第11話 私はあなたの
チチェは暗くなり、人のいなくなった王都の道を速足で歩く。
日が落ち、青く暗い空と、湿った冷ややかな空気が満ちている。
チチェは石畳と、代わる代わる前に出る自分の使い古した靴を見て歩く。
空気が冷たい。
顔が熱い。
胸からどうしたって、痛いものがこみ上げる。
何も考えないように、何も考えないように。ただ、足元を見て歩いた。
何も考えないようにしている、何も考えないようにしているはずなのに。
(あ、だめだ)
抑えていたごちゃごちゃの感情が暴れ出す。もう自分でも何を考えればいいのか分からない。
チチェは更に歩く。早く、早く。
何も考えたくない。でもダメだ。
気づいてしまった。気づいてしまったのだ。
勇者と聖女の仲睦まじい二人。七年の旅の間、確固たる信頼と絆を深めてきた二人。
その邪魔をしたのは。誰だ。
知ったかぶりをして、分かった気になって。
自分は勇者の幼馴染だと、自慢して回っていた恥知らずは誰だ。
(私、すごい、気持ち悪い奴だ)
帰って来てもチチェの居場所があると思っていた。幼馴染という特別な枠に居座れると思っていた。
だから、チチェを見て不快そうな顔をするアロンが何を思っているかなんて無視していた。
チチェはこみ上げてくる嗚咽を飲み込み、走り出した。
自分がアロンに拒絶されるなんて、ありえないと信じていた。
自分はアロンの中で価値のある人間だと、驕っていた。
(そんなのあるわけないじゃん)
勇者アロンとチチェ。かつては友人であろうと、今は二人の間には何もない。
(私って……)
気を配るほどの距離じゃない。切る必要があれば、すぐに縁を切ってしまえる人間。
(私って……ただの他人だ)
何もしていない。何もできない。
チチェは真っ暗な夜の道を駆けた。
(もう、他人なんだよ)
七年前、アロンが女神に勇者として選ばれた時、チチェは彼のすぐそばにいた。
選定の場所となったのは、チチェとアロンの遊び場であるエボ村を一望できる山の上にある丘の上。
切っ掛けはチチェが魔犬に襲われたことだった。
日が暮れて暗くなってしまった山にチチェは一人でいた。
特に理由はなかった、将来どんな魔術師になりたいか妄想していたらいつのまにか時間が経っていたとかいうくだらない理由だったと思う。
結局、日が暮れてもチチェは下山することなく、丘の上に残っていた。その日は、アロンはいなくて一人だった。
そこを魔犬の群れに襲われた。たかだか十二歳の少女が使える魔術は役になんて立たなくて、チチェは必死にうずくまるしかなかった。
足も腕も噛まれて、血まみれになって、ぐちゃぐちゃになって、ああ自分はここで死ぬのかもしれない、と悟ったような気持ちになったことを覚えている。
そんなチチェを助けてくれたのはアロンだった。暗くなっても帰ってこないチチェを心配して、アロンは様子を見に来てくれていた。
魔犬を警戒していたアロンは真剣を持っていた。だからアロンは、剣を振りかざしてチチェを襲う魔犬たち引き離してくれた。
でも、魔犬は狡猾で、アロンの剣はかみ砕いた。
魔犬の群れに囲まれ、ただ丘の先端へと追い詰められていくしかなかった。このままでは二人とも、死んでしまう。
その時、あたり一帯が白い光に包まれて、昼のように明るくなった。
一瞬天国に行ってしまったのかと錯覚するほどだった。魔犬たちは、こちらを襲うのを辞め、天に向かって唸りをあげていた。
真っ白になった天から、強く美しい声が降ってきた。
《エボ村の小さき勇者、アロン・グレイス》
その声は山々に響き渡った。アロンを呼ぶその声に唖然として、チチェもアロンもただ空を見上げていた。
《汝に女神の祝福を授けましょう》
そう告げると、アロンの周りに、黄金と白銀にきらめく光の粒子が集まってくる。
《勇者の剣と鎧をあなたに》
空を睨んでいた魔犬たちは、天敵を見つけた時のような、敵意むき出しの顔でアロンを睨むと、光を纏った彼に向かって飛び掛かってきた。
《祝福あれ》
天の声がそう告げると、アロンを取り巻いていた光は強く光りを放ち、白銀の光はアロンを守る鎧へ、黄金の光は白金の剣へと自らの形を変えた。
ふっ、と天の光が失われ、闇があたりを支配する。
しかし、アロンの小さな手に収まった剣だけはまばゆい光を放っていた。
アロンには何をすればいいのかが分かった。彼は即座に立ち上がると、剣を横に振り切った。
その一薙ぎだけで、牙をむき出しに襲い掛かってきた魔犬たちは一瞬にして黒い灰になった。
十何体といた魔犬たちは、勇者の一撃の前で消え去った。
これが勇者アロンの初陣だった。
全てが闇に戻った後、天がまるで雲のように裂け、こぼれ出した光がアロンを照らした。
大陸中の人々に英雄の誕生を知らせるように、ただ一筋の光がアロンを指し示していた。
《新たなる人類の守護者に喝采を》
再び、女性の声が聞こえた。空を轟かせ、勇者の到来を告げるその声は太陽の女神のものだ。
地面が揺れた。その声に呼応するように、大陸のあらゆる場所から響き渡る喝采が上がっていた。
地上の神々が勇者の誕生に歓びの声を上げていた。
女神の祝福を受けた勇者アロン。七年後に魔王を葬り、人類、そして神々を救う大英雄の誕生であった。
それから、アロンの人生は全てがガラリと変わった。王国の使節団がやって来て、アロンを女神に選ばれた勇者であると認めると、彼を王都に連れて行くと告げた。
既に王都には、勇者と旅に出るために大陸中から集まっているようだった。勇者の仲間たち、大聖女イレーナ、大魔術使いのオーレンドルフ、弓使いの風の民ロビンが待っていると言う、
チチェはあの後、噛み傷や骨折などの大怪我で原因で暫く家から出ることが出来なかったが、駆け付けてくれた治癒師のおかげで、傷跡が残るにせよ、大きな後遺症もなく完全に回復することができた。
勇者としてアロンがこの村を出ると告げられたときは、自分も連れて行ってくれとチチェは王都の使節団に何度も頼み込んだものだった。
もちろん、少し魔術が使えるだけのチチェが勇者の旅に付いていくなど許されはしなかったけれど。
(あの時、私はーー)




