第十四章 父親
葬送官は、娘の掌を削ってよいかと聞いた。
「顔料が落ちません」
エステルは、公開復生堂の控室に横たわっている。
白い戴冠衣。
結い直した金髪。
左の掌だけが青い。
わたしを、生き返らせないでください。
文字は、皮膚の細い溝まで染めていた。
「削れば消えるのか」
「血が出ます」
「化粧は」
「光を当てると透けます」
「手袋をさせろ」
「復生の円では、両手を出す決まりです」
「明日までに決まりを変えろ」
葬送官は一度だけ、娘の手を見た。
「白い手袋を用意します」
人を下がらせる。
手袋を外し、小さな字をもう一度読んだ。
エステルは幼い頃から、紙の端へ詰めて書いた。
紙が減らないからだと言う。
王家の紙が足りなくなることはないと教えても直さなかった。
死んでからも、余白を残している。
*
十三年前、この部屋にはユリウスがいた。
七歳。
冬の熱で死んだ。
王妃は命札を両手で持っていた。
指先が震え、赤い糸が白磁へ何度も当たった。
「まだ、間に合いますか」
「間に合う」
「止めてと言ったら、止めますか」
私は札へ手を伸ばした。
王妃は胸へ引き寄せる。
「今は言っていません」
隣室には、九歳のエステルがいた。
弟が目を覚ました時のために、厨房で作らせたスープを抱えている。
「エステルを置いていくのか」
王妃は赤糸を指へ巻きつけた。
「あの子へ、会いたかったと伝えて」
「自分で言え」
「そうしたいです」
「なら、札を割れ」
「ユリウスを埋められますか」
答えられなかった。
王妃も、すぐには縄を引かなかった。
二人で、死んだ子供の呼吸を待った。
戻るはずがないと知りながら、胸を見ていた。
やがて王妃が言った。
「起きたら、水を先に飲ませてください。あの子は泣くと吐きます」
それが最後の頼みだった。
二時間後、妻は死んだ。
ユリウスは戻った。
母親を探して泣き、水を飲む前に吐いた。
エステルのスープは冷めていた。
王宮の前には、人が集まっていた。
評議会は、王妃の死をどう発表するか決めろと言った。
私は文官へ口述した。
王妃は、息子と王国の未来へ命を捧げた。
王家の愛は死に勝った。
広場でその文を読んだ。
喪服のユリウスが、私の隣で拍手した。
エステルは冷めた器を両手で持っていた。
演説のあと、泣かなかった娘を褒めた。
立派な王女だ、と。
スープを温め直す者はいなかった。
*
第六日の午前十時。
王家の命札書記官を控室へ呼んだ。
審査官と血の証人も来た。
机へ、新しい白磁を二枚置く。
「受命人は」
「エステル・セレス」
王家の保存庫から、娘の血を出させる。
一枚へ真名と血が焼きついた。
「既にガレス・ヴァン殿の札が登録されています」
「予備の登録は禁じられていない」
審査官が規定を確かめる。
「先の札が起動すれば、こちらは破棄します」
「代命人は」
「ラウル・セレス」
書記官の筆が止まった。
私は自分の指を切った。
血を落とし、真名を書き、署名する。
証人二人が時刻を記す。
赤い糸が二枚をつないだ。
「執行資格は、大神官命令で停止中です」
「札の作成は停止されていない」
「執行する者がいません」
「明日にはいる」
箱の蓋を閉じた。
白磁が中で一度だけ鳴った。
*
午後、トマ・リードの診療室へ行った。
サラは扉を半分しか開けない。
「王様でも、入れません」
「息子へ危害は加えない」
「娘には?」
返す言葉を選んでいると、中から声がした。
「お母さん。誰?」
「王様」
「パン持ってる?」
持っていなかった。
「ない」
「じゃあ、何しに来たの?」
サラの口元が少し動いた。
扉が開く。
トマは寝台で膝を抱えていた。
頬に色が戻り、黒い輪を隠していない。
「明日、王女が戻る」
「王女様、ぼくのために死んだの?」
「おまえを戻すために使われた札だ」
「王女様、嬉しいかな」
「嬉しい」
「今の王女様も?」
サラが私を見た。
「明日、本人へ聞く」
「嫌って言ったら?」
「国の話をする」
トマは毛布の端を折った。
「難しい話?」
「おまえには関係ない」
「ぼくのせいで死んだのに?」
「おまえのせいではない」
声が大きくなった。
トマの指が止まる。
「おまえと母親は、何の罪にも問わない。王女が戻らなくてもだ」
「戻らなくても?」
「ああ」
「約束?」
「約束する」
トマは頷いた。
「次はパン持ってきて」
扉の外で、護衛へ厨房のパンを命じた。
焼き上がりを待つ間に、私は次の予定へ向かった。
*
夜、公開堂の受付簿が届いた。
王女の代命人へ名乗り出た者、百七十三人。
復生中止を求める署名、九十二人。
葬送を求める署名、四十一人。
私は最初の冊子だけを机へ置いた。
残りは文官が抱えたまま立っていた。
「そこへ置け」
二冊とも、見えない位置へ重ねられた。
娘の控室へ戻る。
灯りは一つ。
白い手袋は、左だけ青く透けていた。
「明日、戻ればよい」
返事はない。
「セレス軍にも三十日の後退を命じた。トマは生きる。制度は、おまえが直せ」
返事はない。
手袋を外し、冷たい手を取った。
「王女」
呼んだ。
名前の方なら、聞くかもしれない。
「エステル」
娘は返事をしなかった。




