大剣の護衛と岩壁の渓谷
現在、俺は揺れる乗り合い馬車の中に押し込められている。
お世辞にも豪華とは言えない、安普請の木造馬車だ。貸切ですらなく、汗臭い商人や無口な旅人、そして埃っぽい藁の匂いを放つ見知らぬ大人たちと膝を突き合わせている。
そして当然、俺を隣国まで送り届ける監視役――あの護衛の女も、目の前の席に陣取っていた。
「初めまして。テオ・マルボルトと申します」
俺は立ち込める彼女の殺気に気圧されながらも、五歳児なりの礼儀正しさで小さく頭を下げた。
「……よろしく、坊や」
ぶっきらぼうで、飾り気のないハスキーな声。
間近で見ると、彼女はいわゆる「ゴリゴリの女戦士」という風情ではなかった。肉付きは極めて豊かだが、酒場で暴れる傭兵のような無駄な筋骨隆々さはない。自然体でしなやかな、無駄肉を削ぎ落とした成熟した肉体。豊かな双丘、革張りのズボン越しでもわかる引き締まった太もも、そして……顔立ちも普通に整っている。母親のような人間離れした美貌ではないが、飾らない刃のような鋭い色気があった。
街ですれ違っても、一目で「凄腕の剣士だ」と見抜ける奴は少ないだろう。
だがもし、彼女が今俺の頭の中にある下世話な思考を察知したら――間違いなく、あの背中の大剣を一閃させて俺を真っ二つにするはずだ。
それにしても、何だあれは。
自分の身の丈ほどもある巨大な剣。ボロボロの革布で無造作に巻かれているが、黒鉄の鍔からは光を呑み込むような不穏な威圧感が滲み出ている。控えめに言ってバケモノじみていた。
彼女は世間話をする気など毛頭ないようだったし、俺としても詮索する義理はない。
出発前に耳にした話では、彼女はかつて母親のミレルに生死に関わるデカい恩義があり、その借りを返すために今回の「お守り役」を引き受けさせられたらしい。まあ、大人の過去のしがらみなんて俺の知ったことじゃない。
二十日間の長旅。
理性を保つという意味では、俺がまだ五歳で、第二次性徴まで七年の猶予があることに神へ感謝すべきだろう。もし前世の思春期のホルモン全開の体だったなら、こんな極上美女と膝を突き合わせて二十日間も耐えられるはずがない。下半身が暴動を起こして即死案件だ。
雑念を振り払うように、俺は馬車の小窓の外へ視線を向けた。
馬車は今、切り立った巨大な岩山と岩山の狭間――険しい渓谷を抜けているところだった。踏み固められた一本の未舗装路が、遥か先まで一直線に伸びている。巻き上がる土煙の向こうに、果てしない荒野が見え隠れしていた。
不意に、目の前の女が腰のズダ袋から何かを取り出し、俺の膝の上へ放り投げてきた。黒ずんだ、石のように硬い干し肉の塊だった。
「食いな。次の宿場までは長い。お貴族様の口に合わねえと泣き言を垂れるなら、今のうちに涙ごと飲み干しときな」
完全に試されている。甘やかされたお坊ちゃんが癇癪を起こすのを楽しみにしている目だ。
俺は文句一つ言わず、乳歯を総動員して干し肉に噛みついた。硬い筋を力任せに引きちぎる。
前世の三十一年間、借金返済のために賞味期限切れのカップ麺や冷え切った残飯で飢えを凌いできた俺だ。塩気の効いた干し肉など、むしろ贅沢品以外の何物でもない。奥歯でじっくり咀嚼し、難なく胃袋へ流し込んだ。
女は目を丸くし、予想外の反応に毒気を抜かれたように口元を歪めた。
「へえ……見かけによらず肝が据わってんじゃないの、坊や。私の名前はヴェラだ」
「ごちそうさまでした、ヴェラさん。ついでに一つ聞いていいですか?
母さんにどんな恩義があれば、五歳のガキの護衛なんて割に合わない役目を引き受ける気になるんですか?」
ヴェラの眼差しから、退屈そうな気配が消えた。深い影を宿した黒い瞳が、一瞬だけ窓の外の荒涼とした岩肌を見つめる。
「……あんたの母親は、ただの田舎領主の妻なんかじゃないよ、テオ。十年前、歴史の表舞台から消し去られた血みどろの戦場でね。飛び出た私の内臓を、禁呪に近い治癒魔法で無理やり繋ぎ止めてくれたのがミレル様だ。あの人がいなけりゃ、私はとっくに王都の土の下で白骨死体になってたさ」
王都。
その単語が、俺の脳裏で警鐘のように鳴り響いた。
だが、禁忌の過去をさらに掘り下げようとしたその瞬間――
ズガァァァンッ!!
馬車全体が吹き飛ぶような猛烈な衝撃が走った。
車輪が悲鳴を上げ、急ブレーキで車内が激しく傾ぐ。外から馬の狂ったようないななきが響き、乗客たちが悲鳴を上げながら座席から転がり落ちた。
「ひ、ひぃぃっ!? 何事だ!?」太った商人が積荷にしがみついて叫ぶ。
直後、渓谷の岩肌に反響する御者の震え声が届いた。
「――お、お頭ぁぁっ! 伏兵です! 『岩喰い鳥』と野盗どもに道を塞がれましたァッ!!」
馬車を取り囲むように、荒々しい足音と野卑な笑い声が近づいてくる。
だが、ヴェラの顔には動揺の欠片もなかった。皮肉げな笑みは消え去り、そこにあるのは底知れぬ冷徹な殺意。
彼女は音もなく立ち上がり、肩越しに――あの巨大な黒鉄の大剣の柄へと手を伸ばした。
「伏せてな、坊や」
ドン、と蹴破るように馬車の扉を開け放ちながら、彼女は低く言い放った。
「――すぐ片付く」




