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前世の話
聞き覚えのある音が耳に入り、意識が浮上する。
「……あれ?」
目を開くと、そこは自室ではなかった。反射的に辺りを見回すと、雑然と置かれた機材や小道具が視界に入る。バックヤードのような光景だが不思議と見覚えがある。
そこでようやく気づく。ここは舞台裏だ。
認識した瞬間、紙をめくる乾いた音が耳に届いた。視線を向けると、椅子に腰掛けた役者がぱらぱらと台本を確認している。
「……!」
その光景を見て記憶が繋がった。そうだ――今は仕事中だ。
一瞬、本番かと身構えたが、周囲を見る限りリハーサルだ。何が起きたのかは分からないが立ち止まっている場合じゃない。足早に持ち場へ向かう。
そう、私は舞台スタッフとして、今日もリハーサルに立ち会っている。
「暗転のタイミング、今の感じでお願いします!」
「了解です!」
舞台裏は慌ただしい。照明班はモニター前から動かず、音響班はヘッドセット越しに短い指示を飛ばしている。舞台上では立ち位置の微調整が続き、大道具もまた、止まることなく手が入れられていた。
照明の確認作業の合間に、袖から舞台上の役者たちに目を向ける。
「……すごいなぁ」
ここから見る演技は、客席で受ける印象とはまるで違う。角度ひとつで表情は別人のように見えるし、照明が入る瞬間には一気に役へと切り替わる。
その過程を何度も見ていると、演技とは技術と集中の積み重ねなのだと素直に感心してしまう。
「休憩入りまーす」
休憩に入り、私は舞台裏の壁にもたれて水を飲んでいた。そこへよく見知った後輩がこちらに気づき、小走りで近寄ってくる。
「今、邪魔じゃないですか?」
「あー、うん。ちょっと邪魔かもですね」
軽口を叩くと、後輩は「酷っ」と言いながらも私の隣に落ち着いた。
彼は中途入社して三年目の後輩だが、割と気心が知れていた。私に対する態度は若干悪いが、現場の要所を任せられる程度には頼りにしている。
「先輩、めっちゃ舞台の方を見てましたよね」
「そりゃあ、見るに決まってるじゃないですか」
後輩の声に促されるように再び舞台へ目を向ける。
休憩時間にもかかわらず、舞台上には数人の役者が残っていた。その中で、自然と目を引く人物がいる。立ち位置と動きを確認する――ルージュ役の少女だ。
彼女は不意に立ち止まると、派手な容姿とは裏腹に、芯まで冷えたような表情で口を開く。
「――薄汚い平民の分際で、このわたくしに声を掛けるとは、良い度胸ですわね」
本番さながらのその姿は真剣そのものだ。気づけば私は、無意識のうちに彼女を目で追っていた。
「原作の声がする……」
「……声って、台本に書いてありましたっけ?」
しみじみと呟くと、後輩は見当違いなことを言いつつ首を傾げた。
「後輩は原作未履修ですもんね」
「俺、乙女ゲームはちょっと。小説版は読みましたけど」
「……ならば許そう」
「よし」
小説版ということはアルバートルートは履修したらしい。いや別に、原作を知らなくても仕事に支障はないが、知っていると見え方が変わる場面も多いのだ。
「で、あの人がそうなんですね」
彼はそう言ってルージュ役の彼女に目を向ける。
何を隠そう彼女、実はゲームのルージュの中の人なのだ。声優であり舞台でも活躍する。スタイルの良い、少しキツめの美人さんだ。
「それにしても、いい演技なんですよ」
「そうですか?」
「実はさっきのシーンは今回のシナリオの盛り上がりポイントで――」
彼女の演技について一気に言葉を重ねる。あの高慢さと冷たさを併せ持った表情は、まさにルージュ様。ゲームからそのまま出てきたみたいだ。
表情だけではない。感情の見せ方も照明との噛み合いも的確だった。
「分かりますか。つまり、あの一瞬の表情が全体の印象を決定づけてて――」
そこまで話したところで後輩が一歩引いて苦笑する。
「先輩。俺、ちょっと熱量についていけてないです」
「……なんかごめん」
……興奮して喋りすぎたようだ。少し落ち着こう。
「でもすごいんですよ。若いのに堂々としてて」
「そうですけど……あの人、確かあんまりいい評判聞かなかった気がするんですよね。性格もキツそうだし」
「そういう細かいことは別にいいんです」
「確かに見た目はいいですけど」
「だから、それだけじゃないんで――」
そんな私たちのやり取りを遮るように、鋭い声が舞台に響いた。
「今の演技、本気でやってるんですか?」
何事かと舞台に目を向けるとルージュ役の彼女がエレナ役に詰め寄っていた。相手が言葉に詰まると、さらに一歩前に出て続ける。
「感情表現が浅すぎる。ルージュと対峙する場面で、それは全然足りない」
「……分かっています。でも」
「でもじゃない。そんなんじゃ、お客さんには通用しないんです」
舞台には他にも人はいるが、誰も口を挟まない。周囲の視線が静かに逸らされた。
そんな張り詰めた空気が数秒遅れてこちらにも伝わってくる。
「うわ、怖」
後輩が小声で呟く。確かに言い方はキツい。下手すれば相手が萎縮してしまうだろう。だけど、
「ストイックなんですよ」
そう言うと後輩は少し引いたような顔をする。評判がどうだとか、性格がどうだとか、そういう話が出てくるのも理解できる。だけど、彼女が舞台に本気で向き合っているのはここからでも分かるのだ。
……それに正直、あのキツさも含めてルージュという役には解釈一致な部分もあったりするのは内緒だ。
穴が開きそうなくらい舞台を見つめていると、後輩がふと思いついたように口を開いた。
「せっかくなら、サインでも貰ったらどうです?」
「えっ」
その軽い提案に思わず言葉に詰まる。欲しいか欲しくないかで言えば、当然欲しい。だが、あくまでこれは仕事なのだ。公私混同は良くない。
「さすがにそれは……」
逡巡していると、後輩はハッとしたように表情を変えた。
「先輩って案外シャイなタイプ?」
「そうじゃなくて、普通に考えてですよ。迷惑かもしれないし」
「まあまあ。ダメだったら奢りますから」
「……先週、競馬で負けたって言ってませんでした?」
「昨日の地方で取り戻しました」
ドヤ顔で即答され、思わずため息をついた。思い出した。この人はトータルでは勝つタイプだった。
「で、行くんですか? 行かないんですか?」
……後輩はニヤニヤと私を見ている。これ多分、頷くまで言われ続けるやつだ。
「もう、行けばいいんでしょ、行けば……」
観念したようにそう言うと、後輩は愉快そうに笑っていた。こいつ……!
「さっきからなんなんですか。私、一応先輩なんですけど」
「先輩に先輩感がないのが悪い」
だったらその先輩呼びは一体何だ。
まあいい。ともかく、こうなったら当たって砕けろだ。
だけど声を掛けるにしても、さすがに今ではない。全ての公演が終わってから、さりげなく聞いてみよう。それで断られたら全力で謝って、この生意気な後輩に高い焼肉を奢らせてやる。これでいいだろう。
「二人ともー! そろそろ休憩終わるよー!」
「はい! 今行きます!」
休憩終わりの声が聞こえ、私たちは持ち場に戻ろうと舞台に背を向けた。
……その時だった。
「そこの人。さっきからジロジロ見てましたよね」
「……え?」
背後から掛けられた声に心臓が跳ねる。振り返ると、すぐそこにルージュ様が立っていた。
「!?」
「何か用ですか?」
「え、あ、いや……」
ダメだ、混乱してうまく言葉が出ない。
「あの――」
それでも何か言わなければと口を開いた瞬間、不意に視界が揺れた。
次に目を開くと、見慣れた自室の天井が視界に入った。私はそのまましばらくぼーっと見上げる。
そうだ、これは――
「……夢かぁ」
大きく息を吐き、力を抜く。随分とリアルな夢だった。妙に生々しい感覚が残っているが、頭は不思議とすっきりしている。
身体を起こし、伸びをする。
それにしても懐かしい。あれはこのゲーム、『精霊の姫君と願い星のロンド』の舞台リハーサルの記憶だ。仕事として関われると知った時、本当に嬉しかったものだ。
「でも、なんで今になって前世の夢?」
考え込んでいると、窓の方からカシャカシャとかすかな音が聞こえた。何事かと視線を向けると、ベランダに白い犬の姿が見える。……祠の神が窓を手で叩いていた。
慌てて窓を開けると、彼は得意げに尻尾を揺らす。
『おお、やっと気がついたか、人の子よ』
「なぜこんなところにいらっしゃるのです?」
『王の子が呼んでおる。城へ向かうがよい』
私の疑問に対してそれだけ言うと、彼は煙のように消えた。
「アルバートが?」
今までも急に呼び出されたことは無いわけじゃないが、この時期は特にイベントなどはなかったはず。なんだろうか。
妙な胸騒ぎを覚えながら、しっかり身支度を整え、王城に向かう。
通された部屋に足を踏み入れるなり、アルバートは足早にこちらへ歩み寄ってきた。
「ルージュ! 無事で良かった。一体何があったんだ?」
「? どうしたんですか。そんなに慌てて」
彼は一瞬言葉に詰まり、困惑したように眉を寄せた。
「どうしたって、一週間近くも音沙汰がなければ、心配もするだろう」
「……一週間?」
思わず聞き返すと、彼は不思議そうにこちらを見つめ返す。頻繁に連絡を取り合っているわけではないが、そんなに長く空いた自覚はないのだが。
……まさか。
「……今、何日ですか?」
嫌な予感がして問いかけると、彼は一瞬首を傾げ、それから当然のことのように答えた。
「今日は八月の――」
その言葉に予感が確信へと変わる。
「……嘘でしょう?」
あの茶会から、既に何日も経過していたのだった。




