19 決意と願い
コッ、コッ、カッ
コッ、カッ
コッ、カッ、カッ
小気味よい音を立て、若者たちが薪を割る。私は早々に音を上げてしまったが、彼らにとっては食後の軽い腹ごなし。丸太は次々薪となって積み上がり、あっという間に山となる。眩しいほどの若さの前にとても出る幕などありはせず、私は2人の邪魔にならぬよう、花芋掘りに取りかかった。
等間隔で並ぶ畝にはカブの葉の濃い緑、縮れ球菜の薄い緑と冬菜の丸く大きな葉が筋となって伸びている。それらの向こう、畑の隅で枯れた薮のように茂っているのが花芋だ。
滋養があって非常に美味だが、足が早く滅多に食せぬ珍味と言える花芋が、こんなにあるとは驚きだった。高価なものをと恐縮すれば、ここでは皆が普通に食べると若者たちは笑っていた。
しかし畝の間を辿ってみれば街育ちの私ですら良くわかる。季節に合わせて作物を変え、地力を落とさず育てることがどれほど困難であることか。ここは彼のたゆまぬ努力の結晶なのだ。けれどミカは「特別なことなどしていない。すべて両親から受け継いだだけなのだ」と照れくさそうに笑っていた。
「……ほんに、強い子だ」
あの子なら大丈夫。すぐに村人との誤解も解けて、皆に笑顔が戻るだろう。そしていずれはアキと共に村を支えてゆくのだろう。
そんな未来を夢想しながら薮の前で腰を落とし、株の根元をしっかり握ってゆっくり力を込めてゆく。少しずつ膝を伸ばすと地中に伸びた細い根が、ぷちぷち切れる音がした。焦らず慎重に引いてゆくと、やがて根元の土がじわりじわりと盛り上がり、ひびが入って大きくなる。と、ほこっと土がくずれ落ち、茶色の塊が躍り出た。
「なんと……こんなに」
親芋から伸びた根に、拳大の丸い子芋がいくつも連なりぶら下がる。これまでひとくちずつ大事に味わってきた芋なのに、抜いてみれば1株でこの量だ。私はしばらく声も出せずに見入っていたが、やがて無性に楽しくなった。
「……ほ。これは凄い!」
きゃう!
鈴なりの芋を掲げていると、トリーがひらりと目の前に舞い降りた。そして私の周りをぐるりと回って最後に身体をすり寄せて、つぶらな瞳で私を見上げ「きゅるっ」と可愛らしくさえずった。
「おお、トリー。見てご覧、立派な芋だ」
きゅるるっ
軽やかに喉が鳴る。トリーがわざわざそばにきて、「すごいね」と褒めてくれたのだ。昨日からどんどん仲良くなった実感があったから、今日こそトリーを抱けるやも。私は舞い上がるほど嬉しくなった。
「ありがとう。ほんに、トリーはいい子だの」
手を差し出せば、トリーが指先をなめてくれる。そのまま動かず見つめてくるから優しく喉をなでてやると、くるくるくーと喉が鳴って気持ち良さそうに目が細まった。
これは脈有りとみて芋を置き、ズボンで土をぬぐって両手で顔を包み込む。するとトリーは2度3度と瞬いて、きょとんと小首をかしげてみせた。
きゃー
違うよ、と言われた気がして手を離す。するとトリーは地面の臭いを幾度か嗅いで「きゃう」となにかを訴えた。まっすぐ私を見つめる瞳は期待に満ちてきらきら輝き、鼻の穴はひくひくと広がって、トリーはなにかを待っている。
口の周りをなめたから、もしやこれかと土を払って花芋を差し出すが、トリーは鼻をふんっと鳴らしたきりで見向きもしない。これは違うと慌てて周りを見渡すが、トリーが食べそうなものは見あたらなかった。
「すまんの……わかってやれなくて……」
せっかく懐きかけてくれたのに、と自分がひどく情けなかった。けれどトリーは再び地面の臭いをすんすん嗅ぐと、私を見上げて教えてくれた。
きゃう
チョダイ!
「ちょだい?」
くるるるーう
チョダイ、チョダイ、チョーダイ!
「……ちょうだい……頂戴?」
きゃう!
そう。ボクにちょうだい。
じっと私を見つめたまま、トリーがふたたび頭を下げて鼻を地面に近づける。「これだよ」と示すような仕草に見れば、そこには5葉ほどの草があった。芋といっしょに掘り返された、スミレのような雑草だったがトリーの望みはこれだろうか。
「これか……の?」
きゅーう
指でつまんで土を払うとトリーの口から涎が落ちた。マタタビのようなものかとそっと口元に差し出すと、トリーは歓喜の声をあげ、ぱくっと草に食いついた。
……むっ……
くふぅ〜ん……
あぐあぐと口を動かしながら、トリーはその場でごろりと横になる。もはや私のことなどすっかり忘れてしまったようで、悶えながら身体をくねらせ思う存分草を堪能しているようだ。
ひくひく広がる鼻の穴、ちろりとはみ出る赤い舌、宙を掻く前足に、左右にうねる長い尻尾。ドラゴンなのにまるでマタタビを与えた猫のようで、それがまた愛らしい。
きゅるる、きゅるるるるーう
仰向けになって腹を出し、トリーは満足そうな声をだす。そしてくいっと前足を動かしたのに、私は思わず息をのんだ。
……くるるるる……
前足が、また宙を掻く。急かすように尻尾がぱたりと地面を叩き、ちろりと視線が寄越された。私を見つめて潤んだように瞬く瞳。もしや、誘われているのだろうか。
「さ、さわっても……?」
きゅーう
心の臓がひときわ大きくどくんと跳ねた。荒ぶる息を必死になって抑えつけ、震える手を近づけた。逃げないようにと祈りながら手をあてがうと、トリーはほんの少し身じろぎする。
……きゅー……
息を止めて見守るなか、トリーがうっとりと目を閉じた。触れることを許されたのだ。理解できたその瞬間、私のすべてがトリーでいっぱいになっていた。彼を満足させたい、頭にあるのはそれだけで、アキの言葉を思い出しつつ喜ぶ場所を必死になって撫でてやる。覚束ない指の動きが恨めしい。けれどしばらくすると、トリーから力が抜けてくるくるると喉が鳴る。私は天にも昇る気持ちになった。
ひんやりとした水のように滑らかなウロコ、呼吸とともに上下する腹、魅力的な太ももに尻尾、やわやわとした肉球、なにもかもが愛おしい。少しずつ滑らかになった指の動きでトリーを心ゆくまで堪能すると、やがて彼も満足したのか「もういいよ」頭を手にすり寄せた。そこで軽く耳の後ろを掻いてやると「くーう」と小さな息が漏れ、トリーがひょいと起き上がる。
──くあ
あくびをしながら尻を突き出し、トリーはぐいっと伸びをした。肩、腰、翼と順に伸ばすと腰を下ろして身体をなめる。何気ない仕草だったがあまりにも可愛らしくて、畑の中とはわかっていたが私も座って魅入ってしまう。
きゅるきゅるるっ
乱れた羽を整え終わるとトリーはぴんと尾を立てて、さえずりながら身体を私にすり寄せた。まるで「ありがとう」と言われたようで、胸の奥がじんわり暖かくなってくる。たまらなく幸せで、嬉しかった。彼の信頼を得られたことが、なによりも誇らしかった。
「おお、おお。こちらこそ、ありが──っ!」
きゃるっ
前触れなく、トリーがひょいと地面を蹴った。あっと身を引いたときにはつぶらな瞳が目の前で、彼の重みを胸の上に感じていた。
きゃるりるりっ
きゅるきゅるる、きゃー
トリーは私の肩に手を置くと、鼻を寄せて髭をつんとひっぱった。
「──ほ!」
ち、ち、と耳元で音がする。目だけを動かしうかがうと、トリーが髭の根元を口の先でくわえていた。まるで鳥がするように、小刻みに口を動かし毛先に向かって梳いている。
信じられない。
トリーが毛繕いしてくれている。
「トリー……」
返事の代わりか「くふん」と息がもれて頬を優しくくすぐった。すると爽やかな香りが広がって、まるで深い森にいるかのようだ。香りの元はトリーの息。私はいま、吐息にすら祝福を得た小さなドラゴンに髭の世話をされている。なんという果報者か。
そうして胸を震わせる間にも、ち、ち、と髭を引かれてかきわけられて、少しずつ、丁寧に手入れがなされていった。それがあまりにも心地よく、私は深く息を吐き出しゆっくりと目を閉じた。
まさに至福のひとときだった。幼い頃から切望していた小さなドラゴン。彼に出会えたばかりか触れることを許されて、胸に抱いて毛繕いまで受けている。薄目を開ければ間近にトリーの顔が見え、夢ではないと実感できた。この美しい生き物は、確かにこうして生きている。
と、胸の内を黒い影が過っていった。影は人を形取り、にやりと笑って消えてゆく。
(──!!)
奴だ。
理解したそのとたん、腹の底から冷たくなった。
「ドラゴンの遺産」を求める強欲な商人ども。奴等が彼を狙っている。
(守らなければ)
強烈な想いが沸き上がる。
私はあの子の両親を救えなかった。だから今度こそ、彼らを守り抜いてやらなければ。可愛い子らがずっと笑っていられるように、奴等の目を遠ざけなければ。
◇ ◇
坂の途中で耳を澄ますと元気な声が響いてくる。聞いていると楽しくなって自然に身体が動いてしまう、力強く軽快で、そのうえ綺麗なトリーの歌。
「おお、今朝もいい声だ」
きゃーう!
──ぅわんっ
屋根からまっすぐ飛んできて、ぶつかる直前トリーはふわりと宙に浮く。そして私の胸にすとんと降りて、鼻をちょんとくっつけた。
初めのうちは幾度か仰け反ってしまったが、今はもう慣れたもの。トリーがぶつかるなどありえない。彼は、虹色の6枚羽を使って空を自在に飛べるのだ。
「おはよう、トリー」
きゅるるっ
挨拶をして頭をなでるとトリーは上機嫌で返事をした。そして軽やかに地面に降り立ち駆け出しかけて足を止め、私を見上げて「きゃう」と鳴く。「ついておいで」と呼ばれるまま、私はまっすぐ伸びた尻尾の先を追いかけた。
「あ、きょう……ニコさん、おはようございます!」
ミカは家の裏の畑にいた。トリーに呼ばれてクワを振るう手を休め、振り返ると帽子をとって頭を下げる。この子は本当に働き者だ。
「精が出るのお。今度はなにを植えるのかの?」
「すぐに寒くなりますから……なにも。これは、暖かくなったら種付けできるように、土を作ってるんです」
「なんと、今から!?」
驚いた。冬はまだこれからなのに、もう春の準備を始めているのか。畑仕事がいかに大変なことなのか、いまさらながらに思い知る。
「そうか。あの美味い芋は、ミカくんの努力の結晶だったか」
「いえ……みんな、やっていることだから……」
言いながら、ミカは照れくさそうにうつむいた。けれどこの家で馳走になった芋や野菜はどれもこれも上等で、これまで食べたどんな物より旨かった。そう告げるとミカはますます赤くなって縮こまる。するとトリーが私とミカを交互に見つめ、「仲良くして」と抗議したので私はすぐに降参した。
「ほ。すまんすまん。困らせるつもりはなかったさ。だからどうか、私に豆をむかせておくれ」
「そんな……助かります」
「ありがとう。実はの、夕べから楽しみにしておったのさ」
おどけてみせればミカがくすりと吹き出した。量が多いからときどき休憩してくださいねと勧められたが、きっと私は夢中になってしまうだろう。なにぶん初めてのことであったし、昨日摘んだ固くて大きなサヤの中からどれだけ豆がとれるのか、ずっと気になっていたのだ。
柔らかな陽射しを浴びて、納屋の前で胡座をかいた。脇に置いた籠の中からカチカチの黄色いサヤを手に取って、筋に親指を当て握り込む。わくわくしながら力を込めるとサヤが不意にぱくっと割れて、中から大きく赤い豆が躍り出た。
「ほおお。たったこれだけで……」
昨日、干涸びたツルからもいだときは、サヤはナイフを通さなかった。それがたった一晩置いただけで、あっさり割れるようになっている。本当に不思議なことで、そのうえ割る感触が小気味よいから私はすっかり夢中になった。
ぱくっ
──からん
ぽくっ
──ころん
コツが掴めるようになってきたか、手が滑らかになってきた。サヤを割って豆を膝に乗せた笊に入れ、空のサヤを背負い籠に放り投げると乾いた軽い音がする。澄んだ音を立てるから、細工すれば鳴子として使えるやも。そんなことを思いついてひとり悦に入っていると、視界の隅から青い輝きが現れた。
くるくるるっ
「おや、トリー。どうしたね?」
きゅーう
なにしてるの?
トリーが首を伸ばして私の手元を覗き込む。豆むきを見たいのかとサヤを取って割って見せると、トリーは鼻を近づけ臭いを嗅いで、小首を傾げて瞬いた。
きゅー、きゃ
「うん? これは赤豆と言っての。茹でてほんの少うし塩をふって食べるのさ。ほっくり甘くてそれはそれは美味いのだが……トリーも食べるかの?」
豆を取って差し出すと、トリーはじっと見つめて確認し、顔をあげて指摘した。
るるるーう、きゅるきゅる
チョダイ
ねえ、これじゃないよ。ボクにあの草、ちょうだい?
どうやら先日の一件以来、トリーは私にねだれば「草」を貰える、そう覚えてしまったようだった。しかしあの草は1日に1度、2枚までと決まっている。いくら可愛らしく「お願い」されても応じるわけにはいかなかった。
「いまはないよ。あとで、ミカくんが良いと言ったらあげるから、の?」
くるくるる……
トリーが不服そうに長い尾をうねらせた。疑わしいといった目つきで頭を少し下げるのに、苦笑いするほかない。そこで私は豆を置き、両手を大きく広げてみせた。
「そんな顔しないでおくれ。ほら、どこにも隠してなどいないだろう?」
きゅー、くううぅ
念入りに両手の指の間を確認すると、トリーはやっと納得したのかしょんぼりと身を引いた。そんな姿も可愛らしいと微笑ましく見つめていると、なぜかトリーが私の膝に手をかけた。そこで豆の入った笊を退かすと、彼は「よいしょ」と登って私に背を向け足の間で横になる。
……きゃー
私のほうを振り仰ぎ、胡乱な目つきでトリーはねだる。草がないなら代わりに撫でてと、どうやらそう言いたいらしい。
「……やれやれ、仕方がないの」
嬉しくてたまらなかったが内心を偽って、しぶしぶ翼を撫でてやる。艶やかな羽の手触りを堪能してから首筋と胸、両前足の間へと移ってゆくと、トリーはあっさり腹を出し、「もっと」と潤んだ瞳で訴えた。
頬が緩んでたまらない。こんなにも、可愛いトリーが懐いてくれた。なにものにも代え難いこの幸福を、私はひっそり噛み締めた。
遺言を伝えて許しを得た。
小さなドラゴンにも会えた。
そして、2人と仲良くなれた。
私がここで為すべきことは、終わったのだ。
(ならば、私は……)
長く留まるわけにはいかなかった。
ここにいれば、私を追っていずれ商人どもがやってくる。
彼らの身を危うくするなど許されない。
だから私は形見の羽を見せつけながら、奴等を引きつれ遠くへ行こう。
──けれど。
あとひとつだけ、叶えたいことがある。
欲深なことよと呆れてしまうが、これだけが心残りになっている。
「のう、トリー?」
頃合いを見計らい、喉を優しく撫でてやる。するとトリーは身体を起こして頬を寄せ、顎を私の肩に乗せた。そこで私は片手でトリーを支え、もう片方で耳の後ろをくすぐりながら、想いを込めて囁いた。
「私のことを『じいちゃん』と呼んでくれんかの?」
くるるる……
ぴくんと耳が立ち上がり、飾り羽がふわりと扇状に広がった。身を引いて、私を見つめるトリーの頬に手を当てて、再びゆっくり語りかける。
「『じいちゃん』と、そう呼んで欲しいのさ」
……きゃー
つぶらな瞳がくりくり動き、首を傾けトリーはじっと見つめている。前足に力が込められ耳もぴん、と前を向き、一言も洩らすまいとしているようだ。
私はトリーが動かぬよう、少しだけ両手に力を込めた。トリーの意識が私の後ろに向いていて、いまにも駆け出しそうだったのだ。
そこにいるのは──
「のう……ミカくん?」
はっと息をのむ気配がした。ゆっくりと振り向けば、首から上を真っ赤に染めたミカがいる。微笑みかけて、もういいよ、とトリーの腿をぽんと叩くと、トリーはまっすぐミカに駆け寄り身体を登ってしがみつく。
「一度で良い。どうか、私を『じいちゃん』と──」
「だ、だ、だだだ……」
やはり駄目だろうかと目を伏せたときだった。「ちがっ!」と裏返った声がして、幾度か喘ぐとミカは一息で言い切った。
「だ、だったら僕も! 『ミカ』だけで──っ」
今度は私が息をのむ番だった。この子も同じように感じてくれた、わかった途端に胸の奥が熱くなり、じわりと身体中に広がった。頬は火照り、頭が甘く痺れて舌が巧く回らない。けれど私はなけなしの勇気を振り絞り、ずっと脳裏で繰り返していたその呼び名を口にする。
「──ミカ。ミカ……ありがとう」
「ぼ、僕こそ……お、お……おじいさん、ありがとう、ございました……」
ミカは耳の先まで赤くして、トリーを抱きしめ俯いた。私も頭がくらくらするから、きっと湯気が立っている。まるで夢の中にいるようで、彼らが幻ではと不安になった。確かめようと膝に手を当て腰を上げるとミカが私を助けてくれて、トリーも目元と頬をなめてくれた。
ああ、私はなんと幸せだろう。
これで心残りはなくなった。
なんとしても彼らを守ってやらなければ。
きっと、これが私の使命。
最後の仕事になるだろう。




