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――そして当日。
教室の窓を開けると、湿った熱気が流れ込む。外はまだ夏の暑さが残るものの、徐々に秋の景色に変わってきている。
学園の正門に目を向けると、見慣れた門は、今は色とりどりの花々を纏った巨大なアーチによって別世界の入り口へと作り変えられていた。
アーチを潜った子供がパンフレットを受け取り、キラキラした表情で校舎を見上げる。服装からして平民の子供だろう。その目には、窓から外を眺める私の存在はまだ映っていない。
視線を下へ移す。校庭の隅、普段は昼休みの生徒たちがまばらに座るだけのその場所は、今はロープで囲われた即席の闘技場になっていた。
「構え!」
太くよく通る声がここまで聞こえてくる。
声の主は、重厚な黒銀の鎧に身を包んだ男――騎士団長だ。彼が腰の長剣を抜き放ち天にかざすと、それを合図に鎧の上から白と黒の襷をそれぞれ掛けた騎士たちが一斉にぶつかり合う。
「――、――!」
模擬剣と盾が激突する、鈍く重い音が連続して校庭に鳴り響く。
模擬試合とはいえ、彼らの動きは本気だ。地面を蹴り、砂塵を上げながら縦横無尽に駆け巡る。盾で一撃を受け流し、その隙を突いて渾身の一太刀を浴びせる。……凄まじい迫力だ。
闘技場の外の観客たちは、目の前で繰り広げられるリアルな演武に完全に圧倒されていた。
やがて、一人の黒の騎士が白の騎士の盾を鮮やかな上段からの打ち下ろしで弾き飛ばすと、騎士団長の「止め」の号令と共に、戦っていた者たちが剣を収め、観客に一礼した。
遠目からだが、久しぶりに見る騎士団長もお元気そうで何よりだ。
一方で、少し離れた隅には穏やかな場所もあった。研究所主催の、おとなしい魔物とのふれあいコーナーだ。
木柵に囲まれた芝生では、膝の上にふわふわとした鳥のような魔物を乗せた子供たちが、優しくその頭を撫でている。
他にも、ここからは見えないが、例えば中庭では昔の魔道具の展示や王族御用達の楽団による演奏会も行われる。
こんな感じで生徒以外が行う多様なイベントがあるが、その数は例年よりも増えている。『異変』のことがあり少しずつ気持ちが暗くなっている民たちに少しでも楽しんでもらおうという彼らの心遣いである。
もちろん学園祭といえば主役は生徒たちであることも忘れてはいけない。それぞれのクラスが趣向を凝らした模擬店を出している。
ゲームでは好きな攻略対象と一緒に行動できる。迷路やお化け屋敷での密着イベントや、執事喫茶での甘い接客イベントなどなどを楽しめるのだ。
ぼんやりと考え事をしていると、背後から名前を呼ばれる。
「ルージュ様」
振り返ると、悪の女幹部感のある仮装をした令嬢がこちらに歩み寄ってきた。
「そろそろ開店ですが、準備は大丈夫ですか?」
その言葉に私は優雅に微笑み、応える。
「ええ。行きましょう」
――そう、私たちのクラスの模擬店も開店の時間だ。
バックヤードから出て店の入り口に向かおうとすると、ちょうどその時、ぎぃと古い蝶番のような軋みを上げながら教室の扉が開いた。早速一人目の来客である。
扉の向こうにいたのは、十五歳くらいの一人の少年だった。
何気なく一歩足を踏み入れた少年の足が止まった。無理はない。彼の網膜に映るのは、学園祭の浮かれた空気を全て塗りつぶしたような闇の空間だ。
「えっ……?」
その異様な光景に少年はすぐに後ずさりしようとしたが、背後の扉はすでに音もなく閉ざされていた。
「……っ」
もう逃げ場はない。それに気がついたのか、彼の喉が小さく鳴った。そしてその瞬間、薄暗い室内に声が響く。
「いらっしゃいませ」
低い男の声だ。少年が恐る恐る目を向けると、そこには全身に漆黒を纏った騎士が立っていた。
「ひっ!?」
彼の鋭い眼光に射抜かれ、少年は手にしたパンフレットを握りしめたまま硬直した。
騎士は無言のまま、ゆっくりと少年との距離を詰めていく。
「……これを」
その言葉と共に無造作に差し出されたのは、一枚の羊皮紙。少年は震える指先でそれに触れると、かろうじて声を絞り出した。
「……じゃ、じゃあ、ミルクティーを、一つ……」
「承知した」
騎士は恭しく一礼し、奥へと消えていく。残された少年はふらふらとした足取りで、用意された席へと腰を下ろした。
……うん。ちょっとやり過ぎである。客が明らかに怯えている。
とはいえ、怖がられても仕方がないことは最初から分かっていた。
バックヤードがある窓側は壁と厚い布で塞がれ、店内には太陽光が一筋たりとも入ってこない。唯一の光源は壁に等間隔で並ぶキャンドルの青白い魔術の炎だけ。
足元には、レッドカーペットというにはあまりにどす黒い、血の海にすら見える絨毯。
教室の装飾は細部まで完璧。なんだか空気がひんやりと冷たい錯覚を覚えるほどの雰囲気。この教室のクオリティは学園祭という枠を完全に超えている。
ここはもはや魔王の城の一室。ただのカフェだと思ってなんとなく立ち入っただけの客はそりゃビビる。
「ですので、接客はもう少し親しみやすさを出しましょうか」
「そうだな……」
飲み終えた少年が呆然とした様子で店を出ていく背中を見送った後、私の提案に例の騎士――ダリウスは神妙な表情で同意した。
彼の衣装は少し古い時代の騎士をイメージしたデザインで、漆黒の布地も作り物のような安っぽい質感ではない。使い込まれたような傷や皺までもが再現されているほどだ。
髪型やメイクもバッチリ悪役仕様にされているし、薄暗いことも相まって先ほどの少年からは本物の悪の騎士に見えたことだろう。……衣装やメイク担当の本気が伺える。何が彼女たちをここまで駆り立てていたのだろうか。
「しっかし、演技すんのも案外難しいんだな。何言えばいいか分かんねぇし、怖がらせちまったしな」
そう言ってダリウスは苦笑した。どうやら思った以上に客を怯えさせてしまったことが堪えているらしい。
「そうですわね……あなたはいつも通りで良いと思いますわ」
「そうか?」
「そうです」
きょとんとしたダリウスに思わずふふっと笑ってしまうと、彼も釣られたように「じゃあ、そうする」と笑った。
「もしかしてここって例の店じゃない?」
「あ、さっきの人が言ってた怖いやつ? 入ってみる?」
「うーん、どうしようかな……」
静かな店内で客が来るのを待っていると、入り口の方から女性の話し声が聞こえてくる。この感じ、どうやら先ほどの少年が何か噂を流したらしい。
やがて、好奇心に負けたようで三人の女性が店内に入ってくる。それを合図にしたかのように、次から次へと客が続いた。
さっきまでの手持ち無沙汰な時間はどこへやら。空席だった椅子は勢いよく埋まり始め、待機していたクラスメイトたちが慌ただしく接客に向かった。
噂が噂を呼んだのか、不思議と客足が途切れない。注文の声が飛び交い、足音が絶え間なく重なり合う。薄暗い店内を行き交う生徒たちは息つく暇もなく動き回る。
小一時間すると、怒涛のように押し寄せていた客の波が落ち着き、騒がしかった店内に少しだけ静けさが戻ってきた。
「ありがとうございました」
客を一組見送り、空になったカップを片付ける。次の準備のためバックヤードに向かうと、ちょうど休憩に入ったらしいダリウスがいた。
「あら、ダリウス様。騎士団の模擬試合は観に行かれるのです?」
「おう、後でな。ルージュ様はどこか行くのか?」
「……そうね」
彼に尋ねられ、そういえば私も行きたいところがあるんだったと思い出す。
だけど、それは交代の時間になってからだ。今はちゃんと接客しないと。
軽く息を整えてから店内へと戻ると、ちょうど扉が軋む音を立てて開き、エレナが姿を現した。その後ろには、当然のようにアルバートとセシルの姿も続いている。
「っ、ルージュ様……!」
彼女は私の姿を確認すると睨むように目を細めた。
……待ってましたよ、エレナさん。
私は内心口角を上げつつ、堂々と歓迎の挨拶をする。
「――いらっしゃいませ」




