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模擬店の設営は完成まで細部を詰めるのみの段階まで来ている。
教室の壁は、豪華かつ古びて見えるように加工した板を貼り、古い貴族の屋敷らしく演出している。照明は怪しげな壁掛けキャンドルに変更し、天井の隅には糸で蜘蛛の巣を模した装飾を施してある。
悪役カフェというより、もはや魔王の城と言ってもいいほどの闇満載の雰囲気だ。細部まで洗練された、ゲームで見たよりもやたらハイクオリティな仕上がりである。
私は腕を組み、その様子を見つめた。
……うん。ちょっと本気を出しすぎたのかもしれない。完全に前世の血が騒いでしまった。
ちなみにここは教室なので、このラスボス感あふれる空間で普通に授業もやっていたりする。シュールすぎるだろう。
衣装の方も大詰めだ。ちょうど今、仮縫いのドレスを試着した私を前に衣装担当の令嬢が入念にチェックを行っていた。
スカート丈を入念に確認した彼女は私を見上げる。
「丈はちょうど良さそうです。ルージュ様、合わない部分はありますか?」
「どこも問題ありませんわ。このサイズで縫ってくださって大丈夫よ」
「承知しました。それにしても、とてもお似合いですわ。まるで物語からそのまま現れたようです!」
「……そう言ってもらえて嬉しいわ」
うっとりと賛辞を述べる彼女に思わず苦笑する。
私が纏っているのは黒を基調とし、赤い花弁を模した装飾を散りばめた原作通りのTHE・悪役令嬢なコスチュームである。そりゃあ似合いますよね。しっかり悪役顔ですし。
ちょっと複雑な気分にはなるが、似合っているなら良いだろう。やるなら妥協は無しだ。
「本番まで、あと少しですわ。気を抜かずに頑張りましょう」
「もちろんです!」
時が流れるのは早いもので、いつの間にか学園祭まで残り一週間を切っていた。
とはいえ、衣装は本縫いを待つ段階だし、教室の装飾も仕上げを残すのみ。安心して本番を迎えられるだろう。
そんな学園祭の準備も終盤に差し掛かった頃、その時は来た。
「ねぇ、今ちょうど講堂で劇のリハーサルをしているらしいですわ」
「まあ! ……隠れて覗きに行こうかしら。」
「私も気になりますが、本番を楽しみに待とうと思いますわ」
近くの令嬢たちがそわそわと浮き足立っている。彼女たちは見に行くかどうかで迷っているようだが、私はもちろん見に行くつもりだ。
しかし目的は劇そのものではない。ゲームで見た、あの劇の裏方の動きが見てみたいのだ。職業病というやつである。
「少し席を外しますわ」
教室の作業がひと段落ついたところで、私はいそいそと講堂へと足を向けた。
なかなか手が離せず少し遅くなってしまったが、きっとまだリハーサルは終わっていないはずだ。
そっと扉を押し開け、講堂の中に入る。内部は普段の様子とは大きく異なっており、至る所に装飾が施されていて、学園祭が近づいていることが実感できる。
それはともかく、目的はリハーサルである。舞台の方向に視線を向けると、すぐに生徒たちの演技が目に入った。
「いいから逃げろ! 俺のことは置いていけ!」
舞台上の男子生徒が大きな身振りと共に言い放つ。どうやらちょうど盛り上がる場面のリハーサルが始まったらしい。
女子生徒が首を振り、男子生徒を背に庇う。
「置いていけるわけ……ないでしょ」
「だけどこのままじゃ――!」
これはゲームで聞いたことのあるセリフだ。剣と魔法の物語で、敵に囲まれた仲間たちを一人の騎士が囮になって逃がそうとする場面である。
「やっぱり、劇はちゃんとゲーム通りですね」
となると、気になるのは裏方だ。演技の覗き見はそこそこに切り上げ、目的地へ向かう。認識阻害の魔術を自分に掛け、劇の大道具が並んだ舞台の裏にするりと入り込むと、すぐにそれは見えてきた。
舞台の袖に数人の生徒が集まっている。
「今です!」
「はい!」
その中の一人の生徒の号令と共に、裏方の生徒たちは連携して魔術を使った。
その瞬間、舞台上に炎や氷が舞い上がる。それだけではない。彼らは多数の人形や魔物を模した大道具も操作し、役者たちの激しい戦闘を演出していた。
なるほど。現実だと多くの役者や大掛かりな装置が必要な演出でも、魔術を使えるのなら割と簡単に行えるということか。ファンタジー世界ってすごい。
「……あれ?」
感心しつつ、場面ごとの表現を観察していると、なんだか見覚えのあるシルエットが視界に入った。
見間違いかと目を凝らすと、薄暗い舞台裏でもよく分かる水色の髪がさらりと揺れる。
……間違いない。
「――セシル様」
認識阻害を解き声を掛けると、セシルは振り返り、一瞬目を丸くした後に軽く微笑んだ。
「もしかして、ルージュ様も見学かい?」
「ええ。そんなところですわ。セシル様はなぜこちらに?」
人のことは言えないが、普通に覗き見をするなら観客席側から演技を見に行くものだろう。そう思って問いかけたが、セシルは少し表情を曇らせて続ける。
「女の子たちに見学に誘われたんだ。……だけど、少しエレナのことで気になることがあってね」
「エレナ様の?」
「うん。だからここまで様子を見に来たんだ。あ、そろそろ彼女の出番みたいだよ」
言われるがまま舞台袖からそっと顔を出し、エレナを探す。
すると、舞台上にいる何人かの生徒たちから少し離れたところに、彼女の姿はすぐに見つかった。
真剣な表情で舞台中央に目を向ける彼女はどうやら出番を待っているようだ。
「――まだ、終わってません!」
舞台に女子生徒の強気な声が響く。しかし、剣を構え直す彼女は大量の敵に囲まれて大ピンチだ。シナリオ通りならここで彼女の前にエレナが現れ、形勢逆転する展開が始まる。
だが、歩み寄るはずのエレナの足は舞台の端でピタリと止まっていた。
「……」
「あの、エレナ様?」
女子生徒が不安げに声を掛けると、エレナは冷めた目で仕方なさそうに口を開いた。
「一応、確認しますけど……それ、本当に練習したんですか? 前と全然変わってない」
「は、はい。あれから毎日放課後に夜までちゃんと――」
「それだけやったのなら、普通もう少しマシになってると思います」
「っ、そんな……!」
食い下がろうとした女子生徒からエレナは一歩離れ、大きなため息をついた。
「言い訳はいいです。本番までには仕上げておいてください」
そしてそれだけ言うと話を切り上げ、舞台から早足で降りていってしまった。
「やっぱりこうなるか」
そう呟き、セシルは小さく肩を落とした。
「あんな感じで、ずっと嫌そうにしてるみたいなんだ」
「大変ですわね」
エレナは相変わらずわがまま放題のようだ。
まあ、確かに生徒たちの演技が下手なのは見ていて思ったが、初心者ばかりだと考えるとそれを言うのは酷だろう。
「でも不思議だよね。あの態度で誰からも苦情らしい苦情はないんだ」
「それは……」
その言葉を聞き、再び舞台に目を向ける。エレナに冷たく当たられた令嬢は肩を落としつつも「エレナ様のためにもっと頑張らなきゃ」と意気込んでいる。
おそらくあの令嬢もすでに例の菓子を食べているのだろう。エレナは周囲から自身へ向けられる反発を魔術で打ち消しているというわけだ。
……となると、他にも気になることが出てくるのだが。
「クラス代表についてはどうです?」
「そっちはいつも通り。エレナが指示して、後は僕らが大体やってるよ」
「……なるほど」
クラス代表になっているものの、結局彼女の代わりに皆が頑張っているらしい。それでもクエストクリア扱いにはなるだろうが、納得はいかない。
内心モヤモヤしていると、セシルはやれやれとポーズを取った。
「僕はともかく、まさか殿下を買い出しに行かせるとは思わなかったけどね」
「えぇ……?」
流石に王太子をパシるのはちょっとどうかと思うのですがエレナさん。
若干引いている私にセシルは軽く息をついて続ける。
「まあ、僕らでなんとかできるからクラスの方は大丈夫。だから問題になるとしたら――」
「こっちですわね」
「そういうこと」
先ほどのエレナのあの様子を見れば彼の心配も納得だった。本番まで残り日数も少ないし、そもそも劇は学園祭の目玉の演目だ。失敗したら目も当てられない。
だが、私たちに出来ることがあるわけじゃない。
「今は見守るしかないですわね」
「そうだね。僕はせっかくだし、もう少し観ていこうかな。ルージュ様は?」
「わたくしは教室に戻りますわ」
リハーサルは気になるが、まだやることは残っていた。そろそろ作業に戻らなければいけない。
軽く手を振り、舞台上に視線を戻したセシルと別れ、講堂から出た。
「……どうにかなりますように」
そんなことを呟きながら早足で教室に向かう。
懸念はいくつも残っているが、もう引き返すことはできないところまで来ている。とにかく無事に終わることを期待しながら、私たちは学園祭当日を迎えるのであった。




