第47話 雪斎和尚の教えと、甲斐の虎の影
広間を辞した俺は、廊下の柱にもたれかかり、胸の鼓動を落ち着かせようとしていた。
(……言っちゃったよな。武田信玄を粉砕するとか……。それに関東の諸侯への同盟の書状の件……。俺本当に、何言ってんだ……?)
未来知識があるとはいえ、あの化け物に勝つなんて、正直ハードモードどころじゃない。
そんな俺の背後に、ふわりと柔らかな気配が近づいた。
「竹千代殿。よく言いましたな」
雪斎和尚さまだった。
もう一人の俺の中にある徳川家康の記憶による、和尚さまの、いつもの穏やかな笑みだが、どこか鋭い光が宿っている。
「……雪斎さま、正直、僕は怖いですよ」
「怖くてよいのです。恐れを知る者こそ、策を練り、勝利を拾える」
雪斎和尚は、袖の中から一枚の紙を取り出した。
そこには、俺が未来で見た《《ある陣形》》が描かれていた。
「これは……三段撃ち?」
「ええ、先ほど竹千代殿が口にした《《種子島を大量に用意する策》》の核となるもの。儂は他の武器を使用して考えておったのじやが……だが、ただ鉄砲を並べるだけでは勝てぬ。武田晴信公は、他の将とは違う……。あの御方は、戦場で風のように動き、火のように攻め、林のように静まり、山のように構える」
――風林火山!
雪斎和尚の声が、どこか重く響いた。
「竹千代さま。そなたが恐れるのは当然。だが、恐れたままでは勝てぬ! 晴信公は、そなたの未来を変える《《運命の壁》》となるでしょう」
運命の壁――
その言葉に、俺の背筋が震えた。
「ですが、壁は越えるためにある! そなたには不思議と未来を見てきたように知っている知識がある! そして、そなたには――わしがいる!」
雪斎和尚は、俺の肩に手を置いた。
「まずは心を整えること……。そなたの短気は、戦場では命取りとなる……。晴信公と仮に戦う、その日までには、わしが《《戦の心》》を叩き込んでやりましょう」
その言葉はまるで、俺が生前観て読みしていた異世界ファンタジーのアニメやラノベの主人公たちの《《修行編の開幕宣言》》のようだった。
俺は思わず背筋を伸ばす。
「……雪斎和尚さま! 僕、変われますか?」
「変わるのではない。育つのです! そなたは、まだ芽吹いたばかりの若木! だが、いずれは天下を支える大樹となる」
雪斎和尚さまの言葉は、未来の俺――徳川家康の姿を見透かしているようだった。
その瞬間、俺の脳裏に《《未来の戦場》》がよぎる。
――三方ヶ原!
――長篠!
――関ヶ原!
そして、そのすべての前に立ちはだかる影──
甲斐の虎・武田信玄……
運命のライバル……
未来を知る俺だからこそ、その重さが分かる。
(……逃げられない。絶対に)
俺は拳を握りしめた。
「雪斎和尚さま! 僕に、戦の心を教えてください晴信公に勝つために――僕は強くなります」
雪斎和尚は満足げに頷いた。
「では、まずは座禅から始めましょう……。心を整えられぬ者に、戦はできませぬ」
「……えっ、座禅から?」
「当然です。竹千代殿はすぐに焦る! すぐに怒る! すぐに慌てる! 晴信公と戦う前に、まずは己の心と戦うのです」
――修行編、開幕。
俺は深く息を吸い、雪斎和尚の背に一礼をした。
甲斐の虎との戦いは、まだ遠い。
だが、その影は確かに俺の未来へと迫っていた。
◇◇◇




