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「ご心配をおかけしました」
落ち着いてソファに座った私は、対面に腰を下ろしたアルバートに頭を下げた。
「謝る必要はない。……身体は本当に問題ないんだな?」
「むしろ、すごくすっきりしています」
何日も眠り続けていたとは思えないほど頭は冴えていた。身体の重さもない。転生してから過ごしてきた中でも、ここまで調子がいいのは珍しいくらいだ。
そんな私の様子を見て、彼はどこか釈然としない表情を浮かべた。そりゃそうだ。
「元気なら良いのだが……結局何があったんだ?」
「実は、茶会に何か仕込まれていたようで」
静かにそう切り出すと、彼はすぐに表情を引き締めた。
「詳しく頼む」
そして、具体的な説明を聞き終えると、彼はムスッとした様子で口を開いた。
「……そういう時は俺を呼べと言っただろう」
「すみません」
それに関しては本当に申し訳ない。忘れていたわけではなかったのだが、ここまで大事になるとは思っていなかった。
「まあいい、今回は大目に見よう。……それで、これが例の菓子か」
アルバートはテーブルの上へ視線を落とした。布の上に載せられた菓子は、見た目だけならばごく普通の焼き菓子だ。
「食べちゃダメですからね?」
「俺を何だと思っているんだ?」
「すごく好奇心が旺盛な方ですかね」
なんとなくそう口にすると、彼は呆れたようなジト目でこちらを見た。
「ですが、少し気になりません?」
「それは確かに気になるが、さすがに食べるまではいかないぞ」
「冗談です」
まあ、それはともかく本題だ。
「この菓子にはおそらく細工があります」
「ふむ。しかし、ウォルターからはエレナに妙な動きはなかったと聞いている」
彼の話によると、ここ最近のエレナは茶会の案内を受け、とある令嬢の屋敷で準備をしていたという。
「――だが、あくまで外から見える範囲の話だ。屋敷の中までは分からん。盲点だな」
アルバートはそう言うと窓の外に目を向けた。つまり、具体的な行動は監視できていないということだ。
「準備中に何かがあった可能性が高いですね。その令嬢はどなたでしたか?」
何気なく質問すると、彼は難しい表情で告げた。
「あの例の『お助けキャラ』だ」
「お助けキャラ……あ!」
ゲーム通りなら、エレナを茶会に連れてくる役の人物だ。
「そうです。そのお助けキャラ、茶会にいなかったんです」
「なんだと?」
「エレナさんは一人で来ていました」
彼は「なるほど」と頷き、続ける。
「他にもゲームと比べて妙なことはあったか?」
「……あります」
あの茶会の流れを思い返してみる。違和感を順に辿っていくと、一つの流れが見えてくる。
まずはエレナが姿を現した瞬間だ。茶会に遅れてきたにもかかわらず、誰一人として彼女を咎めないどころか自然に輪の中心へ迎え入れていた。
それまで陰口を叩いていたことを思えば、これは明らかに不自然だった。
ドレスもそうだ。改めて考えてもあの場に合っていなかったのに、令嬢たちは絶賛した。立ち振る舞いも同様だ。本人は「慣れていない」と言っていたが、彼女の動きにぎこちなさはなかった。
「そして……決定的だったのは、この菓子です」
ゲームでは「平民の作った菓子なんて食べたくない」などと、エレナが持ち込んだ菓子を警戒して断る令嬢が何人かいた。
それなのに、私以外の令嬢は躊躇も警戒もしなかったのだ。
「となると、エレナが来てから流れが変わったということか」
「……いえ、違います」
最初に明確な異変が起きたのは彼女が現れる前。持ち主不明の菓子が出されて、それを口にしてからだ。そこから私と周囲の令嬢たちの反応は噛み合わなくなった。
そして、それを見計らったかのようにエレナが現れた。
仮に、あの『持ち主不明の菓子』はエレナが手配したものだとしたら。あれにも既に何らかの細工がされていたとしたら。
彼女が遅れてきた理由は――
「待っていたのではないか?」
「私も同じ考えです」
令嬢たちがあの菓子を食べるまで待っていた。そう考えると筋が通る。
もしかすると最初の菓子が『下地』で、彼女の持ち込んだ菓子は『仕上げ』だったのかもしれない。
「単独犯ではないということになるな」
「彼女には取り巻きの令嬢がいますから」
なんだかんだで今でも彼女の周りには何人かの取り巻きがいる。あんな感じでも『精霊の姫君』だ。特別な存在と懇意になりたい家があってもおかしくはない。
取り巻きの令嬢を利用して最初の菓子を紛れ込ませる――これまでのエレナの動きを思えば十分にあり得る話だ。
「だとしたら、どんな細工がされているのかだな」
「何らかの魔術だと思いますが……私以外は美味しそうに食べていたんですよね」
他の令嬢たちは菓子を美味しいと感じていたのに、私だけが刺激物のような違和感を覚えた。
「だが、おそらく味覚への影響は本質ではないのだろう」
私は頷く。感情や判断力、あるいは警戒心――そういったものに干渉する魔術だと考えられる。
「仮にそうだとして、ルージュには効いていないということは何らかの耐性でもあるのか?」
「そんなものはなかったはずなんですけど」
ゲームと同じなら私に特殊なスキルや耐性はない。
「ですが、間違いなく何かはありそうです」
「なるほど。ここまでで事実と仮説の整理はできたな」
問題はこれを踏まえてどうするかだ。
まずはこの菓子について。
「ひとまず研究所に送るか」
「そうですね」
菓子に施されている魔術を特定する。エレナに気づかれぬよう、極秘で調査を行ってもらおう。
「それで、次は……」
他にも詰めるべきことは多い。考えをまとめようと腕を組んで唸っていると、不意にアルバートが口を開いた。
「随分と険しい顔をしているな」
「……え?」
彼は小さく息を吐き、ソファから立ち上がる。
「真面目なのは構わないが、少し根を詰めすぎだ。息抜きに少し歩かないか?」
アルバートの提案に乗り、王城の中庭を散歩する。確かに考え続けた疲れはあったし、気分転換をするのは悪くなかった。
歩きながら、ふと彼に声を掛ける。
「茶会とは関係のない話ですが、寝ている間、前世の夢を見ていました」
「前世、か」
「はい。このゲームの舞台版に少し関わっていて……裏方ですけど」
そう告げると、アルバートは驚いたように目を瞬かせた。
「どうしました?」
「いや、まさか関係者だったとは、と」
「ちょっとですよ。本当に、ほんのちょっと」
関係者といえば関係者かもしれないが、私は舞台版に裏方として関わっていただけだ。
ゲームに詳しいのは関係者だったからではない。めちゃくちゃやり込んでいたせいだ。本当だ。
「舞台版も良かったのか?」
「もちろん良い舞台でしたよ。だから、今の自分が少し情けなくて」
「……情けない?」
舞台を思い出すと、ルージュ役の彼女の演技が鮮明に脳裏に浮かぶ。
「あのルージュ様と比べたら、今の私なんて偽物にも程があるので」
この体たらくではルージュ推しの人から見たら腹が立っても仕方がない気もする。そう伝えると、アルバートは少し遠くを見てからこちらに目を向けた。
「俺は今の方がいいと思う」
「そうですか?」
「ああ。今の方が好きだ」
……あまりにもサラッと言われて足が止まりかけた。だけど当の本人はこちらの反応を見て軽く微笑むと、いつも通りの調子で歩きながら続ける。
「しかし、お前の前世のことは初めて聞いたな」
「た、確かに、ゲームのこと以外は詳しく話したことはないですもんね」
シナリオを攻略しなくてはいけない関係上、アルバートと話す内容はゲームのことばかりだった。
だけど前世のことは忘れていたわけではない。あえて思い返すことも、話す機会もなかっただけ。
「前世に未練はあるのか?」
「そりゃあ、ありますよ」
まだまだ前世でやりたいことがあった。でも、今の私は今の私だ。その辺は割り切っているつもりである。
そういえば夢に出てきていたが、後輩は元気だろうか。
「その後輩というのは……お前にとって、どういう存在だったんだ?」
「どうって、ただの仕事の後輩ですよ」
彼は会社の後輩だ。特別な関係ではなく、プライベートで会ったこともない。
「それだけですね。どうかしました?」
「……いや、何でもない」
アルバートは何か言いたげな顔をしたが、それ以上は踏み込んでこなかった。代わりに、気を取り直したように表情を変え、口を開く。
「それよりも、今は茶会の件だな」
「ですね。菓子については研究所の分析結果を待つとして……」
「その間に俺たちはどうするかだ」
問題はそこから先。そう考えると、私の中でどうしても引っかかっている点があった。
立ち止まり、はっきり告げる。
「でしたら、まずはお助けキャラの件です」
茶会にあった不自然な点の中で、最も気になっているのは彼女の不在だ。
エレナの菓子に関係している可能性が高い以上、謎を解くには彼女をあたるのが一番早い。
「では、彼女を城に呼び出すか?」
「それは目立つのでやめておきましょう。エレナさんにバレる可能性があります」
あの魔術試験以降も彼女がエレナと一緒にいる姿を何度も見ていた。接触するにはエレナの目を掻い潜る必要がある。
「だとしたらどうする?」
「……たとえば、向こうが放っておけない理由を作ったらどうでしょう」
「ほう」
私はにやりと口角を上げ、続ける。
「そうすれば、あちらから動いてくれます」




