第3話 カラオケにて
面倒な事になった。
それはカラオケに来た事に対しても言えるし、予定通りに家に帰れなかったことに対しても言える。カラオケに来た事に対する面倒事はこの際いいとして、問題は家の方だ。
我が家は専業主婦が現役の、世にも珍しい家庭である。我が家の女王は基本的に予定や決めたことが変わることを好まない。
突然息子が遊んで帰ると言えば、彼女の中での計画が崩れる。それは夕食の支度から始まり、明日の買い物や日々の習い事など、大きな変化から小さな変化まで様々である。
機嫌が良ければ軽く小言を言われるだけで済むし、そうでなければ烈火の如くヒスり散らかす。あることで心の調子を崩して学校を休みたいと言った時に、汚いものを見るような目で「許されるわけないでしょ?」と言われたのをよく覚えている。
中学の中頃まで「スマホは危ないから」という理由でスマホを持たなかったため、連絡手段を持たないが故に、あらゆることに恐怖していた。門限から少し遅れれば罰金という制度で金を払わされていたので、少しの遅れで罰金になると気が気では無かった。
中学2年の冬になり、塾に通う事になって初めて自分のスマホを持った。これにより多少条件が緩和されたものの、体に染みついた恐怖はなかなか抜けるものでは無かった。
そんな訳だから女王の機嫌を損ねるのは、僕にとって死刑宣告と同じような意味を持つ。暴君度合いのピークは過ぎたように感じるが、それにしても恐怖は残り続ける。爆速で敬語の連絡を入れたが、胸がキリキリと痛む。
「ほぉら、きぃみにとって、大切な人ほどすぐ隣にいるのー」
カラオケでは、大きな部屋で押原の友人、だいちと呼ばれていた彼がフィリピン7000の曲を歌っている。それ以外にも皆が皆、流行りのラブソングだとか有名な明るい曲を歌っている。時折マツコからマイクを向けられるが、この場で歌う気分にはなれなかった。
それは家の事を考えて憂鬱になっているのもあるし、この場の空気に合わないと言うのもあった。
僕が聴く音楽は、この場とは対極の「生きていてごめんなさい」「私は死ぬと決めたから、全部壊してしまおう」「投げられた石の数は大人になっても忘れない」と言った歌詞の暗い曲ばかりだ。
こうした暗い曲を聞くと、心の奥がじくりと痛み、その痛みが懐かしさを感じさせるのだ。この痛みを歌うのは僕ではない誰かで、僕ではない誰かもこの痛みを感じて生きていると思わせてくれる。その痛みはなぜだか気持ちがいい。
やはりここは自分の居場所ではないと思いながら、皆の下手とも上手とも言えない歌を聞いていた。
歌は歌わないが、それはそれとしてやることもなく、それゆえに暇をしている。退屈を埋めるためにひたすら飲み物を飲み、誰かの飲み物と一緒に自分の飲み物を汲むと言うのを繰り返していた。
ジュースは一通り飲みつくし、そして飽きた。今は全く具のないシャバシャバなコーンスープと薄いコンソメスープ、休憩のウーロン茶を順番に飲んでいる。
僕はカラオケに向かう時に、集団の最後尾でダラダラと歩いた。この会に大したモチベーションもなく、既に帰りのことを考えていた僕が最後尾だったのは自然なことだろう。
そんな訳でこの部屋に最後に入った僕は扉の1番近くに座っている。そのことも相まって、始めの一杯以外、全ての飲み物を僕が取りに行っていた。
「えー、次何歌おうかなー」
「え! 真希これ知ってるの!?」
「うん、かっしーも知ってるの?」
「私ちょー好きだよ、真希歌いなよ!」
「どーしよっかなー、瑞葉ちゃんも知ってたりする?」
「私知らないかも。でも私に遠慮しなくていいよ?」
「えー? なら歌っちゃお」
そう言いながら彼女たちは互いのスマホを覗き込みながら、あーだこーだと言っている。村雨は若干疲れてそうに見えたが、二人はテンションが上がっているのか特に気にした様子もない。
それは大変楽しそうで結構なのだが、世の中に溢れる情報の一つに「カラオケでスマホを触っているやつは良くない」と言うものがあるのを思い出した。
この意見には僕は賛成である。この意見の主張の裏側にある、自分が歌っている時に誰も聞いていなかったら悲しいと言うのは僕自身非常に共感できるからだ。
話は脱線する。
僕がいた中学校では全員が何かしらの委員会に入らないといけなかった。その中で僕は人気のなかった美化委員会に所属していた。
大した仕事は無いのだが、四半期に一度ほど清掃イベントのようなものがあった。そのための話し合いに参加してクラスへの伝達事項を聞き、学級に持ち帰って皆の前で話すのだ。
おおよそ予想はつくだろうが、クラスの皆は、それはまぁ面白いほどに人の話を聞いていない。隣と談笑していたり寝ていたりと様々だが、その時の気分はあまりいいものではなかった。
だからこそ、カラオケでちゃんと曲を聞いてあげましょうというのは大切なことだ。マツコが笑顔で渡してきたタンバリンだってちゃんと叩いている。
しかしながら、僕は流行りの曲を知らないし、ラブソングに至っては聞いているとイライラしてくる。恋をしてもバカを見るだけなのに、どうして好きだとか言えるのだと斜に構えてしまうのだ。
その結果、僕は死んだ顔でタンバリンを省エネで叩きながらスープを飲む人になっていた。
曲が終わったところで脳死タンバリンを終えて我に返り、何気なく部屋の中を見渡してみる。始めよりもはしゃぐ声が大人しくなり、カラオケに飽きてきたのか皆スマホを触り始めていた。
「トイレ行ってくる」
飲み物を飲み過ぎてトイレも近くなっていた。自分では隣のマツコにボソっと言ったつもりだったが、音響に耳をやられてボリュームをミスったのか、10人近くいるにしては静かな部屋というのもあって、僕の声はやけに通ってしまった。
気まじー、なんて思っていると
「私もトイレ行こうかなー」
「あ、じゃあ私も行く」
「俺も行こ」
と思わぬ形で連れションになってしまった。
立ちションして手を洗っていると、押原が隣にやってきた。
「松村って村雨さんと仲良いの?」
「そんなことないけど」
「そう? 村雨さんに誘われてたから仲良いのかと思ったわ」
「隣だったから声かけただけじゃない?」
「でも村雨さんみたいな美人に声かけられたらワンチャン期待しない?」
当たり障りのない会話だ。男子同士なら、誰が可愛いとか付き合いたいとか、そう言った上っ面だけの恋バナと呼べないような浅い話をしたりする。
ほぼ初対面の人とそういう話をするには少し踏み込み過ぎているとは思うが、自分の感覚と彼らの感覚が違うことは理解している。そもそもこんな集まりをするくらいだから、その気の人も多くいるのだろう。その事に関しては特に何も思わないし、実際僕も村雨の事は可愛いと思う。
だが“ワンチャン”という言葉を聞き過ごせなかった。押原がハッキリと言った訳ではないが、その言葉の続きはほぼ確実に「ワンチャン(付き合えるって)期待しない?」だろう。
その言葉の繋がりが、僕は嫌いである。ワンチャンという言葉の軽さが付き合うという言葉の重みに釣り合わず、嫌悪感と妙な居心地の悪さを感じるからだ。
言葉の重みに釣り合わないと表現したが、彼らの中で釣り合っているのかもしれないと考えるとその嫌悪感は膨れ上がっていった。
「……だってこんなだよ?」
押原に返す言葉を少しだけ考えて、絞り出した言葉がこれだった。なるべく軽く聞こえるように、重くないように言ったそれは、案外自分の芯を捉えている気がした。
水で手を流しながら顔を上げて、鏡に映るのはみすぼらしい青年の顔だ。肌荒れとニキビで凹凸の目立つ薄汚い肌に一重の細い目、血色の悪い唇と切れ毛だらけの前髪。太ってはいないものの決して人に好かれる見た目ではない。
「そんなことないと思うけどなー」
押原は鏡を覗き込み、前髪を触りながらも興味なさそうに、呟きと返事の間のような言葉を発した。僕は自分の顔を凝視した後、そのまま横目で押原を見た。
彼は艶やかで程よく伸びた前髪をセンター分けにしている。スキンケアもしているのか肌もきれいで、耳には洒落たイヤーカフを付けている。そして何より顔立ちが整っていた。
鏡の中の押原と目が合うと、押原は前髪を触るのを止めて
「先戻ってるよ」
と言って出ていった。
僕は言葉にできない不快感に突き動かされるままに前髪をかき上げる。そのままかき上げた前髪を握りしめて、鏡の中の自分を睨んだ。
「笑えよ……」
鏡の中の僕は、僕を睨みながらそう言った。




