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トリーの歌う、愛のうた  作者: らみ
トリーのかなでる愛の調べ
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18 夢の続きと伝える言葉

 

 夢のような一夜が去って、新たな朝がやってきた。

 森の中の小さな坂、登った先の三角屋根、そこで暮らす彼とあの子。あれは本当の出来事なのかと未だ確信の持てぬまま、私はいま、昨夜の小径こみちにたったひとりで挑んでいる。

 すべてが勝手な思い込みではなかろうか。

 そんな不安に押されるように薬草畑の間を通り、薮の手前で立ち止まる。息を止め、覚悟を決めて、いざ、と足を踏み出したそのときだ。視線を感じて振り向けば、窓に張りつくアキがいた。無念そうな顔をして、それでもぺこりと頭を下げてくるのに、心配するなと片手を挙げて合図を送る。アキは祖母との約束──薬草の勉強をすっかり忘れてしまったため、今日は外出を許されず、家でひたすら勉強なのだ。

 彼を残してひとりで行くのは申し訳ない気もするが、アキのおかげで私の懸念はなくなった。

 彼の「友人」が幻などと、そんなことがあるはずない。

 いったいなにを怖れていたかと自嘲しながら私はまた前を向く。そして注意深く記憶を辿ると、そこにあるのは樹々の間に埋もれるような細い坂。

 夢ではない。ここは確かに通った道だ。ならばやはり夕べの「彼ら」は現実に生きていて、坂を上ればまた会える。そう思ったら居ても立ってもいられなかった。気が急くあまりつい足を早めたら、枯れ葉に滑って私は危うく転びかけた。


「……いかんの」


 怪我などすれば、良い年をしてとあの子も呆れてしまうだろう。私も無様な姿は見せたくない。だから逸る気持ちを抑えようと、深く息を吸って吐き出した。


「おお……」


 白い息がまばゆい陽の光を浴びて、輝きながら消えてゆく。ゆっくり足を進めれば、焦るな大丈夫だと励ますように枯れ葉が足を受け止める。かさ、かさ、と囁く音に耳を澄ませば空気が震えて小さな影が目の前を横切った。影を追って見上げれば、葉を落とした枝の間で小鳥が数羽遊んでいる。澄みわたった蒼い空に響き渡る鳥の声の、なんと清々しいことか。


 ──つぴつぴつぴ!

 つぴつぴ!

 つーぴーつーぴーつーつーぴー

 ネギネギネギデス、ネギネギデス!


「……ほ?」


 初めて聞く鳴き声だ。

 なんという鳥だろうと音を頼りに歩いてゆくと、視界が開けて尖った屋根が見えてきた。すると屋根の上から空の一部が切り取られ、輝きながら降りて来る。


 きゃーう、きゃーう!


 伸びやかに鳴きながら、くるり、くるりと旋回するのは彼──トリーだ。広げられた青い翼、流線型を描く胴に長い尻尾。身体はウロコに覆われて、けれど頭と翼に綺麗な羽が生えている。幼いころからずっと会いたかったドラゴンは、想像以上に可愛らしくて美しい。

 ぼうっと彼に見惚れていると、彼はふわりと蜜柑のそばに舞い降りた。そしてとことこ歩いてくると、私を見上げて小首をかしげ、ぱちくりと瞬いた。


 ……きゃ


「おお、おお、そうだったの。──おはよう、トリー」


 よいしょ、と腰を屈めて手のひらを差し出すと、トリーが近づき私の臭いを嗅ぎだした。

 鼻息がこそばゆい。指に触れるウロコがまた滑らかで、抱きしめたいと手がうずく。もっと彼と仲良くなりたい。膝に乗せて翼を撫でて、耳の後ろをくすぐりたい。

 そんな衝動に駆られたが、まだ私たちは出会ったばかり。無理強いすれば、きっと彼に嫌われる。だから私は必死になって自制した。けれどよこしまな想いを感じ取ったか、彼はぴくりと耳を立て、はっと顔をあげると身を翻してあっという間に山に向かって駆け出した。


「ああ、行ってしまっ──」


 ──ッケーー!


 た、と続けるその直前、羽音とともに白い塊が落ちてきた。「それ」はどすっと音を立てて着地して、その場で羽ばたき胸を張る。赤いトサカも雄々しい彼は、コッコちゃんという名の鶏だ。


「あーっ! なんで外に!?」


 泡を食って動けずいると、家の裏からミカが駆けつけ鶏を小屋へと追い立てる。しかしコッコちゃんはひらりひらりと身をかわし、さらには奥から残りのメスまで頭を振り振りやってきた。嘲るようなコッコちゃんの雄叫びと、我が物顔で歩き回る雌鶏たちに私もミカも大わらわ。庭中走り回って捕まえたのに、小屋の扉が壊れていたからあっという間にまた逃げられて、苦労がすっかり水の泡。肩をすくめて顔を見合わせ、まずは修理に取りかかろうと腕をまくって倒れた扉を立てかける。

 楽しかった夢の続き、2日目の朝はこんなふうに賑々しく始まった。



 ◇  ◇



「……やはり、中から開けたのだろうて」

「ほんとう、ですか?」

「おお。ほら、ここを見てごらん。内から外に向かって折れておる。鍵もしっかりしているし、きっとコッコちゃんが蹴ったのだろ」


 鶏小屋は、格子部分が折れて扉が枠ごと外れていた。夕べ応急処置はしたものの、あの雄鶏の蹴りにあっては緩んだ蝶番などひとたまりもなかったようだ。


「……トリーが、壊したんじゃ……」

「さて。少なくとも外からこじ開けた形跡は見当たらないの」


 もしトリーが扉を外そうとしたのなら、枠に手をかけ強い力で引っ張るか、蝶番を齧って壊すしかないだろう。けれど扉は格子部分が折れた以外はそっくりしていて、止め直せばすぐにでも使えそうだ。


「じゃあ、トリーは──……」


 強ばったミカの肩から力が抜けて、安堵の息がこぼれ落ちた。心底嬉しそうによかったこれでと微笑む姿に、どうしたのかと理由を聞けば、ミカははにかみながらも口を開く。

 ドラゴンと鶏、彼らは互いに狩るものと狩られるもの、相容れない存在だ。常なら一緒に暮らすことなど不可能だろうが、奇蹟のように彼らはうまくやってきた。ところが昨日、ついにトリーがコッコちゃんを襲ってしまった。トリーは家族、鶏たちにも思い出があり、どちらも傷ついて欲しくない。だからもう一緒には暮らせないと覚悟したが、ミカには一方を選ぶことなどできなかった。


「僕、どうしたらいいかわからなくて……でも、これで安心しました」

「そうさの。ひょっとしたら、トリーのほうこそ襲われたのやもしれん」

「ふふっ、そうかも。コッコちゃんは怒ると怖いし、トリーは前にも意地悪して、僕に叱られたんですよ? なのにちっとも言うこと聞かないんだから……」


 そう言うミカの声が弾んでいる。誤解が晴れて早くトリーに会いたいのだろう。小屋を補強し扉を直し、鶏たちを小屋に入れてと作業が一通り終わるころには、すっかり落ち着きをなくしていた。心ここにあらずといった様子に「行っておあげ」と促すと、ミカはぱっと顔を輝かせ、「失礼します!」と頭を下げて畑に向かって飛び出した。


「トリー! トリー!!」


 ──きゃーう!


 ミカが口に手を当て名前を呼ぶと、すぐに山からいらえがあった。トリーは青い矢となり一直線に飛んできて、ミカにぶつかるその直前、ふわりと浮いて腕の中にすとんと降りる。

 危ない、と叫びかけ、私はすんでのところで飲み込んだ。一瞬現れ翼の奥に隠された、光り輝く虹色の羽。話には聞いていた。だが実際この目で見るとトリーの動きはあまりにも不可思議で、私は言葉も出せずにぼうっと見惚れるだけだった。しかし彼らにとってはごく当たり前のことなのだろう。トリーは鼻を鳴らしてミカに甘え、ミカは畑の柵の丸太の上にトリーを座らせ膝をついて、勢いつけて大きく頭を下げていた。


「ごめんなさい! 僕、トリーがコッコちゃんを襲ったって、誤解してた」


 きゃう

 きゅーう、きゅーうぅ

 ゴメチャイ、チャイ

 きゅーん


「違うよ、謝らなくていいんだよ。僕が悪かったんだ」


 きゃうぅ、きゅーう


「……うん、うん。ごめんね、トリー」


 きゅんきゅんきゅん……


 もういいの。気にしないで。

 そっとミカの膝に乗り、トリーは労るように身体を寄せた。ミカもトリーをしっかりと抱きしめて、囁きながら翼を優しく撫でている。

 ミカの姿は衝撃だった。けれどすぐに考え直した。なにを驚くことがある。相手が誰であろうと間違ったなら謝罪する、当たり前のことではないか。それがどうだ、私はずるずる時を重ねるばかりでなにもしてこなかった。おかげで彼は時間の檻に捕われて、一歩を踏み出せないでいる。

 早く彼に謝罪せねば。そして「あの言葉」を伝えねば。

 彼を自由な空に解き放つ、それが私の使命なのだ。


 きゅーう、きゅーん

 ダイスキトリー、カワイイトリー

 くるるるーう

 きゅんきゅんきゅん


「……うん、大好きだよ。トリーは本当にいい子だね」


 私は使命を果たしたかった。

 けれど──

 2人は丸太の根元に座りこみ、頬を合わせて絆を確かめ合っている。睦まじい姿に胸がじわりと熱くなったが同時に背中も痒くなる。決心はしたものの、2人の世界は強固過ぎてとても間に入れない。


 きゅうきゅうきゅう


「んー?」


 きゃう

 ぎゃーるるっ

 けろけー!


「──!!」

「ミカくん!?」


 トリーが口づけ同時にミカが倒れ込む。私は慌てて駆けつけたが、トリーはぐったりとしたミカに跨がって、歓喜の雄叫びをあげていた。


(これが例の…………)


 朝から刺激が多すぎる。なかでも「これ」はピカイチで、きっと私はこの日を生涯忘れることはないだろう。



 ◇  ◇



 白い湯気を顎に当て、ミカがほっと息を吐く。そのままミカは両手で包んだ湯飲みを傾けひとくち香茶を含んだが、すぐに顔をしかめて舌を出した。


「どうかね?」

「うーー、まだ口の中が痺れてます……」


 きゅーう、きゅんきゅん


 トリーがミカの背中側から首を伸ばして頬をしきりにすり寄せる。それを優しく撫でながら、ミカは小さく頭を下げた。


「すみません。助けてくださって、ありがとうございました」

「ほ。礼にはおよばんよ」


 くるるるるーう


「怒ってない。でもトリー、あれ、もう止めて欲しいんだけど」


 きゃあーう、るるっ


「無理だって。ぜーったい、慣れないから」


 きゅるきゅる、きゅるっ


 2人のやり取りが可愛らしくて、ついくすりと吹いてしまう。するとトリーはつぶらな瞳を瞬かせ、「なあに?」と小首をかしげて耳をふるりと動かした。


「トリーがミカくんをどれだけ好きか、よーくわかったということさ、の」

「うん。僕、もう油断しないからね」


 ぐるるる、ぎゃ


 ボクだって負けないもん。

 身体を滑らせトリーはミカの膝に乗る。そして胸に手をかけ首を伸ばすとミカの口をぺろりとなめた。ミカが笑いながらトリーの身体をなで回すと、トリーもときおり声をあげ、全身でミカの両手にじゃれだした。

 幸せそうな2人の姿は私の心を軽くする。けれどこの子がこうして笑えるようになるまでに、どれほど辛い想いをしただろう。突然両親を奪われて、たった一人でどんなに苦労しただろう。それを想うと胸の奥がじりじり焼けつくように痛みだし、居ても立ってもいられなかった。


「……すまなんだ」

「……教主さま?」

「もっと早く……来るべきだった」


 さっとミカの顔が強ばった。きゅっとトリーを抱きしめて、背中を丸めて顔を伏せる。トリーもなにかを察したか、鼻を鳴らしてそっとミカに寄り添った。

 きっと彼の傷はじゅうぶんに癒えていない。それを抉るような真似をしたくはないが、私はどうしても伝えなければならなかった。


「許されようはずもない。憎まれるのも当然じゃろ。だが、私は──」

「違う!」


 叫び、ミカは弾かれたように顔をあげた。きっと唇を引き結び、強い光を瞳に宿して正面から私の目を見つめていた。拳を白くなるほど握りしめ、声はわずかに震えていたが、ミカはしっかりと断言した。


「教主さまは、悪くない」

「ミカ……」

「……だって教主さまは、父さんと母さんを、助けようとしてくれた!」

「しかし……」

「僕、ちゃんと知ってます」


 顎を引き、ミカは言葉をぐっと飲み込んだ。激情を抑えるためか強く目を閉じ歯を食いしばり、戦慄きながらも息を吸うと、瞳を潤ませぎこちなく微笑んだ。


「は、流行病だったからっ……仕方、ないんです」

「……ミカ、くん……」

「父さんと、母さんは……っ。う、運が、悪かっ──」


 彼の頬を涙が一筋伝って落ちた。そのときにはもう、身体が勝手に動いていた。どこか遠くで椅子が派手に倒れたが、それを気にする余裕はない。

 私は両手を伸ばして彼をきつく抱きしめた。

 たまたま両親が街にいた。たったそれだけでこの子はすべてを失った。挙げ句なにもかもを火に燃やされて、形見すら返せなかった私のことを、この子は許してくれるのか。かけがえのないものを失って、やり場のない哀しみを、怒りをぶつけて傷が癒えてくれればと、私はそれを願っていた。それを、この子は──


「……辛かった、の。寂しかったの……」

「ぼっ、僕、は……!」

「よう、ひとりで頑張ったの……!」

「この家、は……とう、さんの。形見、だから……っ」


 形見──私はやっと得心した。

 ここはすべて、両親が一から拓いて作った場所。だから家と畑を守ることで、彼らの生きた証を残そうとした。山深く不便なこの地から出て自由に生きろ──村人たちの心遣いはかえってこの子を傷つけていた。

 優しさゆえのすれ違い。けれどこれを、いったい誰が責められよう。


「ほんに……聞いた通りだ」

「……え……?」

「優しくて、自慢の息子」


 しゃくりながらミカが不思議そうに瞬いた。その目も鼻も、赤く腫れて涙ですっかりぐしゃぐしゃだ。私の視界も滲んでいるから、きっと似たようなものだろう。

 だからせめて怖がらせぬよう、精一杯微笑みながら、私は静かに彼に告げた。


「──ミカ、愛してる」

「…………? ま……さ、か」

「そう……父うえ、母うえからの言づてさね」


 瞳がゆるりと見開かれ、あっという間にくしゃりと歪む。大粒の涙が溢れ出し、彼は声をあげて泣きだした。ずっとひとりで耐えていた、彼の中でなにかが流れた音だった。

 私は静かに彼の背中を撫でていた。「形」としては残せなかった彼らの「想い」を、やっと伝えることが出来たのだ。嬉しかった。同時になぜだか寂しかった。相反する感情のまま涙が頬を伝っていたが、不意になにかにぬぐわれた。


(……トリー)


 大丈夫だよ、ボクがいるよ。

 まるでそう言うように、トリーは私とミカのあふれる涙をなめていた。頬に触れる暖かい舌。そこから労りと優しさが伝わって、じわりと身体の中に染み入った。見ればミカも幸せそうに笑っていた。涙はまだ止まらなかったが、私以上にトリーの気持ちがわかるのだろう。「ありがとう」と、口の動きで告げていた。


「トリー……ありがとう」


 きゅーん……


 トリーが私たちを救ってくれた。

 そんな気がしてならなかった。




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