定にない。
剣を外される。
灰色の制服も脱いだ。
薄い白靴は、十歩で踵へ食い込んだ。
「歩きにくい」
仕立て係は、聞こえないふりをした。
エステルなら、聞こえるまで言っただろう。
机には命札の箱がある。
表にエステルの真名。
裏に私の真名と血。
赤糸の横には、撤回用の小刀。
兵が箱へ手を出した。
「私が持つ」
「陛下の命令で、お預かりします」
「代命人が糸を切る権利まで預けろと?」
元は私の部下だった隊長が、兵を止めた。
「持たせろ」
箱を受け取った時、廊下の端から伝令が来た。
隣国の土で汚れた長靴を履いている。
片膝をつき、封書を差し出した。
兄からだった。
前衛の撤収は完了。
国境橋の両端から重装兵を退かせた。
評議会の採決は三日後。それまでは、兄が軍を橋へ戻さない。
最後に一行ある。
帰国し、命令の理由を説明せよ。死んで逃げるな。
兄らしい文だった。
封書を白装束へ入れようとした。
ポケットがない。
箱の蓋へ挟んだ。
「参りましょう」
公開復生堂まで、歩いて十二分。
白靴の内側に、血が滲み始めた。
四年前も、血の出る靴を見た。
*
国境の町で、十八歳のエステルと初めて会った。
両国は一本の石橋を、二十一年奪い合っていた。
橋は半分崩れている。
渡る人間より、守る兵の方が多かった。
「あれが欲しいのですか」
エステルは会議室の窓から橋を見た。
「我が国の街道へつながる」
「途中で落ちていますよ」
「直す」
「新しい橋を二本造れそうです」
「領土の話だ」
「橋の話では?」
最初から合わなかった。
交渉卓には十六人いた。
王女は全員の名を覚え、私だけ間違えた。
「ガレル隊長」
「ガレスです」
十分後。
「ガレス卿」
「隊長です」
「名前は合いました」
「半分だけです」
三時間後、双方は所有権の一語で動かなくなった。
休憩になると、エステルは靴を片方持って立った。
「橋を見ます」
「靴を履け」
「痛いのです」
「王女が裸足で国境を歩くな」
「では、貸してください」
「大きさが違う」
「役に立ちませんね」
履いて百歩で歩き方が変わり、二百歩で止まった。
踵から血が出ている。
道端のパン屋で椅子を借りた。
店主が蜂蜜パンを出す。
エステルは一口で顔をしかめ、残りを私へ押しつけた。
「食べないのか」
「あなたが食べれば無駄になりません」
「私の腹を使うな」
食べながら、橋を見た。
「去年、あそこで何人死んだか知っていますか」
「兵士が十一人」
「落ちた行商人が三人。冬に薬が届かなかった村人が七人。兵は両国で十九人」
「敵兵も数えるのか」
「橋は制服を見ません」
「どうしたい」
「どちらの国の物にもしません」
通行料は修理と両岸の町へ。
守備は半数ずつ。
武器は橋へ持ち込まない。
「法に、橋という所有者はいない」
「作りましょう」
「両国が反対する」
「私はこの国を説得します。あなたは、そちらを」
また私を使う。
「失敗すれば?」
「橋から落とされるかもしれません」
「助ければ、私は裏切り者だ」
「では、半分だけ成功ですね」
私が名前を訂正した時の言葉だった。
エステルは笑った。
二日後、橋を共同管理する原則だけが決まった。
残る争いを終わらせるため、私たちは婚約した。
*
十二分が終わった。
白靴の踵は赤くなっていた。
公開堂を囲む広場には、三種類の紙が上がっている。
王女を戻せ。
復生を止めろ。
王女を葬れ。
どの紙も、一枚ではなかった。
中央の石台に、エステルがいる。
白い戴冠衣。
左手には、白い手袋。
鐘の横にはエリク・ヴェルが立っていた。
紙の角を親指で潰している。
オルド大神官は、広場の端で柱へつながれていた。
ノアとリゼ、ユリウスは三人の法官と一緒にいる。
逃亡者ではなく、法官の保護下へ移された証人として来たらしい。
私が代命の円へ入ると、歓声と罵声が同時に上がった。
ラウル国王が反響板の前へ立つ。
「ガレス・ヴァン。王女へ命を渡す考えに、変わりはないか」
私は答える前に、石台へ近づいた。
エステルの左手から白手袋を外す。
「何をする」
国王が言った。
「復生の円では、両手を出す決まりです」
青い掌が、正午の光へ出た。
前列の者が文を読む。
声が後ろへ移っていった。
わたしを、生き返らせないでください。
偽造だと叫ぶ者がいる。
本人の字だと返す者がいる。
サラとトマは、二枚目の柵のそばにいた。
トマの黒い輪を見て、場所を空ける者と、近づく者がいた。
ノアは何も演説しなかった。
午前四時五十一分の執行拒否書を、一人目の法官へ渡した。
国王が、もう一度聞く。
「変わりはないか」
命札の箱を開く。
兄の封書が、白磁の上へ落ちた。
評議会の採決は三日後。
帰国し、命令の理由を説明せよ。
私は赤糸の脇から小刀を取った。
「エステルを愛しているのではないのか」
「愛している」
糸へ刃を置く。
「だからこそ戻せ」と国王が言った。
私は首を横へ振った。
「私は帰国します」
一度で切った。
二枚の白磁が離れる。
私の名がある方が石へ落ち、二つに割れた。
歓声が上がった。
その上から、裏切り者という声が飛んだ。
代命人の申込書が、群衆の中で次々に掲げられる。
国王は手を上げた。
「民の命を、これ以上使う必要はない」
石台の下から、黒い箱を出させる。
封には、前日の時刻。
王家書記官、審査官、血の証人の印。
中の命札は、既に赤糸で綴じられていた。
表にエステル・セレス。
裏にラウル・セレス。
国王自身の血印と署名も乾いている。
「父親の命なら」
ラウル国王が命札を掲げた。
「エステルも拒みはしない」




