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【お助けキャラ視点】
周囲を警戒しながら歩くと、風の音と靴底が砂利を踏む音だけが耳に入る。峡谷に来た瞬間から、そわそわとして落ち着かない。
「きっと誰も来ないよね」
貴族の令嬢が一人でコソコソこんな場所に来ていること自体、決して褒められたことではないだろう。だから誰にも見つからないようにと慎重にならざるを得なかった。
さて、目的地はこの辺だろうか。
私はピッケルを握りしめ、目についた黒い岩肌の前に立った。
「……よし」
周囲を念入りに見回し、誰もいないことを確認してから、力を込めて振り下ろす。
硬い感触と共に小石がいくつか割れ落ちた。すぐに身を屈め、砕けた欠片をルーペで拡大して確かめる。
「うーん、違う」
その中に目的のものは一つもなく、思わず肩を落とした。
やはりそう簡単には見つからないのだ。最初から分かってはいたとはいえ、ちょっと落胆してしまう。
私の趣味は原石の採集だ。
昔から磨かれた宝石よりも、人の手の入っていない原石の方が好きなのだ。だけど一般的な令嬢はこちらに価値を見出さない者がほとんどだろう。だからこの趣味は誰にも言わず、ずっと一人で胸の内にしまってきた。
そんな中、つい昨日こんな噂を聞いたのだ。
――峡谷のどこかに、まだ国に知られていない鉱脈がある。そこでは良質な鉱石が発掘できるらしい、と。
耳にした瞬間から、どうしても真偽を確かめたかった。
とはいえ、あくまで噂は噂。私の家と関わりの深い、噂好きの貴族からの情報だ。真実である確証はないのだが、もし本当だったらと考えたら居ても立っても居られなかった。
気がついたらここまで来てしまっていたほどに。
……来てしまったからにはできるだけ頑張ろう。
「場所が違うのかな」
鉱脈がない場所を掘っても何も出ない。もう少し違う場所を探してみようと立ち上がった、その時だった。
「あら、ナターシャ様」
「っ!?」
背後から突然声をかけられ、心臓が跳ね上がった。
しかもナターシャとは私の名だ。つまり、私が呼ばれたわけで、これは知り合いに見つかったということでもある。
……まずい。
冷や汗が背中を伝う。意を決して恐る恐る振り向くと、そこに立っていたのは、なんとルージュ様だった。
「ル、ルージュ様……?」
どうして、ここに。
理解ができず頭の中が一瞬真っ白になる。なぜ侯爵令嬢である彼女がこんなところにいるのだろう。それに人の気配なんて一度も感じなかったが、一体いつからいたのだろうか。
そして、今の自分の状態を思い出す。貴族の令嬢がこんな人気のない峡谷にいて、しかもピッケルを持っている。どう考えても不自然だ。ヤバいやつだと思われかねない。
どうしよう、なんて言えば誤魔化せる?
言葉を発することができず立ちすくんでいると、目の前のルージュ様は柔らかく微笑んだ。
「奇遇ですわね。そちらで何をしていらっしゃるのです?」
「さ、散歩……です」
……やってしまった。
自分でも苦し過ぎる言い訳だと思う。でも咄嗟にそれ以外の言葉が出てこなかった。
冷や汗が止まらなかったが、ルージュ様は一瞬だけ視線を私の手元に向けたものの、それには何も言わず続ける。
「あら、わたくしもですの。ご一緒してもよろしくて?」
「……え? 何をですか?」
「散歩ですわ」
「え!? あ、いや、もちろん大丈夫です!」
理解が追いつかず聞き返してしまったが、まさかの散歩のご一緒のお誘いであった。
しかも断る理由を見つけられず反射的に了承してしまい、内心では焦りと困惑が凄い勢いで渦巻いている。なぜこんなことになった。
岩と砂ばかりの峡谷の細い道を並んで歩き始める。沈黙が続くのではと身構えたが、ルージュ様は案外自然に話しかけてきた。
「峡谷は静かで落ち着きますわね」
「そ、そうですね。……ところで、大変失礼なことをお聞きしますが、ルージュ様はなぜこんなところで散歩を?」
「そんなに畏まらなくて構いませんわ。ここで新しい鉱脈が発見されたと噂に聞いて、見物にと」
「えっ!」
その言葉に思わず食いつく。
「実は私もそうなんです! もしかして、ルージュ様も石にご興味が?」
「ええ。義弟が好んでいて……その様子を見ていたら、わたくしも気になってきましたの」
「そうだったんですね!」
理由を聞いてほっとした。どうやら怪しまれているわけではないらしい。
力を抜いた私を見て、彼女は穏やかに続ける。
「ナターシャ様はどのような石がお好みですの?」
「私ですか? 私はやっぱり――」
私は畳み掛けるような勢いでルージュ様に説明する。色や結晶の形、性質。誰かにこうして原石の話をするのは初めてだったからか、気づけば夢中になって話していた。
「って……すみません、私ばかり喋ってしまいました」
「構いませんわ。聞いていてとても楽しかったですもの。むしろもっと聞いていたかったくらい」
呆れた顔をされると思っていたが、ルージュ様は楽しげに笑っていた。受け入れてもらえたという事実に、胸がじんわりと温かくなる。
話が一段落したところで、ルージュ様がふと思い出したように言った。
「ところで、ナターシャ様は先日のお茶会は不参加でしたのね」
お茶会という単語に小さく肩が跳ねる。
「……はい」
「お姿が見当たりませんでしたから、気になっておりましたの」
叱られるかと思ったが、彼女の言葉はあくまで心配げで、欠席した私を責める調子ではなかった。前にもご迷惑をお掛けしているのも相まって余計に申し訳なさが込み上げてくる。
「元々は参加する予定で準備はしていたんですが……」
話しながら、いつの間にか足元の砂利へと視線が落ちていく。
「出られなかったんです」
「……出られなかった?」
私は頷く。一瞬、理由を話すべきか迷ったが、素直に全て打ち明けようと思う。
「実は――」
私はエレナと茶会の準備をした時、そしてその後の出来事を具体的に説明した。
「――ということがあったんです」
「そんなことが……大変でしたのね」
ルージュ様の気遣うような言葉を聞いて、はっと我に返る。私のことよりエレナだ。
「ルージュ様。あの子、茶会で何かやらかしていませんでしたか!?」
あのエレナのことだし、絶対に何かやらかしただろうと思うのだ。だとしたら申し訳なさすぎる。
しかしルージュ様は私の勢いに少し驚いたように目を瞬かせ、それから苦笑を浮かべた。
「……いえ、エレナ様の用意した菓子は好評でしたわ」
「よかったぁ……」
本心からの安堵の声が出てしまった。エレナにしては意外だが、無事に終わったのなら良かった。
だけど不安は残る。ここ最近、エレナの様子が明らかに変わっているのだ。なんというか焦っているように見える。
「それに最近、エレナのことを止めようと思っても、あの子の目の前にいると止められないんです」
「止められない?」
驚いたように目を見開いたルージュ様に、私は言葉を選びながら続けた。
「はい。気づいたら、あの子の言う通りに動いていて……」
逆らおうとすると体が動かなくなるのだ。自分でも説明しきれないが、その瞬間に確かに抗えない何かがある。
「それはいつから?」
「確か、夏季休暇に入る少し前からです」
ルージュ様はしばらく黙って考え込んだ後、穏やかに問いかける。
「……例えば、その前にエレナ様から貰った食べ物を口にしたことは?」
「ありました」
私が頷くと、彼女は「そういうことね」と納得したように呟いた。よく分からないが、何かが繋がったらしい。
「話してくださって、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ聞いていただけて助かりました」
何かが解決したわけではないが、全部話したら胸の内が少し軽くなった気がする。ずっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
しばらく歩いた後、ルージュ様が足を止めた。
「この辺り、ですわ」
「……え?」
「鉱脈があるとしたら、ちょうどここですの」
指し示された岩肌に半信半疑で目を向ける……が、どう見てもただの岩だ。彼女には何か見えているのだろうか。
「試しに砕いてみてくださらない?」
「は、はい!」
言われるままにピッケルを岩肌に打ち付けてみる。すると、小さく割れた石の中から見慣れない色の輝きが見える。
「これ……!」
指先でそっと拾い上げ、息を詰めて見つめる。独特の淡い光沢と結晶の割れ方――間違いない!
「これです!」
次の瞬間には、考えるより先に再びピッケルを握り直していた。そんな私の様子を見てルージュ様が小さく笑って口を開く。
「ナターシャ様。あなたとお話しできて楽しかったわ」
「! 私も楽しかったです!」
「それは良かった。ですが、ここでわたくしに会ったことはどうか秘密になさって。……実はこっそり屋敷を抜け出してきましたの」
そんなことを言いながらルージュ様は困ったように笑った。思っていたよりもお茶目な方なのかもしれない。
「もちろん誰にも言いません。だから、その……」
「ええ、わたくしも誰にも言いませんわ。二人だけの秘密ね」
「ありがとうございます!」
約束を交わすと、彼女は静かに去っていった。
残された私は、再び岩に向き合う。
「……それにしても、なんでここが鉱脈だって分かったんだろ」
本当にルージュ様には何が見えていたのだろうか。




