第48話 苦労をかけた忠臣(1)
「竹千代さま?」
「……ん? どうしたの?」
《《あの時》》の俺は、今川義元公との謁見を終え、太原雪斎和尚の尊い教えもなんとか乗り切り、ようやく自室へ案内されている最中だった。
案内役の武士の兄ちゃんが、妙に熱のこもった声で俺に話しかけてきた。
「竹千代さまは……本当にお若いのに、頭の切れ、先見の明、智謀、どれを取っても大陸の名軍師のようなお方です! いや、むしろそれ以上かもしれません!」
両手をぶんぶん振りながら褒めてくる兄ちゃん。
……俺のことを褒めすぎだろ!
「いやいや……僕なんてまだまだですよ……。御方さまや雪斎和尚さまの足元にも及びませんし……」
未来の史実を知る俺は、胸の奥がずしりと重くなる。
武田信玄に敗れ、秀吉には岡崎を差し出し、信長には家族を奪われる──
そんな未来が脳裏にちらつく。
つまり未来の俺は、弱い。
敗北者だ。
だから褒められても素直に喜べなかった。
「ですが竹千代さまは、まだ若い。未来は無限です。それに義元公が『次は竹千代だ!』と太鼓判を押されたのですよ? 太原和尚さまに任せるとまで言われたのです。自信を持たれませ」
兄ちゃんは満面の笑み。
その笑顔に、胸の重さが少しだけ軽くなる。
──そうだ!
未来がどうであれ、今の俺は、生前観た! 呼んだ! 主人公たちのように、時代や世界を変えることが可能だ!
「ありがとう、お兄さん! 僕、頑張ってみるよ!」
俺は、イケメン武士の兄ちゃんの大きな手を両手で握り、ぶんぶん振った。
イケメン武士の兄ちゃんは困ったように笑いながら告げる。
「そんなに畏まられると、こちらが困ります……。それに私は今日から竹千代さまの世話係兼相談役として、岡崎衆より参りました者……。若君のご帰還を心待ちにしていた一人でございます」
「えっ……岡崎衆!? 本当に?」
「ええ、本当でございます」
兄ちゃんは膝をつき、丁寧に礼をした。
その瞬間──俺の脳内で警鐘が鳴る。
岡崎衆──未来の俺を支える忠臣たち!
その一人が、俺の目の前にいる……?
「あなたは……誰?」
「石川数正でございます」
「えぇええええっ!? 本当に!?」
俺は素で叫んだ!
ゲームで散々お世話になった《《徳川前半期の軍師》》が、目の前にいるんだぞ!?
だからか? 先ほど義元公や太原雪斎和尚さまが、俺に関東の外交の件は、《《後ろの者》》に任せればよい、と告げたのは。
石川数正の兄ちゃんが、軍師・外交のスペシャリストになる素質を見抜いていたから、俺に勧めたのか……。
それは気が付かなかったな……。
俺が脳裏で、戦国時代きっての名将二人の人を見る目の凄さに関心をしていると。
「竹千代さま……私に何か不都合でも……?」
「ううん! ただびっくりしただけ! 本当に!」
数正の兄ちゃんはほっとしたように笑う。
その笑顔がまたキラリと光る。
……そりゃあ令嬢たちにモテるわけだ。
「数正の兄ちゃんの家は松平家の家老の家系だし、そんな重臣が僕の側につくなんて思わなかったんだよ」
「そうでしたか……それなら安心しました」
俺は心の中で誓った。
──この世界の俺は、絶対に信長にも秀吉にも負けない!
数正、お前に未来で苦労をかけるような真似は絶対にしない!
そんな決意を胸に、二人で廊下を歩いていると──。
《ポン!》
《ポン、ポン!》
《ポン、ポン、ポン!》
軽い弾む音が響く。
「……氏真さま」
数正の兄ちゃんが足を止めた。
視線の先には──
煌びやかな十二単を纏いながら、蹴鞠をリフティングしている黒髪の少女。
ただの姫ではない。
その姿は、まるで《《戦国の悪役令嬢》》……。
尾張の悪役令嬢・吉法師姫(織田信長)とは違う……。気高さと傲慢さ、そしてどこか孤独を抱えた影……
蹴鞠を蹴るたび、十二単の袖がふわりと舞い、黒髪が光を弾く。
俺は思わず声を漏らした。
「うわ……。上手い……。リフティング、本当に上手だね……」
「えっ!? リフティングとは何ですか、竹千代さま!?」
数正の兄ちゃんが驚愕して叫ぶ。
その声に、氏真姫と取り巻きの令嬢たちが一斉にこちらを見る。
令嬢たちの視線は俺ではなく──
「石川殿!」
「数正さま!」
「きゃーっ、素敵……!」
数正の兄ちゃんに集中していた。
……うん、やっぱりモテるんだな、兄ちゃん……。
イケメンだもんな……
《ポーン!》
軽やかな音!
《バッシーン!》
次の瞬間──
「痛ぁあああああああああっ!」
氏真姫がボレーした手毬が、俺の頬にクリーンヒットした。
涙目になりながら、俺は必死に怒りを飲み込む。
だって相手は今川家の姫君──
しかも、俺の生前の歴史小説やドラマから推測しても、氏真も超我儘の《《悪役令嬢》》で間違いないはずだ!
氏真姫は、俺を見下ろしながら、扇子で口元を隠し──
その瞳だけが、鋭く笑っていた。
「まあ……人質殿……。避けられぬとは、鈍いのですね?」
挑発的な声音……。
周囲の令嬢たちが「氏真さま、素敵……!」と黄色い声を上げる。
……やっぱり悪役令嬢だ、この子!!
だから俺は廊下で正座し、頭を下げた。
「氏真さま、僕に何か不都合があったみたいで……本当にすみませんでした」
岡崎衆の反逆心を煽らないためにも、ここは俺が謝るしかない。
頬の痛みに耐えながら、涙をこらえ、俺は姫君へ深々と頭を下げた。
氏真姫は、俺の謝罪を見下ろしながら──
ほんの一瞬、寂しげに目を伏せた。
だがすぐに、悪役令嬢の仮面を戻し、扇子をぱんと閉じる。
「……許しますわ、人質殿。次は避けなさいませ?」
その声音は、どこか甘く、どこか刺々しい。
まるで俺を試しているようだった。
──これが、俺の戦国ラブコメの日常だ。
◇◇◇




