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トリーの歌う、愛のうた  作者: らみ
新しい家族
20/49

 〜 言葉にならない小さな声・前編

 


 ここのところすっきりとした晴天が続いたせいか、畑は一気に緑の濃さを増していた。

 今年は青豆が豊作だ。芋も玉葱もとても順調に育っているし、あとは病気にならないように気をつければ秋にはきっと食べきれないほど収穫できる。そしたらトリーが獲った兎の毛皮と一緒に売って、古くなった小刀を新調しようか。そして冬のあいだに木彫りのトリーを作ってみよう。だってそれならトリーがずっと目の前でしゃべっていても、気にならないかもしれないから。


 未熟な青豆をぷちりと毟って腰の籠に放り込む。たくさん採っても食べきれないから、今日はこのぐらいでいいだろう。


「ちょっと作りすぎちゃったかな?」


 青豆は次から次へと花をつけ、実もどんどん大きくなる。青いうちは鞘ごと食べても美味しいし、実が熟して固くなったら乾かして、保存用にとっておく。いくらあっても困るものじゃないけれど、これだけあると流石にひとりで食べるには多すぎる。


「トリーも食べられればなあ」


 僕は肉がなくても生きていける。でも、トリーは肉しか食べないから。

 だから雉や兎、魚はトリーが優先だ。もっともトリーは優秀な狩人だから自分で食べる以上に獲ってきて、僕にお裾分けまでしてくれる。おかげで食料庫にはいつでも肉がいっぱいだ。けれど天気が荒れればトリーも獲物の動物たちも、隠れて外に出てこない。だからそんな日には保存してある肉を食べることになる。肉は食料庫のさらに奥、半地下のいちばん涼しい場所に置いてあるけれど、これから暑くなったら生で置いておくには難しくなるだろう。

 もしものときのために、トリーにも戻した干し肉を食べられるようになって欲しい。

 そう思ってなんどか試してみたけれど、トリーは口をつけようとはしなかった。お皿を口元に持っていっても、「これはイヤ」ってぷいっと横を向いてしまう。


(あのときはホント、どうしようかと夜も眠れなかったのに)


 万一のために兎を飼おうかとそんなことまで考えた。でもそんなことをしなくても、大丈夫そうだと気がついたのはつい最近のことだった。


 きゃう


 畑の見回りをしていたトリーがそばに来て、僕を見上げてひとこえ鳴いた。「いいよ」と返すとうねの近くをふんふん嗅いで、前足で地面を軽く掘り返す。そして出てきた地虫をぱくりと食べて、トリーはまた見回りに戻っていった。


「……やっぱり好きなのかな」


 ときどきトリーはこうして地虫を食べている。ヒナのころに毎日たくさん食べから、懐かしい味だと思っているのかもしれない。それに畑仕事をしながらトリーの様子を見ていると、カエルやネズミ、ときには土竜まで獲って食べていた。これから夏になれば蝉がたくさん出てくるし、これもきっと喜んで食べるだろう。

 雉や兎、川魚のほかにも山にはトリーの食べ物がたくさんあった。僕が心配しなくても、トリーが困ることはなかったんだ。


 いまもほら、トリーはなにか見つけたようだ。

 青く茂った葉の間で長い尻尾をピンと立て、頭を低くしたままそろりそろりと前進している。やがて獲物に近づいたのか、トリーはぴたりと動きを止めた。僕も邪魔にならない位置まで近づいて、息を潜めてトリーの狩りを見守ることにした。

 この位置からではトリーがなにを狙っているのかわからない。でも畑にいる動物だから、ネズミか土竜といったところだろう。

 狩りをするとき、トリーはとても真剣だ。目の前を小さな虫がよぎっても、風に揺れた葉に鼻をくすぐられてもぴくりとも動かない。それに顔もきりっと引き締まって、いつもより格段に格好よい。

 やるときはやる、僕はそんなトリーが大好きだった。そしてなにより嬉しいのは、僕が畑仕事をしているあいだ、こうしてトリーもいっしょに害獣から畑を守ってくれていることだった。

 僕とトリーはお互い言葉を交わせないけれど、ちゃんと心が通じてる、そんな気がして誇らしかった。


 どれだけじっとしていただろう。やがてトリーは右前足を、そっと獲物に向かって伸ばしていった。

 わずかに振り上げ、一撃。

 瞬間、トリーはぱっと横に飛び、左前足から強打を出した。次いで腰を落としてまた一撃。

 小刻みに左右に動きながら、トリーは何度も前足を繰り出している。ふっふっという鼻息が、僕の耳にも届いてきた。

 でも変だ。

 いつもなら、とっくに噛みついてとどめを刺している。なのにいまのトリーは腰が引け、まるで獲物に近づくのを怖がっているようだ。


「トリー?」


 くわを手に取りゆっくりそばに近づくと、トリーはぶわりと羽を逆立てた。


 じゃー! じゃー!


 頭を低く、尻を高く持ち上げ翼を広げてトリーは獲物を威嚇する。

 あそこになにか危険なものがいるんだ。だからトリーは逃げろって僕にそう言っている。だけどそんなことできるもんか。大切な家族を守るのは僕の役目なんだから。


「トリー、どいて!」


 僕は両手に鍬を握りしめ、トリーのそばに駆け寄った。すぐにトリーが僕の身体を駆け上り、肩に乗って威嚇する。トリーの視線の先を追い、僕も注意深く見つめるけれどそこに生き物の姿は見当たらない。

 逃げたのか。

 けれどトリーはまだ「そこ」を見つめてしきりにじゃーじゃー騒いでいる。

 油断はせずに鍬を構えて腰を落とし、僕は慎重に近づいた。するとトリーはますます興奮したようで、前足にぐいと力を込めて僕の肩を握りしめた。爪が肩に食い込んだけど、そんなの気にしていられない。


「──どこ?」


 ぎゃぎゃぎゃっ!

 じゃー!


 トリーが首を伸ばして牙を剥く。

 その場所をよく見ると、なにかがぴこぴこ動いていた。


「……これ?」


 じゃー! じゃー! じゃー!


 ミミズのように細長い「それ」を鍬の先で転がすと、「それ」は最後にびびっと痙攣して動きをとめた。

 するとトリーが僕の肩から飛び降りて、また前足で「それ」を力一杯何度も叩く。そして完全に動かなくなったことを確認すると、トリーは誇らしげに「きゃう」と鳴いた。


「とっ、トリー。それ……っ!」


 くたりと動かなくなった、くすんだ茶色の細長い「それ」。トリーの尻尾をそのまま小さくしたような、それは。


「と、トカゲ! トカゲの尻尾だよ! ──くくっ」


 切れたトカゲの尻尾でこんなに大騒ぎするなんて。

 ぴょこぴょこ跳ねるトカゲの尻尾を必死になって退治しようとした、そんなトリーがあまりにも可愛くて、僕は笑いをこらえることができなかった。


 きゅう……


 畝の間でうずくまり、息も絶え絶えに笑い転げる僕の姿をトリーがじっと見つめている。どうして笑ってるのというように、わずかに首を傾けて、口元からちょっぴりはみ出た舌がまた可愛い。

 腹がよじれて苦しくて、ひいひい言ってる僕が当分動けないと思ったのか、トリーはくるりと踵を返すととことこ家のほうに歩いていった。

 新しい獲物を捜しに川のほうに行ったんだ。

 そのとき僕はそんなふうに思っていた。もう少しで畑の手入れが終わるから、そうしたら一緒に釣りをしようって、暢気にそんなことを考えていた。

 だから、そのときトリーがどんな気持ちだったのか、僕はぜんぜん気にしていなかった。

 トリーは言葉を喋れないのに。

 青くて長いトリーの尻尾が力なく垂れていたことを、耳の後ろの飾り羽がしょんぼりとしぼんでいたその意味を、僕はちゃんと汲み取ってあげなければならなかったんだ。



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