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トリーの歌う、愛のうた  作者: らみ
トリーのかなでる愛の調べ
42/49

19 決意と願い


 コッ、コッ、カッ

 コッ、カッ

 コッ、カッ、カッ


 小気味よい音を立て、若者たちが薪を割る。私は早々に音を上げてしまったが、彼らにとっては食後の軽い腹ごなし。丸太は次々薪となって積み上がり、あっという間に山となる。眩しいほどの若さの前にとても出る幕などありはせず、私は2人の邪魔にならぬよう、花芋掘りに取りかかった。

 等間隔で並ぶうねにはカブの葉の濃い緑、縮れ球菜の薄い緑と冬菜の丸く大きな葉が筋となって伸びている。それらの向こう、畑の隅で枯れた薮のように茂っているのが花芋だ。

 滋養があって非常に美味だが、足が早く滅多に食せぬ珍味と言える花芋が、こんなにあるとは驚きだった。高価なものをと恐縮すれば、ここでは皆が普通に食べると若者たちは笑っていた。

 しかし畝の間を辿ってみれば街育ちの私ですら良くわかる。季節に合わせて作物を変え、地力を落とさず育てることがどれほど困難であることか。ここは彼のたゆまぬ努力の結晶なのだ。けれどミカは「特別なことなどしていない。すべて両親から受け継いだだけなのだ」と照れくさそうに笑っていた。


「……ほんに、強い子だ」


 あの子なら大丈夫。すぐに村人との誤解も解けて、皆に笑顔が戻るだろう。そしていずれはアキと共に村を支えてゆくのだろう。

 そんな未来を夢想しながら薮の前で腰を落とし、株の根元をしっかり握ってゆっくり力を込めてゆく。少しずつ膝を伸ばすと地中に伸びた細い根が、ぷちぷち切れる音がした。焦らず慎重に引いてゆくと、やがて根元の土がじわりじわりと盛り上がり、ひびが入って大きくなる。と、ほこっと土がくずれ落ち、茶色の塊が躍り出た。


「なんと……こんなに」


 親芋から伸びた根に、拳大の丸い子芋がいくつも連なりぶら下がる。これまでひとくちずつ大事に味わってきた芋なのに、抜いてみれば1株でこの量だ。私はしばらく声も出せずに見入っていたが、やがて無性に楽しくなった。


「……ほ。これは凄い!」


 きゃう!


 鈴なりの芋を掲げていると、トリーがひらりと目の前に舞い降りた。そして私の周りをぐるりと回って最後に身体をすり寄せて、つぶらな瞳で私を見上げ「きゅるっ」と可愛らしくさえずった。


「おお、トリー。見てご覧、立派な芋だ」


 きゅるるっ


 軽やかに喉が鳴る。トリーがわざわざそばにきて、「すごいね」と褒めてくれたのだ。昨日からどんどん仲良くなった実感があったから、今日こそトリーを抱けるやも。私は舞い上がるほど嬉しくなった。


「ありがとう。ほんに、トリーはいい子だの」


 手を差し出せば、トリーが指先をなめてくれる。そのまま動かず見つめてくるから優しく喉をなでてやると、くるくるくーと喉が鳴って気持ち良さそうに目が細まった。

 これは脈有りとみて芋を置き、ズボンで土をぬぐって両手で顔を包み込む。するとトリーは2度3度と瞬いて、きょとんと小首をかしげてみせた。


 きゃー


 違うよ、と言われた気がして手を離す。するとトリーは地面の臭いを幾度か嗅いで「きゃう」となにかを訴えた。まっすぐ私を見つめる瞳は期待に満ちてきらきら輝き、鼻の穴はひくひくと広がって、トリーはなにかを待っている。

 口の周りをなめたから、もしやこれかと土を払って花芋を差し出すが、トリーは鼻をふんっと鳴らしたきりで見向きもしない。これは違うと慌てて周りを見渡すが、トリーが食べそうなものは見あたらなかった。


「すまんの……わかってやれなくて……」


 せっかく懐きかけてくれたのに、と自分がひどく情けなかった。けれどトリーは再び地面の臭いをすんすん嗅ぐと、私を見上げて教えてくれた。


 きゃう

 チョダイ!


「ちょだい?」


 くるるるーう

 チョダイ、チョダイ、チョーダイ!


「……ちょうだい……頂戴?」


 きゃう!


 そう。ボクにちょうだい。

 じっと私を見つめたまま、トリーがふたたび頭を下げて鼻を地面に近づける。「これだよ」と示すような仕草に見れば、そこには5葉ほどの草があった。芋といっしょに掘り返された、スミレのような雑草だったがトリーの望みはこれだろうか。


「これか……の?」


 きゅーう


 指でつまんで土を払うとトリーの口から涎が落ちた。マタタビのようなものかとそっと口元に差し出すと、トリーは歓喜の声をあげ、ぱくっと草に食いついた。


 ……むっ……

 くふぅ〜ん……


 あぐあぐと口を動かしながら、トリーはその場でごろりと横になる。もはや私のことなどすっかり忘れてしまったようで、悶えながら身体をくねらせ思う存分草を堪能しているようだ。

 ひくひく広がる鼻の穴、ちろりとはみ出る赤い舌、宙を掻く前足に、左右にうねる長い尻尾。ドラゴンなのにまるでマタタビを与えた猫のようで、それがまた愛らしい。


 きゅるる、きゅるるるるーう


 仰向けになって腹を出し、トリーは満足そうな声をだす。そしてくいっと前足を動かしたのに、私は思わず息をのんだ。


 ……くるるるる……


 前足が、また宙を掻く。急かすように尻尾がぱたりと地面を叩き、ちろりと視線が寄越された。私を見つめて潤んだように瞬く瞳。もしや、誘われているのだろうか。


「さ、さわっても……?」


 きゅーう


 心の臓がひときわ大きくどくんと跳ねた。荒ぶる息を必死になって抑えつけ、震える手を近づけた。逃げないようにと祈りながら手をあてがうと、トリーはほんの少し身じろぎする。


 ……きゅー……


 息を止めて見守るなか、トリーがうっとりと目を閉じた。触れることを許されたのだ。理解できたその瞬間、私のすべてがトリーでいっぱいになっていた。彼を満足させたい、頭にあるのはそれだけで、アキの言葉を思い出しつつ喜ぶ場所を必死になって撫でてやる。覚束ない指の動きが恨めしい。けれどしばらくすると、トリーから力が抜けてくるくるると喉が鳴る。私は天にも昇る気持ちになった。

 ひんやりとした水のように滑らかなウロコ、呼吸とともに上下する腹、魅力的な太ももに尻尾、やわやわとした肉球、なにもかもが愛おしい。少しずつ滑らかになった指の動きでトリーを心ゆくまで堪能すると、やがて彼も満足したのか「もういいよ」頭を手にすり寄せた。そこで軽く耳の後ろを掻いてやると「くーう」と小さな息が漏れ、トリーがひょいと起き上がる。


 ──くあ


 あくびをしながら尻を突き出し、トリーはぐいっと伸びをした。肩、腰、翼と順に伸ばすと腰を下ろして身体をなめる。何気ない仕草だったがあまりにも可愛らしくて、畑の中とはわかっていたが私も座って魅入ってしまう。


 きゅるきゅるるっ


 乱れた羽を整え終わるとトリーはぴんと尾を立てて、さえずりながら身体を私にすり寄せた。まるで「ありがとう」と言われたようで、胸の奥がじんわり暖かくなってくる。たまらなく幸せで、嬉しかった。彼の信頼を得られたことが、なによりも誇らしかった。


「おお、おお。こちらこそ、ありが──っ!」


 きゃるっ


 前触れなく、トリーがひょいと地面を蹴った。あっと身を引いたときにはつぶらな瞳が目の前で、彼の重みを胸の上に感じていた。


 きゃるりるりっ

 きゅるきゅるる、きゃー


 トリーは私の肩に手を置くと、鼻を寄せて髭をつんとひっぱった。


「──ほ!」


 ち、ち、と耳元で音がする。目だけを動かしうかがうと、トリーが髭の根元を口の先でくわえていた。まるで鳥がするように、小刻みに口を動かし毛先に向かって梳いている。

 信じられない。

 トリーが毛繕いしてくれている。


「トリー……」


 返事の代わりか「くふん」と息がもれて頬を優しくくすぐった。すると爽やかな香りが広がって、まるで深い森にいるかのようだ。香りの元はトリーの息。私はいま、吐息にすら祝福を得た小さなドラゴンに髭の世話をされている。なんという果報者か。

 そうして胸を震わせる間にも、ち、ち、と髭を引かれてかきわけられて、少しずつ、丁寧に手入れがなされていった。それがあまりにも心地よく、私は深く息を吐き出しゆっくりと目を閉じた。

 まさに至福のひとときだった。幼い頃から切望していた小さなドラゴン。彼に出会えたばかりか触れることを許されて、胸に抱いて毛繕いまで受けている。薄目を開ければ間近にトリーの顔が見え、夢ではないと実感できた。この美しい生き物は、確かにこうして生きている。

 と、胸の内を黒い影が過っていった。影は人を形取り、にやりと笑って消えてゆく。


(──!!)


 奴だ。

 理解したそのとたん、腹の底から冷たくなった。

「ドラゴンの遺産」を求める強欲な商人ども。奴等が彼を狙っている。


(守らなければ)


 強烈な想いが沸き上がる。

 私はあの子の両親を救えなかった。だから今度こそ、彼らを守り抜いてやらなければ。可愛い子らがずっと笑っていられるように、奴等の目を遠ざけなければ。



 ◇  ◇



 坂の途中で耳を澄ますと元気な声が響いてくる。聞いていると楽しくなって自然に身体が動いてしまう、力強く軽快で、そのうえ綺麗なトリーの歌。


「おお、今朝もいい声だ」


 きゃーう!

 ──ぅわんっ


 屋根からまっすぐ飛んできて、ぶつかる直前トリーはふわりと宙に浮く。そして私の胸にすとんと降りて、鼻をちょんとくっつけた。

 初めのうちは幾度か仰け反ってしまったが、今はもう慣れたもの。トリーがぶつかるなどありえない。彼は、虹色の6枚羽を使って空を自在に飛べるのだ。


「おはよう、トリー」


 きゅるるっ


 挨拶をして頭をなでるとトリーは上機嫌で返事をした。そして軽やかに地面に降り立ち駆け出しかけて足を止め、私を見上げて「きゃう」と鳴く。「ついておいで」と呼ばれるまま、私はまっすぐ伸びた尻尾の先を追いかけた。


「あ、きょう……ニコさん、おはようございます!」


 ミカは家の裏の畑にいた。トリーに呼ばれてクワを振るう手を休め、振り返ると帽子をとって頭を下げる。この子は本当に働き者だ。


「精が出るのお。今度はなにを植えるのかの?」

「すぐに寒くなりますから……なにも。これは、暖かくなったら種付けできるように、土を作ってるんです」

「なんと、今から!?」


 驚いた。冬はまだこれからなのに、もう春の準備を始めているのか。畑仕事がいかに大変なことなのか、いまさらながらに思い知る。


「そうか。あの美味い芋は、ミカくんの努力の結晶だったか」

「いえ……みんな、やっていることだから……」


 言いながら、ミカは照れくさそうにうつむいた。けれどこの家で馳走になった芋や野菜はどれもこれも上等で、これまで食べたどんな物より旨かった。そう告げるとミカはますます赤くなって縮こまる。するとトリーが私とミカを交互に見つめ、「仲良くして」と抗議したので私はすぐに降参した。


「ほ。すまんすまん。困らせるつもりはなかったさ。だからどうか、私に豆をむかせておくれ」

「そんな……助かります」

「ありがとう。実はの、夕べから楽しみにしておったのさ」


 おどけてみせればミカがくすりと吹き出した。量が多いからときどき休憩してくださいねと勧められたが、きっと私は夢中になってしまうだろう。なにぶん初めてのことであったし、昨日摘んだ固くて大きなサヤの中からどれだけ豆がとれるのか、ずっと気になっていたのだ。




 柔らかな陽射しを浴びて、納屋の前で胡座をかいた。脇に置いた籠の中からカチカチの黄色いサヤを手に取って、すじに親指を当て握り込む。わくわくしながら力を込めるとサヤが不意にぱくっと割れて、中から大きく赤い豆が躍り出た。


「ほおお。たったこれだけで……」


 昨日、干涸びたツルからもいだときは、サヤはナイフを通さなかった。それがたった一晩置いただけで、あっさり割れるようになっている。本当に不思議なことで、そのうえ割る感触が小気味よいから私はすっかり夢中になった。


 ぱくっ

  ──からん

 ぽくっ

  ──ころん


 コツが掴めるようになってきたか、手が滑らかになってきた。サヤを割って豆を膝に乗せたざるに入れ、空のサヤを背負い籠に放り投げると乾いた軽い音がする。澄んだ音を立てるから、細工すれば鳴子として使えるやも。そんなことを思いついてひとり悦に入っていると、視界の隅から青い輝きが現れた。


 くるくるるっ


「おや、トリー。どうしたね?」


 きゅーう


 なにしてるの?

 トリーが首を伸ばして私の手元を覗き込む。豆むきを見たいのかとサヤを取って割って見せると、トリーは鼻を近づけ臭いを嗅いで、小首を傾げて瞬いた。


 きゅー、きゃ


「うん? これは赤豆と言っての。茹でてほんの少うし塩をふって食べるのさ。ほっくり甘くてそれはそれは美味いのだが……トリーも食べるかの?」


 豆を取って差し出すと、トリーはじっと見つめて確認し、顔をあげて指摘した。


 るるるーう、きゅるきゅる

 チョダイ


 ねえ、これじゃないよ。ボクにあの草、ちょうだい?

 どうやら先日の一件以来、トリーは私にねだれば「草」を貰える、そう覚えてしまったようだった。しかしあの草は1日に1度、2枚までと決まっている。いくら可愛らしく「お願い」されても応じるわけにはいかなかった。


「いまはないよ。あとで、ミカくんが良いと言ったらあげるから、の?」


 くるくるる……


 トリーが不服そうに長い尾をうねらせた。疑わしいといった目つきで頭を少し下げるのに、苦笑いするほかない。そこで私は豆を置き、両手を大きく広げてみせた。


「そんな顔しないでおくれ。ほら、どこにも隠してなどいないだろう?」


 きゅー、くううぅ


 念入りに両手の指の間を確認すると、トリーはやっと納得したのかしょんぼりと身を引いた。そんな姿も可愛らしいと微笑ましく見つめていると、なぜかトリーが私の膝に手をかけた。そこで豆の入った笊を退かすと、彼は「よいしょ」と登って私に背を向け足の間で横になる。


 ……きゃー


 私のほうを振り仰ぎ、胡乱な目つきでトリーはねだる。草がないなら代わりに撫でてと、どうやらそう言いたいらしい。


「……やれやれ、仕方がないの」


 嬉しくてたまらなかったが内心を偽って、しぶしぶ翼を撫でてやる。艶やかな羽の手触りを堪能してから首筋と胸、両前足の間へと移ってゆくと、トリーはあっさり腹を出し、「もっと」と潤んだ瞳で訴えた。

 頬が緩んでたまらない。こんなにも、可愛いトリーが懐いてくれた。なにものにも代え難いこの幸福を、私はひっそり噛み締めた。

 遺言を伝えて許しを得た。

 小さなドラゴンにも会えた。

 そして、2人と仲良くなれた。

 私がここで為すべきことは、終わったのだ。


(ならば、私は……)


 長く留まるわけにはいかなかった。

 ここにいれば、私を追っていずれ商人どもがやってくる。

 彼らの身を危うくするなど許されない。

 だから私は形見の羽を見せつけながら、奴等を引きつれ遠くへ行こう。

 ──けれど。

 あとひとつだけ、叶えたいことがある。

 欲深なことよと呆れてしまうが、これだけが心残りになっている。


「のう、トリー?」


 頃合いを見計らい、喉を優しく撫でてやる。するとトリーは身体を起こして頬を寄せ、顎を私の肩に乗せた。そこで私は片手でトリーを支え、もう片方で耳の後ろをくすぐりながら、想いを込めて囁いた。


「私のことを『じいちゃん』と呼んでくれんかの?」


 くるるる……


 ぴくんと耳が立ち上がり、飾り羽がふわりと扇状に広がった。身を引いて、私を見つめるトリーの頬に手を当てて、再びゆっくり語りかける。


「『じいちゃん』と、そう呼んで欲しいのさ」


 ……きゃー


 つぶらな瞳がくりくり動き、首を傾けトリーはじっと見つめている。前足に力が込められ耳もぴん、と前を向き、一言も洩らすまいとしているようだ。

 私はトリーが動かぬよう、少しだけ両手に力を込めた。トリーの意識が私の後ろに向いていて、いまにも駆け出しそうだったのだ。

 そこにいるのは──


「のう……ミカくん?」


 はっと息をのむ気配がした。ゆっくりと振り向けば、首から上を真っ赤に染めたミカがいる。微笑みかけて、もういいよ、とトリーの腿をぽんと叩くと、トリーはまっすぐミカに駆け寄り身体を登ってしがみつく。


「一度で良い。どうか、私を『じいちゃん』と──」

「だ、だ、だだだ……」


 やはり駄目だろうかと目を伏せたときだった。「ちがっ!」と裏返った声がして、幾度か喘ぐとミカは一息で言い切った。


「だ、だったら僕も! 『ミカ』だけで──っ」


 今度は私が息をのむ番だった。この子も同じように感じてくれた、わかった途端に胸の奥が熱くなり、じわりと身体中に広がった。頬は火照り、頭が甘く痺れて舌が巧く回らない。けれど私はなけなしの勇気を振り絞り、ずっと脳裏で繰り返していたその呼び名を口にする。


「──ミカ。ミカ……ありがとう」

「ぼ、僕こそ……お、お……おじいさん、ありがとう、ございました……」


 ミカは耳の先まで赤くして、トリーを抱きしめ俯いた。私も頭がくらくらするから、きっと湯気が立っている。まるで夢の中にいるようで、彼らが幻ではと不安になった。確かめようと膝に手を当て腰を上げるとミカが私を助けてくれて、トリーも目元と頬をなめてくれた。


 ああ、私はなんと幸せだろう。

 これで心残りはなくなった。

 なんとしても彼らを守ってやらなければ。

 きっと、これが私の使命。

 最後の仕事になるだろう。



 

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