第十五章 手紙
姉の手紙は、七年遅れて牢へ来た。
第七日の午前四時二十二分。
鉄格子の外に、ベン・コールが立っている。
「中央法官からです」
細い封筒を二通、格子の間から入れた。
昨日、王女執務室の机を押収した時、二重底から出たという。
二通を包んでいた紙には、エステルの字で、私が死んだらノア・ハーグへ、とあった。
「受領署名を」
「牢の中でも?」
「私が勝手に渡したことにされたら困ります」
ベンは板と筆まで差し込んだ。
夜中の書庫を見逃す代わりに、通行許可を求めた男だ。
助ける時にも紙を忘れない。
僕は二通受領、と書き、署名した。
隣の檻で、リゼが目を覚ます。
「誰?」
「自分の首が大切な味方です」
「味方とは書かないでください」
ベンが言った。
彼は鍵束へ手を置いたまま、まだ開けなかった。
「先に読んでください。王子殿下が来るまで時間があります」
小窓の外は暗い。
正午には公開復生が始まる。
僕は小さい字の封筒を開いた。
*
ノア・ハーグ様。
監査印を使いました。
借りた、と書きましたが、消しました。あなたが承認していない紙へ使ったので、借りたことにはなりません。
四十二件は、戴冠までに私が調べる予定でした。
救えた人もいるはずです。
間に合わなかった人の数は分かりません。調べる前に、これを書いています。
ダン・モルドという名は、手紙になかった。
石を置いていった兄を、エステルは知らない。
ガレスには、私が死んだら、最初の鐘より前に拒否書をあなたへ渡すよう頼みました。
届いていなければ、彼は止められています。
予鈴が聞こえたら、掌にも拒否を書きます。
掌にトマの名は書きません。父が札を使ったなら、あなたが読む頃にはあの子は戻っています。名を残せば、母子が先に捕まります。
父を疑っていましたが、証拠はありませんでした。
そのため、あなたは真正な札と国王命令だけで、最初の鐘の前に立つかもしれません。
代命人が死ぬ可能性があります。
ハンナかもしれません。
そこで文が途切れていた。
小さな字を書くエステルが、四行も空けている。
次は、急に別の話だった。
同封した手紙は、四十二件の監査で復生院の未交付箱を調べた時に見つけました。
三日前に見つけ、今日まで持っていました。
渡せばよいのか分からなくて、机へ入れていました。あなたの手紙なのに。
もし会えたら、監査印のことを先に謝ります。
手紙のことは、そのあとにします。
エステル・セレス。
「何て?」
リゼが聞く。
「ハンナの名を書いて、四行空けました」
「そう」
それ以上、聞かなかった。
王女の手紙を畳む。
姉の封筒は、紙が黄ばんでいた。
封の上に、ミラ・ハーグ。
大きな字だった。
七年間、これを読めば、姉の死に一つの形がつくと思っていた。
封を切った。
*
ノアへ。
あんたは今、死んでいます。
死んでいる弟へ手紙を書くのは嫌です。返事をしないからです。
橋の柵が折れました。
町役人は、あんたが身を乗り出したと言っています。嘘です。あの柵は先月から揺れていました。
戻っても、役人を殴らないでください。
殴るなら一回にしてください。
復生院の人が呼んでいるので、急ぎます。
命札へ署名しました。
筆が折れました。やめろという印かと思いました。
廊下にあんたの泥靴がありました。死んでも片づけないのかと腹が立って、もう一本借りました。
名前を書きかけて、手が止まりました。
怖かったです。
あんたが戻りたいかは、分かりません。
聞けませんでした。
死んでいたからです。
起きて怒っていたら、怒っていてください。
私はたぶん聞けません。
青い壺のお金は屋根の修理代です。葬式の花へ全部使わないでください。
隣のモーラさんへ鍋を返してください。
私の靴下は、使ったなら洗ってください。使っていないなら、そのままでいいです。
台所にパンがあります。
硬くなる前に食べてください。
ミラ。
追伸。
水を一杯飲んでから外へ出てください。あんたは泣くと頭が痛くなるので。
裏を見た。
白紙だった。
次の頁はない。
もう一度、表へ返した。
最後の行は、水を一杯飲んでから外へ出てください、だった。
紙を持つ指が震えた。
左手首が痒い。
気づくと、黒い輪を爪で掻いていた。
「手」
リゼが格子から腕を出す。
「見せて」
細い血が出ていた。
僕も手を伸ばす。
リゼは自分の袖口を裂き、黒い輪の上へ巻いた。
「手紙で治った?」
「何も治っていません」
「なら、そのまま持ってなさい」
布を結ぶ指は、すぐに離れた。
「僕は鐘を鳴らしません」
言うと、リゼは結び目を一つ締めた。
「誰の?」
「エステル王女のです。ガレスが望んでも、国王が命じても」
「そう」
「それだけですか」
「牢を出てから続きを聞く」
廊下の奥で、板が一枚外れる音がした。
ユリウス王子が物置の内窓から現れた。
礼装の肩に蜘蛛の巣をつけている。
「父上に従う息子を六時間やった」
「短いですね」
「俺にしては長い」
ベンが鍵を出した。
「条件があります」
「金か?」
「書面です」
王子が嫌な顔をする。
ベンは用意していた紙を広げた。
三法官の共同命令により、王族殺害事件の証人二名を法官の保護下へ移す。
下には三つの法官印があった。
移送責任者の欄だけが空いている。
「俺の署名は?」
「東門まで生きて運ぶ責任です」
「重いな」
「嫌なら、鍵を戻します」
ユリウスが移送責任者へ署名する。
僕とリゼも、移送される本人として署名した。
ベンは写しを三つ作り、一つを靴の中へ入れた。
「そこまで?」
リゼが聞く。
「上着は脱がされます」
鍵が回った。
鉄格子が開く。
「証拠箱は?」
僕は聞いた。
「国王の執務室です。三つの法官封は割れていません」
「オルド大神官は」
「公開堂の横。今日の犯人役として繋がれています」
「三法官は?」
「夜明けに東門へ来ます。原本を見た三人です」
「拒否書は」
「中央法官が持っています」
必要な物は、一か所になかった。
それでよかった。
酒蔵を出る前に、ベンの受領板を借りた。
執行記録の空欄へ書く。
第七日午前四時五十一分。
王女エステル・セレスの復生執行を拒否。
ノア・ハーグ。
署名して、ベンへ渡した。
「これも三通お願いします」
「紙代は?」
「あとで払います」
「その一文も書いてください」
地上へ続く階段を上る。
七年前の手紙は、上着の左側へ入れた。
右側には、エステルの四行の空白がある。
東門には、三人の法官が待っていた。
中央法官が牢の封を切り、僕とリゼの手首へ白い保護帯を巻く。
「ここから先、証人へ触れる命令は、先に我々を通ります」
夜明けの鐘が鳴った。




