第21話 深夜
夏の暑さは夜になっても残り続けていた。ベッドで横になるも、ベッドと背中の間に熱がこもる。いまだ冷めぬ身体ではなかなか寝付けない。熱と腹の底に溜まる嫌悪感のせいだ。
僕はマツコと佐々木の寝息を聞きながら、静かにベッドから抜ける。暗闇の中で椅子に腰を掛け、冷房の効いた部屋で目を見開いた。それで何かが見えるわけでもないが、何となくそうしたかった。
さて、僕の腹の底には不快感がどっしりと構えている。でも、この不快感の理由はわかっているのだ。
はっきり言って、今日の僕は浮かれていた。僕を含めた6人での外出なんて、青春以外の何物でもなかった。みんないい人たちで、僕は馬鹿みたいにはしゃいだ気がする。
中学時代の根暗な僕を考えれば、今の僕はとてもキラキラしている。だが、それは松村という人間の外側の話だ。
人間はそう簡単には変われない。僕は根暗で、自分が歪んでいるときちんと認識している人間だ。
熱に浮かされて手を振るなんて阿呆が過ぎる。マツコと佐々木たちは良い。あいつらは僕の汚いところをよく知っている。僕の品性も、弱さも笑ってくれるやつらだ。
でも彼女は違う。一学期のはじめに席が隣だった。その惰性で今まで話しかけてくれただけだろう。高校デビューしました、みたいなやつらから自分を守るための隠れ蓑が僕だ。
彼女にとって僕は友だち以下の存在で、そんな人間が手を振るなどあり得ない。冷静さを欠いているとしか言いようがない。
あの子に手を振った自分の姿を思い出す。無意識だった。マツコたちと遊んでいて気が緩んでいた。不恰好に手を振り上げて名前を呼ぶ自分。手を振り返してくれたが、その手は控えめだった。顔も逸らされた気がする。
それなのに楽しかったとか可愛かったとか、そういう気持ちを思い出している自分が気持ち悪い。
今だって、思考の前提が村雨で、その名前すら出さずに認識している。
心の中ですらはっきりと認識することを恐れている。しかし目を背け続けるのも限界があるのはわかる。
認めよう。僕は村雨の事を好いている。
だが、こんなのから好かれたところで気持ち悪いだけだ。善意で接していた男から好意を向けられるという事は、村雨が話していた中学時代のいじめのきっかけと何も変わらない。
それに、村雨の事を好きだって思ったきっかけだって大層なものじゃない。僕のつまらない話で笑ってくれたり、その笑顔が眩しいほど綺麗だったというだけだ。
別に、人間が人間として善意を持って接すれば、そんなのは何も特別なことではない。その笑顔は愛想笑いかもしれないし、万が一僕との会話を心地よく感じていたとしても、それは恋愛関係のない“友だち”との他愛もない会話を楽しんでいるだけだ。
今だって、手を振り返してくれた時の笑顔を思い出して感傷に浸ろうとしている。ガキみたいに泥だらけで、手を大きく振った僕の姿などみっともない。
それなのに、もしかしたら自分のことを好きだと思っているかもしれない、なんてあり得ない妄想すら浮かんでくる。くだらない妄想をしている僕に吐き気がする。
こうも簡単に好きになられたら村雨だってたまったものではない。こんなのがたくさんいるから村雨は心を痛めたのだ。
僕は電車の中で泣く村雨を見ている。友だちだと思っている相手が、自分に好意を向けていると気づいたらどう思うだろうか。
僕なら絶望するだろう。友だちだと信じていた相手が、自分が嫌いな存在だったと気づくのだ。
僕だって好きだったものを失う痛みは知っている。好きになるということは、失う時に大きな痛みを伴うということである。
村雨を好いているという事実。これが僕の心にある不快感の正体だ。
暗闇に目が慣れて、黒の濃淡だけで示される部屋の輪郭を認識する。
身体は十分に冷め、浮かれた頭も冷静さを取り戻している。ゆっくりと椅子を立ち、ベッドに横になり目を瞑る。
僕は村雨の事を好いている。だが、それ以上でもそれ以下でもない。踏み込んで良いことなど何一つない。
思考が鈍くなっていく。今もなお、手を振った時の村雨の声を思い出す。少し弾んだ楽しそうな声、と思うのは僕が浮かれていたからだろう。
それでも、村雨の手を握りたいと思うのは違う。
求め過ぎてはいけない。友達のままでいたい。……嫌われたくない。
それが眠りにつくまで考えていた最後のことだった。
夢は見なかった。
。……。。……。。……。
翌朝、胸の中にあった不快感はその存在感を薄めていた。完全にいなくなったわけではないが、僕の中で消化されたのだろう。結論はシンプルで、村雨への好意を極限まで薄めるだけだ。
これを目指すべき目標として、事実として認識できる時点でだいぶ回復してきている。
皆で朝食を済ませた後は最低限部屋を整理して、そのままチェックアウトするだけだった。電車の中は昨日の話に花を咲かせるというわけではなく、静かに揺られていた。
途中で僕と村雨は電車を降りて、別の路線に乗り換えた。二人で話をしながら、村雨のことを意識している自分に気が付く。
嫌悪感が沸き上がりそうになるが、意識して感情を抑え込むことは正しいのだと自分に言い聞かせる。
自宅に帰り、部屋の椅子に座りこんだ時、体は鉛のように重かった。




