表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/47

銀世界より 1

 ティアは純白のドレスを身に纏っていた。絹織りの生地が光沢を放ちながら胸や背中の線をなぞり、ティアの華奢さを強調していた。スカートには細かい刺繍がされていて、その上に美しいレースが何層も重なっている。裾はどこまでも長く、一人で歩くのは大変そうだった。


「花嫁衣裳……?」


 どうして自分がそんなものを着ているのか、ティアは分からなかった。纏め上げられた髪の上には王女の冠まで乗っている。

 周囲の景観には覚えがないが、ウィルノア王都の街並みに似ていた。どこからか鐘の鳴る音が聞こえると、自然と足が音の方へ向かう。


「……そうだ、結婚式に行かなきゃ」


 今日はティアの婚儀が執り行われる日だった。どうしてこんなに大事なことを忘れていたんだろう。


 人っ子一人いない道を駆けると、周りの風景はすごい勢いで後ろへ下がっていった。気が付けば、国を挙げた祝祭の儀を執り行うための神殿の前に立っていた。正面にそびえる大きな扉が目に入り、ドクン、と胸が鳴る。


「この奥に、私を待っている人がいるんだ」


 それは誰だったか。ティアにとってかげがえのない、大切な存在は。


 そっと扉に触れると、扉は自然に内側へ開かれた。次の瞬間、視界が真っ白な光に染まった。眩しくて思わず目を瞑る。


「ティア様」


 聞きなれた声にそっと瞼を上げれば、数歩先に純白の騎士服に身を包んだロエンが佇んでいた。真っ白な世界の中、真っ白な服のロエン。他には何にも存在しない。彼の黒い髪と瞳だけが世界から浮いて見えた。

――私、ロエンと結婚するんだ。

 そう言葉にしてみると、不思議と心の奥が暖かくなった。照れくさいような、嬉しいような。ほっとするし、どきどきもする。じわりじわり、幸せが滲むようだった。


「ダメだよ、姉上」


 ロエンへ近寄ろうとするティアの腕を掴んで止めたのは、どこから現れたか分からないユリスだった。


「ロエンは駄目だって、僕言ったよね」

「身分の差なんて、私気にしないわ」

「そうじゃなくって、ほら」


 ユリスがティアの背後を指差した。つられて振り返れば、ロエンの隣には花嫁姿のマリーが寄り添っていた。彼女の栗色の髪には桃色の生花が零れんばかりに飾られていて、とても可愛らしかった。ロエンは見たことも無いような優しい笑顔で、マリーの耳元で愛を囁いている。


「ロエン!」


 ティアが呼んでも気づいた様子は無い。彼の視界にはマリーしか入っていないようだった。

 自分の結婚相手はロエンではなかったのか。鈍器で頭を殴られたような衝撃が走り、ティアはふらつく。そんな時、必ず支えてくれるがロエンだった。でも、ティアの隣にいるはずの彼は、違う人の隣にいる。


「どうして、そこは私の場所なのに……」


 ロエンのへの疑心、マリーへの妬み。どす黒い気持ちがじわじわと湧いてくる。大切な人へ向ける感情じゃないけど、溢れたものは止まらない。

 ユリスを振り払い、ティアは走った。


「おっと、君の相手は俺だろう」


 突如、どこにもいなかったはずのジルヴァが現れ、走っていた勢いのまま広い胸にぶつかる。そのまま強く抱きしめられ、ティアはぎょっとした。


「意外に積極的なんだな、君は」

「やめて、離してください」

「ああ、離さないよ」


 全然話が通じない。

 その間にもロエンとマリーが互いの顔の距離を縮めていくのが見えた。二人の瞼がそっと閉じられ、ティアは焦った。いやだいやだ、そんな二人は見たくない。早く止めなければ。もがけばもがくほど皇子の拘束が強くなる。

 ティアは力の限り叫んだ。


「もう、離してってばー!!」


 ティアの叫びに呼応するように皇子は消えた。ロエンとマリーも音も無く消えてしまった。

 残ったのはティアとユリスだけだった。


「ひどいよ姉上、二度と僕の傍を離れないっていったのに……」


 ユリスがしくしく泣き始めると、彼の姿がどんどん若返っていった。青年から少年へ戻ると、その顔がぐにゃりと歪んだ。


「姉上の裏切り者!」


 走り去るユリスを追いかける。どれだけ懸命に足を動かしても、その距離はどんどん広がっていった。弟の後ろ姿が豆粒のように小さくなって、さらにドレスの裾が引っかかり、ティアは派手に転んだ。


「一体なんなのよ……!!」


 展開が目まぐるしすぎて訳が分からない。恨み言をつぶやきながら立ち上がると、ティアはまたドレスの裾を踏んで転んだ。白い布は生き物のようにうねうね動き、どんどん絡み付いていく。布の先は次第にティアの足から腰、腰から胸、胸から首へと伸びていった。するりと首を一周し、そのまま思いっきり締め付けられる。


「……っは、」


 気管が閉められ、息が吸えない。堪えるように瞳を閉じると、生理的な涙が零れた。苦しくて苦しくてたまらない。布をはずそうと手を伸ばすと、布はいつの間にか誰かの腕に変わっていた。


「…………、手に入らないなら、いっそ、私の手で」


 闇の双眸がティアを貫いた瞬間、視界が暗転した。






 目覚めたティアは息切れを起こしていた。びっしょり汗もかいている。身体を起こして辺りを見渡すと、先ほどまでの出来事が夢なのだと気付いた。


「……な、なんて夢なの」


 絞り出したような声は、自分でもぞっとする程枯れていた。慌てて寝台の横に備えられた水差しに手を伸ばす。冷たい水が喉を潤すと、ティアはようやく落ち着きを取り戻した。

 周囲の部屋や廊下からは人の活動音は聞こえない。カーテンを開けると外は暗いが、東の空が少し白んでいた。


 夢は人の願望や不安を映すと聞く。人によっては未来を映すともいう。ティアの見た夢はなんだったのか。……夢は夢。ただの夢。さっき見たのはただの悪夢だ。ティアは自分に言い聞かせた。

 そうしていると窓の硝子越しに外の冷気が伝わり、身体がぶるりと震えた。






「これも夢の続きかしら……」


 それにしては、頬を刺す空気の冷たさも身体に伝わる馬の振動も、何もかもが鮮明だった。そう、これは現実だ。分かっていても思考が逃避しようとする。


 早すぎる起床に、それでも再び眠る気にはなれなかったティアは、身支度を済ませると一人でこっそり城の外に出た。外と離宮の周りを散歩するだけの、ちょっとした気分転換のつもりだった。

 しかしそこで偶然にも第二皇子のジルヴァードに出会い、半ば強引に馬に乗せられ、何故か今では雪道を走っていた。


「ん、何か言ったか」


 なんでもありません、とこたえれば、ジルヴァが手綱を強く握る。ティアが慌てて目の前の広い背中に掴まると、馬は速度を上げた。

 攫われるように馬に乗せられたティアは、ジルヴァがどこへ向かっているのか皆目見当がつかなかった。皇都の中らしいが、周りは木々ばかりで森の中のようだ。何度行き先を聞いても意地悪そうに笑うだけで、全然教えてくれない。馬は主人と同じ赤い毛並をしていて、滑りやすい雪道を恐れもせず進んでいた。朝日は出ていたが雪の積もった木々で光が遮られ、周囲は薄暗かった。


「護衛もつけず外に出て、本当に大丈夫なんですか」

「たまには煩わしいものから解放されて、自由になりたいものさ」


 君もそうだったんだろう、と言葉が続く。

 理由は違うが、気分転換という目的は確かに同じだった。だからさしたる抵抗もせず、ティアは大人しくジルヴァについてきていた。

 あんな夢の後だ。最初はティアが一方的に気まずい思いをしていたのだが、ジルヴァの奔放で快活な態度を前にすると、そんな気まずさも立ち消えてしまった。


「ほら、ついた」


 ジルヴァの声に顔を上げると、次第に森が開けていく。目に入った光景に、ティアは感嘆の息をもらした。

 そこは、一面の銀世界だった。木々も地面も真っ白な雪に覆われ、誰の足跡もついていない。穢れなき白の先には広い湖が厚い氷を張り、朝日を反射してきらきら輝いていた。


「俺のお気に入り。来てよかっただろ?」


 自慢げな顔のジルヴァに、ティアは大きく頷いた。先に馬から降りたジルヴァに手を引かれ地面に足をつけると、寒さも忘れてティアは飛び出した。


「すごいすごい!!」

「大人しいかと思えば、意外に無邪気だな」

「だって、見たことありません。こんなに美しい景色」


 大きく腕を伸ばして深呼吸すると、ひんやりと澄んだ空気が肺を満たした。味なんてしないけど、それでもこの空気は「美味しい」。

 馬を樹にとめたジルヴァも隣に立ち、同じように息を吸っていた。

 歩くのがもったいないくらい、本当にどこまでも真っ白だった。でも同時に、子どもみたいにわくわくが止まらない。


「私もう我慢できない、って、そんな顔だな」

「妙に含んだ言い方はやめてください」

「でも本当だろ?」

「……意地悪ですね」


 にやつくジルヴァに対抗するように笑ってみせて、ティアは先に飛び出した。慌ててジルヴァが追いかける。


「おいおい意地悪はどっちだよ」

「我慢できなかったんです」


 走りながら振り返れば、二人分の足跡がしっかり残っていた。片方は小さく、片方は大きい。歩幅だって違う。その両方が、氷の湖の前で止まる。

 ティアとジルヴァは白い息を吐き出しながら、どちらともなく雪の上に座り込んだ。


「……ありがとうございます、ジルヴァ様。こんな素敵なところを教えてくださって」

「俺が勝手に連れ出しただけだ、礼を言われるようなことじゃない」


 寒さのせいか、ジルヴァの耳が朱く染まっていた。


「アナスタシアから話を聞いて、ずっと君に興味があったんだ」


 あの妹が同性の、しかも一国の姫君と親しくなるなど、ジルヴァは想像もしていなかった。アナスタシアは曲がったものを嫌う、真っ直ぐな人間だ。だから虚飾や偽りで塗り固められた、皇族や貴族の社会に近寄ろうとしない。皇女という立場からは褒められたことじゃないが、彼女は彼女の立場でその務めを果たそうとしている。兄とは違う生き方を選んだアナスタシアが、ジルヴァは誇らしかったし、家族として愛しいと思っていた。


「あんまり君の話ばかりするから、どんな魔性の女が妹を(たぶら)かしたのかと思ってな」

「誑かしたって、そんな」


 くすくすとティアが笑い、そのたびに空気が白く染まる。

 何も気取らず、策略も無い。言葉や振る舞いは立場を弁えているが、意外と感情が素直に表れやすい。ジルヴァがティアに持つ印象はこうだ。

 決して悪くない、むしろ高評価だ。もっと長く付き合いを重ねて彼女のことを知りたいとも思う。だが一点だけ、どうしても気にかかる点があった。


「君は優しすぎると、アナスタシアは言った」


 それはティアの危うさだった。


「どうして君はあの男達を許せる。君の弟もあの騎士も、手酷く君を裏切った。どんな理由があっても、だ。……彼らの言い分については報告を受けている。しかしそれを知ってもなお、君が二人を許容できた理由が分からない」


 ティアは困ったように眉を下げた。どうして、と聞かれても、やっぱり二人が大切だったから、としか答えられない。すれ違っていただけだとか、みんな同じように苦しんでいたからとか、色んな理由はつけられても、結局根本はそこなのだ。

 だが、ジルヴァはそれでは納得しなかった。


「それは家族の情か? 主従の、いや男女の信愛か?……仮に俺が同じようにアナスタシアに裏切られたとしても、ティア殿と同じようには受け入れられないだろう」

「私は自分の選択が誤りだとは思いません」

「ああ、誤りではないだろう」


 ならばなぜ、責めるような目を向けるのか。

 ティアは居心地の悪さを感じて、その場から立ち上がった。くっ付いていた雪を手で払う。


「どうやら迎えが来たようだ」


 ジルヴァの言葉に背後を向けば、いつからいたのか、馬を止めた箇所に黒い外套に身を包んだロエンが佇んでいた。手を振ると仏頂面が少しだけ緩む。ジルヴァに一声かけて、ティアは自分の騎士の元へ向かった。


「私を連れずに外に出ないでくださいと、何度言われれば気が済むんですか」


 さっそくいつもの御小言がはじまって、やれやれと思う反面、ティアはなんだかほっとした。あれ以上ジルヴァと話をするのが怖かったのだ。


 本当はそれより怖かったはずなのに、ティアはもう、今朝の夢のことを思い出さなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ